葉っぱ リマ中級クラスに参加して

2012年9月1日

 ちょうど昨年のお盆の時期に、マクロビオティックの料理法を一から学ぶためにリマクッキングスク
ールの初級講座を大阪で受けた。料理は五感でするものだということを教えられた。貴重な経験をさらに活かすため、今回は東京で行われた中級の集中講座に参加することにした。お盆を挟んでの6日間で、店のお盆休み中は、心優しいスタッフが入れ替わりで愛猫のあいちゃんのご飯の面倒を見てくれたので心置きなく参加できた。全国から集まってきた生徒は約30名、宮崎県や北海道からも参加者がいた。男性はその中で3名、お二方は私よりさらに年令が上の方だった。1日2講座で1講座は3時間。長いようだがその30名の料理を作りながら、一方では手当て法の実演がある。それが各講座で同一進行していくため気を抜いたら何をしているのか分からなくなる。だから講師の先生も真剣である。生徒を目配りしながら各テーブルの火加減や進行状況などを目で追っている。すごい集中力だと思った。こちらも感心しているどころではない。料理の実演をする人、その料理に使う野菜を用意する人など自由に行動できるため、興味のあるところに顔を出しては練習しないと何も身につかない。頭で覚えたことと体験するのは全く別物である。それぞれの野菜が違うように、触れて体で覚えないと身につかない。火加減一つとっても鍋が温まるとはどの程度をいうのか。実際に触らないにせよ火元近くまで手を持っていって熱の具合を感じないと何も分からないのである。こういう普段しない刺激が大いに脳を活性化したのだろう。運動を普段しない人が急にすると筋肉痛になるように、いつも使っていない頭の部分を使うので、脳みそ痛?のような頭がボーっとした状態が続いた。
  だんだん年を取るにつれてやったことのないものに対して臆病になる。同じ刺激の中で生活するほうが楽に決まっている。しかしそんな楽な生き方もそろそろ終わりに近づいているような気がする。もはや年令など関係なく、生きるために何をすべきかということを目の前に突きつけれられているように思うのだ。世界で起こっているさまざまな紛争もだんだん煙幕から正体が見え隠れするようになった。所詮は先進国のアメリカをはじめとする国々のエゴがその国をかき回し、情報を錯綜させ、あたかもその国をテロの国家か、独裁国のように仕立て上げ、世論という無関心な正義を旗印にますます紛争を混迷化させているだけではないのか。
  東京の夜の街を歩いて、その巨大都市が暗いのには驚いた。震災以降の節電が徹底して行われているからだろう。一方で名古屋の明るさは何なのだろう。距離が離れたら関係ないのか。このあたりが意識の格差である。その格差が情報格差を生み、何も考える必要のない環境を作り出しているのではないか。東京の暗さは、節電などあたりまえにできることの証明だ。全国でやれば原発だけではなく、火力発電所を含めて使う必要のないものがどんどん出てくるに違いない。いつしか電力というパワーの魅力を傘に寄り集まった産業界、家電メーカーや住宅メーカー、自動車関連など、もはやこれら大企業のマスによって日本の行く末は決められようとしている。それを証拠に、消費税率引き上げや、国の行ったエコポイントなど、それらの企業を補助金、言い換えれば私たちの税金で買い支えただけの無意味な政策を見ても明らかである。一方で買う側の問題もある。考えることなく買うことがそれら企業の下支えとなっている。身の回りのあるものを見渡してみると意外なものを発見する。それくらい広告媒体の影響は大きい。使っていない品物の多いことなどは買う側の意識である。消費者の立場からモノを申すことをすることなしに、物事は何一つ変わっていくことはない。混迷な時代を生き抜く知恵とは、身近なものに対して意識を持つことではないだろうか。あまりにも無関心すぎたのだ。
 尾張の英傑もこう言っている。「敵は本能寺にあり」と。