葉っぱ 崖の上のポニョ

2008年9月1日

久しぶりに映画を見てきた。宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」といえば笑われるかもしれないが、この映画が他の話題をさらってしまい、頭から離れないのだ。これから見に行く人もいると思うので詳細は控えることにするが、もう一度見に行って、あれこれ確認したいと思っている。
 われわれの世代は、宮崎アニメに幼いときからふれている。「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」、「母をたずねて三千里」と聞いて同世代で知らない人はいないだろう。毎週日曜日に見るのが当たり前だったのではないだろうか。学校の道徳の時間より、どれだけためになったか分からない。その後、NHKの「未来少年コナン」を見るのが日課となり、映画「ルパン三世カリオストロの城」などは、今までに何度見たことか知れない。どの作品も共通して、アニメとは思えないほど人間臭い主人公の存在に、いつしかどんどん引き込まれていくのだ。つらつら書き連ねていくと、まさしく宮崎アニメとともに成長していったといっていい。しかし、この時期に宮崎駿氏の名前を知るものはそういなかったのではないだろうか。彼のその名前を一躍有名にしたのは、「風の谷のナウシカ」からだろう。
 この時から宮崎駿マジックは始まる。現実の世界と不思議な世界が入り混じる彼独特の世界だ。ある時は昆虫であり、動物のお化けだったり、またある時は魔女であり、八百万の神だったりする。あの世とこの世の世界がまるで隣り合わせであるかのように、溶け込んで物語は展開する。夢を見ているかのような想像上の世界が大きなスクリーンで繰り広げられるが、やがてその魔法は解けてしまう。浦島太郎が玉手箱を開けてしまったかのように現実の世界に引き戻されるのだ。夢か幻か、遠くて近いあの不思議な世界は一体なんだろう。ひょっとするとその正体は、いつしか忘れ去ってしまった、だれもが小さいときに大切にしまいこんだあの玉手箱なのではないだろうか。
 崖の上のポニョは、いままでとは違った切り口だった。風景がパステル調で、開始早々から幻想的な世界に引き込まれたような気がする。魚のような妖精「ポニョ」が繰り広げるストーリーは、生命の誕生までを描いたかのようである。多くの疑問が点在するのだが、その謎解きが、メッセージのような気がして面白い。見終わって、癒されるという声がした。きっとそうかもしれない。無意識な世界という玉手箱を開けたのだから。