葉っぱ トイレの神様?

2026年11月1日

 毎日慌ただしくしていると、つい手を抜きたくなるのが掃除や整理整頓です。分かっちゃいるけど、なかなか気が進まない。それでもやればやったで、失くしたと思っていた物が見つかったり、気分がすっきりしたりと、精神衛生上とても良いものです。

 トイレ掃除も、面倒になって数日空けてしまうことがあります。そんな時に限って、九十歳を過ぎた父が間に合わなかったのか、トイレマットに排泄物が残っていたりする。正直うんざりしますが、放っておけば臭うばかりなので、気を入れて掃除をします。すると臭いは消え、清潔感に満ちて気分爽快。それならばと、毎日きちんとトイレを掃除することにしました。

 しばらく経って、ふと気づいたことがあります。父のトイレの失敗が、それ以来なくなったのです。かれこれ一か月になります。きちんと排便があることも確認しています。以前は便秘を心配するほど、自宅で排便がないこともありました。因果関係は分かりません。ただ、清潔なトイレは使う人の気持ちも整えるのかもしれない、と思うのです。

 トイレを大切にする考え方は、昔からあります。寺院のトイレには、不浄を焼き清める烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られてきました。禅寺ではトイレを「東司(とうす)」と呼び、修行の場の一つとして、僧が自ら丁寧に清めます。江戸時代には、人の排泄物は「下肥(しもごえ)」として農家に売り買いされる貴重な肥料でした。排泄は汚れではなく、田畑へと巡る命の循環の一部だったのです。近年では、東京の公共トイレ清掃員の日々を描いた映画『PERFECT DAYS』が世界で評価され、黙々とトイレを磨く姿に多くの人が心を動かされました。

 そして「トイレの神様」。シンガーソングライターの植村花菜さんが、小学三年生の頃から一緒に暮らした祖母との思い出を綴った、十分近い長編バラードです。トイレ掃除を嫌がる幼い彼女に、祖母は「トイレにはきれいな女神様がいて、毎日掃除をすれば女神様のようなべっぴんさんになれる」と教えたといいます。

 ところが現代の私たちは、排泄を「汚いもの」「口にするのも恥ずかしいもの」として遠ざけ、その場所の掃除さえ後回しにしがちです。家庭の中でも、親の排泄の話は切り出しにくい。介護の現場でも、排泄の失敗は本人の尊厳を傷つけるものとして、見て見ぬふりをされることがあります。けれど、毎日トイレを掃除していると、家族がきちんと排泄しているかどうかが自然と分かってきます。便の様子は、体が発する一番正直な便りです。

 食べることばかりが健康の話題になりますが、出すことも同じくらい大切です。その場所を疎かにして、健康が得られるはずもありません。トイレの神様は、案外、家族の体調をそっと知らせてくれる存在なのかもしれません。

追記・・・・
 いよいよ今月8日に脱穀をして、10日に籾摺りで玄米になります。いよいよ今季のお米作りの通知表が渡されるのです。ドキドキしてきますが、昨年よりとても良い出来と思います。
カフェで今年も、毎週金、土曜日のランチに収穫したイセヒカリをご用意する予定です。
お楽しみにしてください。