
思いがけない循環?
2026年8月7日
田圃に通いはじめて、今年で十一年になります。米作りと一言でいってもその米作りの場所から工具の倉庫、脱穀などの機械のことなど、それにまつわる一切を、十一年前に澤田さんにお世話いただきました。素人が田んぼを借りて米を作るというのは、土と種の話である以前に、その土地に受け入れてもらう話です。澤田さんがいなければ一年目で終わっていたかもしれません。その澤田さんが亡くなられたも、ご長男の誠さんが変わらず面倒を見てくださっています。おかげで毎年、大きなトラブルもなく続けられている。代が替わっても続いていくものがある、というのは、こういうことなのだと感じます。
その誠さんが定年退職され、昨年から隣の山で、いちじくの栽培を始められました。もともとはオリーブを植えて
おられたのですが、どうもうまく育たなかったようです。今度はいちじくだ、と、中腹から裾野にかけての斜面を開墾し、たくさんの苗木を所狭しと植えられました。いちじくは水を欲しがる木です。ところが、あのあたりに農業用水はありません。そこで誠さんは、田んぼを抜けた先、海へ下っていく下流にポンプを据え、斜面じゅうにホースを張り巡らせました。とくに夏場の水やりは、半日がかりだそうで、今年も真っ黒に日焼けしていました。
二年目の今年は、中腹には幹のしっかりしたものが何本も育ち、早ければ今年から採れるかもしれない、とのことでした。栄養を含んだ田圃の水だけで、無農薬で育ったいちじくです。どんな味がするのか、楽しみで仕方がありません。
今年は、梅雨入り前にまとまった雨が降って以来、四十度を越す日が何日も続きました。丙午(ひのえうま)の年らしい夏だ、と言う人がいます。十干の丙と十二支の午が、どちらも強い火の性質を持つ六十年に一度の、火の年だそうです。 私が気にしていたのは、暦ではなく水量でした。毎年、この時期になると、山から下ってくる水が細ります。田圃に水が回らなくなると、水温が上がり、あちこちで土が顔を出します。そうなると雑草が一気に広がって、抜く手が追いつかなくなります。収量が落ちるのは、たいていこれが原因でした。夏の土用からお盆過ぎまでの日照りが弱点だったのです。ところがあれだけ照りつけて、雨の一粒も落ちてこないのに、田圃には水が豊かに流れているのです。 どこかで降ったのだろうかと思って誠さんに聞いてみましたが、まったく降っていない、という返事でした。
週に二度、水量を確かめがてら草を取りに通う日が続きました。そんなある日、山の方からポンプの音が聞こえてきました。誠さんが、いちじくの水やりを始めたのです。その音を聞きながら、ふと立ち止まりました。ポンプが据えてあるのは、田んぼを通り過ぎた先、海へ向かう水路の下流です。つまり澤田さんは、この田を潤し終えて、あ
とは海へ捨てられるだけだった水を汲み上げ、山の斜面へ返している。撒かれた水は地面にしみ込み、裾野からゆっくりと滲み出して、また水路へ戻ってくる。半日がかりの水やりです。小さなポンプでも、一日に何トンという水になるでしょう。それを昨年から、夏のあいだ毎日続けている。地下水が山を遡るのでしょうか?。捨てられるはずだった水がいったん山預けられ、時間をかけて戻ってくるのなら、水は増える。もうひとつ、誠さんは斜面を開墾しました。それまで茂っていた木々は根から吸い上げた水を、葉から空へ返し続けていたはずです。その木がなくなった。山に残る水は、その分増えている。 今年は、これまでになかったことがいくつか起きています。
アメンボが大量に湧きました。十一年見てきて、あんな数は初めてです。それから、ミミズです。長さ二十センチ、太さ一センチほどの、巨大なものが、田圃のあちこちに無数にいます。 水が涸れなかったから、と言ってしまえばそれまでかもしれません。けれど、水が涸れなかったこと自体が、今年の説明のつかない出来事なのです。
いちじくの水と、田圃の水。因果があると言い切るにはまだ足りません。撒いた水の多くは、四十度に灼けた斜面で蒸発してしまうでしょう。いちじく自身も飲みます。ただ、隣の山で新しい農が始まった翌年に田圃の水量が変わった。それだけは、たしかなことです。
もし本当に、海へ捨てられるはずだった水が山に返され、それが私の田を満たしているのだとしたら。誠さんは、いちじくを育てながら、知らないうちにお米を育ててくれていることになります。
答えを出すのは、来年以降のと思っています。今度は、山の覚え方を習う番なのでしょう。米作りは、まだ知らないことばかりを見せてくれます。
