葉っぱ 情けは人のためならず

2006年2月1日

時代の寵児ともてはやされた「ホリエモン」が逮捕された。政財界をも揺るがした騒動に、メディアも連日よってたかっての報道だ。お金で何でも手にすることが出来るといった言動に批判を浴びせておきながら、そこに群がって虚像を巨人にしていったのもメディアである。根底に流れているものは同じであり同罪ではないだろうか。いまさら手のひら返したような冷静な批評が見苦しく感じる。
社会に出て間もなく、当時の恩師から口癖のように聴いていた言葉がある。「情けは人のためならず」という言葉だ。2001年1月に文化庁がおこなった国語に関する世論調査の中で、この「情けは人のためならず」の意味を問う設問で、甘やかさないためにも情けはかけてはいけないと解釈した誤答が正解を上回る結果が出てしまったそうだが、ご多分に漏れず私もその一人だった。「めぐりめぐって己がため」という後半部分が表すように、自分のためと思ってでも人には情けをかけるというのが正解である。そんな言葉を思い出すような記事を以前にもご紹介したコラムで目にしたので記載したい。
それは一昨年の7月に福井県を襲った集中豪雨、堤防決壊、大洪水の被害。そこからから奇跡的に蘇った福井市の話しを市長に聞くものだった。当時、当店のお客様の中でも数名の方がボランティアに参加したと伺っていたので印象深かった。大災害からの復旧で一番大変なことはごみ処理だ。東海豪雨の時に痛切に感じたのだが、福井市ではその被害で、市の年間処理量の5分の一に当たる膨大な量のごみが出たそうだ。それだけのごみを運び出すには2ヶ月くらいかかるのだが、その泥まみれの2万トンのごみがたった2日で片付いたそうである。それも凄いことに、要請は一切していないのに支援の輪が自主的に広がって、94の市町村や清掃組合が近畿・関西方面からぞくぞくと応援に来て、しかも、その2日間、収拾の一切が福井市の職員の手を煩わせることなく行われたそうである。
どうしてそこまでやってくれたのか?不思議に思うのは言うまでもない。それは1995年の阪神・淡路大震災に遡る。福井市長は、神戸市へ職員を一年間派遣するなど、あらゆる応援をするように指示した。そのときに支援に来ている他の自治体や神戸市の職員との間に強い絆が生まれ、ネットワークが出来たらしい。1948年福井地震で市長は身内を亡くされている。当時中学3年生だった市長も危うく家の下敷きになるところだったそうだ。その上一ヶ月近く野宿同然で過ごしていたことろを豪雨に見舞われて、寝る場所もなく立ったまま朝を迎えたこともあったという。しかし、その時、他府県から応援に来た大工さんが雨露をしのぐ仮住まいを作ってくれたのがホントにありがたかったと語られていた。災害の多い福井は危機管理意識が高い。その意識から働く情けがめぐりめぐった恩返しの輪である。
昨年の暮れからの豪雪は、上空の気温低下に加えて地球温暖化による高い海水温で立ち上る水蒸気が増えたことが原因のようだ。豪雨や洪水ばかりか豪雪も頻発する時代に、めぐりめぐって私たちのところに帰ってきていることも忘れてはならない。