葉っぱ 新しい時代の幕開けに

2011年5月1日

 この一大事にとるさまざまな動き一つ一つ。そのことでいろいろなことを気づかされる。なるべく遠くに避難する人やいち早く現地に駆けつける人、情報を提供する国やメディアの姿勢、能書きをいう御用学者やそれに右往左往する政治家、何が良い悪いの問題ではなく、明らかに分かったのは、この国には既得権益という特権にぶら下がって、こんな事態になっても自分のことしか考えることができない面々がそれでも多くいるということだ。地震直後、多くの帰宅難民が出る中、百貨店などが売り場を開放したことはニュースで広く報じられた。都電もメトロも私鉄も都バスも懸命に使命を果たす中、早々と運行を見合わせ、構内から帰宅できない人たちを締め出したのはJRである。隣国、北朝鮮からは震災見舞いとして10万ドルの支援があったにもかかわらず、そのことをホームページに載せない外務省。その理由について、赤十字社を通じた支援であり、外務省に通知がなかったとしている。世界各国の外交を司っているいわば国の顔である。通知がなかったから載せないという小学生以下の回答をおくびにもださずに言えるとはどこまで高慢な態度だろう。そういう役人が一人一人の税金で当たり前のような顔で職務に当たっているのが現状である。東京電力にしてもJRにしても、もともとは国営企業である。既得権益で独占状態のまま今日に至った殿様商売と官僚組織、その慢心さゆえ、国家の屋台骨が揺らいでいるときでさえ他人事なのだろうか。 32カ国の在京大使館が地震発生後に閉鎖や避難する中、韓国大使館は、東京にとどまり、大使や大使館員の家族も一時帰国しなかったそうである。厳しい状況下に置かれている隣人を助けなければ本当の隣人ではないと考えて、自ら募金や救済活動に当たっているという。この違いは何だろう。せめてメディアがこのことを広く取り上げ、敬意を表すべきではないだろうか。これらいくつかの情報は、一日遅れで届く東京新聞のこちら特報部からの抜粋である。震災以来特に連日熱い報道が続く。しかし、この東京中日新聞にしても、地元名古屋の中日新聞にこの情報が掲載されるのは逆に数日遅い。しかも掲載されないものも多々ある。情報の震源から遠ざかれば遠ざかるほど、その密度は荒くなるのか、それとも知らなくても良いということなのか。割愛された一つに、原子力関連法人に巨額積立金の記事がある。何と3兆円も眠っているとうたった紙面だ。だったらすみやかにそのお金を救済に当てるべきと考えるのが普通だが、法律で使途が決まっているので目的外の使用はできないというつれない回答が帰ってきたらしい。その目的とは、放射性廃棄物の再処理と、最終処分のために積み立てられたもの。しかし、使用済み核燃料の処分方法も定まっていない状態なのだから、福島の損害賠償にこの積立金を使うように改正するよう今こそ政治の出番だと訴えている自民党の河野議員の声を載せていた。まさにその通りではないか。発電・送電・電力販売にかかわるすべての費用を「総括原価」としてコストに計上し、その上一定の報酬率を上乗せした金額を電気料金として私たちから徴収しているのである。会社を経営するすべての費用をコストに転嫁することができる上に、一定の利益率まで保証されているのだから決して赤字にならないシステムで利益を上げてきたのだ。こんなうまい商売があるだろうか。その挙句にいざ想定外のリスクは、使用者である国民に負わせようなどという道理が通るほうがおかしい。本当に現地の人に謝罪したい気持ちがあるなら、すぐ資産を売却してでも避難生活を強いられている多くの人を救済すべきだでろう。それでも足りなくなってはじめて国が関与する話しが出てきて普通ではないだろうか。ここにも、国としての顔が見えてこない。政治家もお役人も責任を取りたくないのだ。そういう面々が高い給料を搾取しながら現場に責任を転嫁し続けている。

