葉っぱ インターシップ

2006年8月1日

 4年ほど前からだろうか、商業高校の学生の就業体験(インターシップ・・学生が在学中に自らの専攻将来のキャリアに関連した就業体験を行うこと)を受け入れている。全国の高校や大学に広まりつつあるその制度は、日本では1997年ごろから始まったばかりで、インターシップ先進国であるアメリカ合衆国では、20世紀初頭からいくつかの大学が導入を開始し、1950年代から本格化しはじめてたとのことだ。1980年代後半においては、全米の90%の大学がインターンシップをカリキュラムに取り入れ、70%の学生が卒業までにインターンシップを経験するにいたっているそうで、企業と学生にとっては相互にお見合いが出来る利点があり、就職後に「こんなはずではなかった!」とお互いの思惑がはずれないためにも良い制度であるらしい。
 毎年、高校2年生の2名が2日間夏休みに体験にやってくる。今年も行われた。ただ、まだ2年生いうから進路も定まっていないだろう。いや自分のことを例にとれば一番高校生活で遊んだ思い出のある学年だ。進学するにも時間のゆとりがある。就職しようにも何をしたいか分からない。とりあえず、遊ぶために学校の目を忍んではアルバイトをしていた。こんな不届きな学生ばかりではないと思うが、今考えてみるとその経験も結構役に立ったと思っている。当時のアルバイトといえば、手っ取り早いのがレストランの皿洗い。自分の部屋の掃除も儘ならぬものが、残飯から、床掃除、油の清掃まで、キレイといわれる仕事には縁がなく、ひたすらキレイにする仕事をし続けた。その分、初めてお金を得た喜びは大きかったし、そのアルバイトを通じて知り合った年齢差のある方々との交流も高校を卒業した後も続いたのだった。
 話しは横道にそれたが、今年就業体験した生徒の感想を読んでいて、初めて受け入れて良かったと感じた内容を目にした。毎年、感想といえば、疲れたとか、緊張した、楽しかったという自分が体験した感情を書く生徒が多い。それは体験して学ぼうというよりは、受身でやらされている感情のほうが強いからだろう。無理もないことだとは思うが、それでは肉体的な疲労感だけで終わってしまう。何年続けても意味がない。むしろ積極的にアルバイトでもして世間の風に当たったほうが何倍も本人の役に立つのではないだろうかと、ふとそう思ってしまうのである。ところが先の一人の生徒の感想は、その日は、商品棚の掃除をしてもらったのだが、それをしながら商品のポップを一枚一枚読んでいったとある。この商品はどういうものなのかを掃除をしながら読み続けたらしい。そしてそのポップを作るまでの手間暇の大変さも付け加えられていた。たった2日間の体験で、山積する雑用が仕事という物事を成り立たせているということを感じとってくれたことに思わず嬉しさがこみ上げてきたのだ。きっとその生徒は、どんな職業に就いてもその仕事に価値を見出すだろう。その生徒の担任の先生にでもなった気分がしたのだった。