葉っぱ 正義のゆくえ

2009年11月1日

脚本とテーマにほれ込んで、俳優のハリソンフォードが初めてメジャースタジオ以外と契約したというふれこみの映画紹介を目にしたのは9月ごろだった。それ からというもの、思い出しては気にするが、日ごろの雑務に追われて忘れかけていた。そんなある日、急に思い立って上映しているところを調べてみると、これ が意外にも愛知県ではたった一ヶ所しか上映されていない。全国的に見ても各県に一ヶ所あるかどうかだ。これがメジャーとマイナーの違いなのか。拍子抜けし たが、これが返って見る気を煽ることになった。上映最終日に開始から遅れること15分、念願の映画「正義のゆくえ」に間に合った。
それまで映画といえば、行くのは決まって大型店の中にある映画館である。そこで話題作の中から、俳優などを選んで見るのが今までのスタイルだった。しか し最近のハリウッド映画といえば、最新鋭の特撮技術や大規模なセットが売り物なだけで、その中身は期待はずれのものが多い。挙句の果て、ネタに困ったのか ハチ公物語まで出てくる始末である。しかしその中で彼の出演する作品は、唯一自分にとってははずれがないので優先順位が常に上だった。その人物がほれ込ん だという言葉が引き金となって、上映一ヶ所しかない映画館に行くこととになったのだが、これが幸い自分の価値観を変えてくれることになった。
その映画の内容は、人種のるつぼといわれるアメリカにおいて1,100万人いると言われる不法滞在者の問題を取り扱ったものである。自由の国アメリカの 光と影を、移民という角度で見事にあぶり出している。アメリカは日本と違って出生地主義らしい。たとえ違法移民であろうとアメリカで子供を生めばその子は 自動的にアメリカ人になれるが、そのため移民一家で子供だけがアメリカ人だったりする矛盾を抱えている。また国籍とは違うが永住権(グリーンカード)と いうものもあり、米国人と結婚するとか、宗教関係者であるとか、高額な投資や事業で貢献したとか、スポーツや芸術の才能があるとか、あるいは抽選に応募す るといったやり方など、いかにも犯罪を生みそうな怪しい方法もあるため、この映画でもいくつか取り上げられていた。自由を謳歌するためというが、危険を冒 し、しかも国を捨ててまでして移り住んだ人々の境遇がどのようなものかを、この映画で少しだけ垣間見た気がする。自由という光、そのこぼれる光を求めてさ まようほどの深い闇が、悲しみや怒りとともに果てしなく広がっているようである。その国で、人種を超えて大統領となったオバマ氏を支援する人々の絶叫する 声が、その闇を切り裂いて聞こえた気がした。
ハリウッドの映画産業を作り上げたのは主にユダヤ人の移民だったそうである。ユダヤ人は他の仕事には迫害を受けていたため、映画という新しい娯楽ビジネ スに注目したからだそうだ。近年、映画の制作費は高騰し、映画1本の制作に50億、100億円とかかるものも珍しくないという。移民としてアメリカに渡っ て成功と自由を勝ち取り、輝く光となった彼らは、果たしてその大きな闇を照らそうとするだろうか。マイナーで低予算といわれながら、良きアメリカといわれ た時代を匂わせるこの作品こそ、映画を単なる娯楽としてでなく、闇を照らす一筋の光に思えた。

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