 頼りにならない国に変わって、ソフトバンクの孫氏が個人資産10億円を拠出して自然エネルギー財団を立ち上げた。原発を40年経っても使い続けている国は日本ぐらいで、世界的には稀らしい。減価償却が終わった原発は、発電すればするほど儲かるからだ。しかし、中性子を浴び続けると圧力容器はもろくなる。世界平均では22年で廃炉にしているのだ。それを40年以上使い続けるということがどれだけ危険か認識する必要がある。そこで40年経ったものから順次廃炉し、不足するエネルギーは代替の自然エネルギーでまかなうようにしようというのが、大きな主旨である。40年使っていたことすら知らなかったが、現在も古くなった原発が日本全国で稼動しているのである。本来、国や電力会社が考えなければならないことを、民間企業が取り組もうとしているのだ。すばらしいことである。さらに、放射能の測定を、ソフトバンクが全国SBショップで定点観測を積極的に行う意思を表明している。これほど尽力しているにもかかわらず、メディアの取り上げ方はおつまみ程度、こんな事態なってもお国のご意向を伺っているのだろう。それほどこの国のエネルギー政策に異論を唱えることが大変なのは既得権益に触れるからに違いない。しかし、もはやメディアも国や政治家もあてにはならない。市民一人一人の力で作り上げていかなくては到底この大惨事を乗り切れないことを訴えるために孫氏は大きな花火を打ち上げた気がする。それを理由に、その声に賛同する多くの声がネット上にはあふれている。そこに、新しい国づくりの幕開けを感じる。

下記には、聞いてうんざりする「直ちに人体に影響を与える値ではありません」という国の安全基準がいかにその場しのぎかを記したい。
電子版DAYS DAYS Internationalより抜粋
●一年間に1mSv(ミリシーベルト)以上浴びては危険だ!という事故前基準が、いきなり年間20mSv(ミリシーベルト)という、とてつもなく高い水準に変えられ、20倍の濃度の放射線量被ばくまで児童生徒に「我慢させる」という暴挙を言い出したのは、一体誰なのか?文部科学省自身が今まで言ってきた安全基準値の20倍もの濃度基準値へ、いきなり変更したことは異常である。児童生徒の健康安全生命を守るべき文部科学省に、そういう権限が一体あるのか?とんでもない話しである。今回文部科学省は、ICRPのこの基準値、1mSv/y(ミリシーベルト/年)=0.114μSv/h(マイクロシーベルト/時)の安全基準値さえ無視し、ICRPの定めた基準値の、実に33倍のも高濃度の3.8μSv/h(マイクロシーベルト毎時)以下なら安全である!と宣告したのだ!国会審議も経ず文部科学省通達という省令で断行した。
●子どもの安全基準、根拠不透明~市民の追及で明らかに
福島老朽原発を考える会をはじめ3団体の呼びかけで21日、文部科学省が児童の放射線許容量を年間20ミリシーベルトとする安全基準を出したことに関して、その数値を撤回するよう交渉を行った。出席した文部科学省と内閣府原子力安全委員会の担当者は、ほとんどの質問に対して回答することができず、子どもの安全基準の根拠が不透明であり、きちんとしたプロセスがとられていない可能性があることが明らかとなった。
●「福島県放射線モニタリング小・中学校等実施結果」の集計結果
放射線管理区域」(0.6~2.2μSv/h)相当の学校が55.5%、「個別被ばく管理」が必要な学校が20.4%、これら2つを合わせると、福島県下の小中学校等の実に75.9%(75%以上)が「放射線管理区域」以上のレベルにまで放射線汚染が深刻化しています。東京電力福島第1原発から60キロ以遠の福島市内の全学校52校の運動場など校舎外の地面から50cmの高さの空間線量(すなわち外部被ばく線量)の平均値が3.5μSv/h(マイクロシーベルト/時)の高い値が4月19日の文部科学省調査結果からも計測されている。人体への放射線障害は一定度はやむを得ないとする放射線被ばくを大前提として設定されている国際放射線防護委員会(ICRP)の基準値でさえ、1990年の改訂基準に従えば、職業人の場合は20mSv/y(ミリシーベルト/年)、一般人の場合は1mSv/y(ミリシーベルト/年)、厳密には250μSv(マイクロシーベルト/3ヶ月)と勧告している。
★下記は東京都が実施している調査。東京都独自で行っている。猪瀬直樹tweetより掲載。都内の環境放射線量調査