葉っぱ 帰省

2023年2月3日

 先月の末頃、亡き母の姉の訃報を聞いて、三年ぶりに長野に帰省しました。特急しなのの運行は、7時ちょうどから始まって一時間刻みという昔から変わることのないダイヤです。店で少しの間仕事をしてから父と一緒に11時発の電車に乗り込みました。
 子供の頃は、夏休みが始まると同時にこの電車に一人乗って休みの間を長野で過ごした記憶が微かにながら残っています。母の実家は祖父がりんご農家をしていて、りんごにつくカミキリムシを捕まえたり、肥料をまく手伝いなどをしたこともありました。周りには、ポツンと一軒、駄菓子屋さんがあったくらいで、山々や自然に囲まれた場所。山から側溝を流れてくるきれいな水流に、オニヤンマが飛来してきたのを、心臓バクバクしながら捕まえたり、近所のお大きな木には、ノコギリクワガタやミヤマクワガタなど、子供のお宝が山ほど捕れるので、一人でも行きたくなるのが当然だったのでしょう。そして長野といえば名物おやきで。実家のテーブルには、いつも祖母の自家製おやきが山のように積まれていました。具は、ナス味噌が一番好きでしたが、他に切干大根やあんこ、野沢菜など種類も豊富で、食べろ食べろと言われるので、太って帰ってくるのが常だったと思います。それも祖父母が93才で他界してからは、実家に行く用事もなくなり、帰省するといえばお葬式くらいになってしまいました。
 母の姉も同じ膵臓がんで、発見が早かったため、手術をして大事に至らなかったのですが、しばらくしてがんの転移が見つかり、一気に衰弱して帰らぬ人となりました。85才でした。家族葬で行われた葬儀は、久しぶりに親戚一同が集う場所と化して、近況報告に花が咲いていました。おまけにコロナの感染対策が前日から緩んだため、マイクロバスも食事も密など関係なく、一緒にとることができました。温泉宿で一泊して、翌日の朝は前日教えていただいた善光寺のお朝事に行きました。善光寺の朝の法要で、日の出とともに、善光寺全ての僧侶が出仕して1年を通して毎日欠かさず行われているそうです。
 朝の気温、マイナス7℃。昼からは吹雪になるという予報でした。幸い、風もない穏やかな朝でしたので、さほど寒さを感じませんでした。本堂に向かっていくと警備の方がいて、指定されたところに並ぶよう指示がありました。と言っても私達含めて4名。すると住職が通られますから、ひざまずくように言われ、頭を下げて跪くと、お数珠を頭に載せながら「南無阿弥陀」といって本堂に向かっていかれました。後で調べると、これが朝の法要のお数珠頂戴だったようです。(※善光寺住職である大勧進の御貫主【おかんす】様、大本願の御上人【おしょうにん】様が導師として本堂に出仕される際、その往復の道中にてひざまずく参拝者の頭へ、手にされた数珠で触れ、功徳を授けてくださいます。)
その後、本堂でお朝時があったはずなのですが、これがお朝時だと勘違いしたのと、じっとしてたため寒くて仕方がなくなり、すごすごとバス停に移動したのでした。
 昼ごろからは、予報通り雪となり、松代斎場では吹雪となりました。夕方の帰る頃には道路も一面雪模様に。さすが雪慣れしている地域では、全く渋滞も、混雑も見られませんでした。 予定通りの特急しなので家路についたのですが、久しぶりの帰省。そして親類に会うのは良いものですね。葬儀と
いう悲しい別れと、再会が織りなすイベントは、なくてはならないものとつくづく感じました。これも自分が、そういうことが感じられる年齢になってきたんだと思います。
時期が来ると分かることってありますね。