葉っぱ 西式お産体験記・後編 <榊原 望>

2005年1月1日

あけましておめでとうございます
旧年中も大変お世話になりありがとうございました。今年もスタッフ一同一丸となって皆様の健康に貢献できるよう邁進いたします。今年もよろしくお願い申し上げます

年々、天災や人災による環境の悪化が指摘されています。地球は水の惑星といわれ、その水の分布を見ると、99.9%近くは海水と氷河に覆われており、私たちが使うことのできる水の量というのは、ほんの微々たるものです。その微々たる水を分け合い、生活する中で、その水は次第に汚染されていき、汚染された水は海水を汚していきます。
それにまして現在、地球温暖化による異常気象は激しさを増し、世界各国で深刻な被害をもたらしています。生活廃水と混ざり合った水も海水に飲み込まれ、命の連鎖で私たちの元に降りかかってくることになります。
今年の2月、ようやく温暖化防止を目的とする京都議定書が発効されます。最大の二酸化炭素排出国アメリカや、
成長著しい中国などが加盟されていないことを問題視する声も大きいのですが、もうそろそろ地球のことを真剣に考えようといった姿勢が少なからず現れた結果だと考えたいのです。
3月には、愛・地球博も開催されます。テーマ「自然の叡智」「地球大交流」や市民プロジェクトの「地球的課題の解決」。今、そこにある危機を乗り越えるために今年はその足がかりになる良い年になることを祈っています。

さあ、西式お産体験記の後半です。出産当日からに貴重な体験が事細かに記されています。

西式お産体験記・後編 <榊原 望> 

出産当日のこと、深夜0時30分に腹痛で目が覚めお手洗いに行くと、水が出始めて破水したことがわかりました。入院の荷物を持ってすぐに助産院に向かったのですが、車中頭の中はすごく冷静なのに足の震えがずっと止まりませんでした。助産院に着くと、子宮口のチェックを受けましたがまだ全然開いていないとのこと。陣痛も始まっていないから、とりあえず私だけ助産院に残り、主人は帰宅しました。
「だいたい破水すれば陣痛が始まるのだけど、もし始まらなければ病院に行くこともあるからね。」と先生に言われ、どうしても西式で出産したかった私は、まだ水が出ていることを心配しながらも、陣痛が始まることだけひたすら祈り続けました。4時頃、生理痛のような激しい痛みが始まり、ひょっとしてこれは陣痛かな?と半信半疑でいたのですが15分間隔で痛みが来るので、これは陣痛だ!と確信し、恐怖や痛みは喜びで吹っ飛んでしまいました。
7時、先生が来てくれた頃には、陣痛は5分間隔になっており、「子宮口がもう指3本になっているから、順調にいったら3~5時間くらいで生まれますよ。」と聞いたときには、そんなにこの痛みが続くのか・・ショックが隠せませんでしたが、順調にいかなければもっと掛かるなどということは考えもしませんでした。
陣痛が始まると、正座をして「ヒー・フー」の呼吸に合わせて下腹を腰から内股に2回さすります。そうしているうちに陣痛の間隔はどんどん縮まり、8時50分頃には3分間隔になった。痛みも増し、「ヒー・フー」の呼吸では追いつかなくなり、「ヒ・ヒ・フー」の呼吸法に替えました。でも、不思議なもので、陣痛のない時は普段と変わらず、喋れるし動けるのです。これが出産は病気ではなく保険が利かない理由らしいのです。また、この時体を横にしている方が陣痛が和らぐので、横になろうとしたら、先生が「正座をしている方が赤ちゃんの重力がかかり、子宮口が早く開くよ。」と教えてくれたので、こんな苦しいのは早く終わった方が良いからと再び正座をして陣痛に耐えました。
9時頃には、もう陣痛の間隔はなくなり、治まってもすぐ来るという状態になりました。「子宮口が開くときが一番苦しいときだから」という先生の言葉を耳にしながら、とりあえず早く開ききってほしいということと、こちらへ向かっている旦那様が早く到着してほしいということだけ願って耐えました。
9時5分、主人が到着。「子宮口も、もう指3本半は開いていて9割は開いているよ。」と先生が言っていました。分娩のベッドの背もたれに大きなクッションを置き、そこに主人がもたれて足を投げ出して座り、その主人にもたれて私が座りました。
9時20分頃、抗菌マットなどが敷かれ、呼吸法も替わりました。痛みが来たら「フー(力を抜き息を吐く)」・「ウン(力を会陰から肛門に入れる感じ)」とするのです。「フー」は力を抜かなくてはいけないのですが、痛みからついつい力んでしまう。それに、先生からは、「呼吸の時はおへそを見て!目をつむっては負けてしまうよ!」と言われるのだが、これまた痛みから開けてなんていられない・・・でも、意識を集中して開けるように努めた、というか睨みつけていた感じかもしれない。この時の出産の体制は、主人にもたれて座るというか寝ているというか、そういう状態で、自分で自分の後ろ太股を持って力むというものでした。もう姿勢が設定された分娩台と違って、自分の好きな姿勢で力めて楽なんだそうです。

「赤ん坊を産み落とす」というのは、昔は妊婦さんが立った状態で重力に任せて赤ちゃんを産んでいたからなんだとか。寝た状態で産むのは理にかなっていない姿勢なので、この助産院では自分の楽な姿勢で出産させてくれるのです。
10時15分頃、陣痛の間隔が長くなり始め、先生から「いきみが弱くなったよ。」という声が。このまま陣痛が無くなってしまったら赤ちゃんはどうなるの?と考えたら、「休んでなんていられない!」と責任感が出てきました。もうここまで頑張ったのだから、無事赤ちゃんと会いたい気持ちからか、良いいきみができるようになりました。陣痛の合間の休憩では、皆が私の気を紛らわそうと、色々楽しい話をしてくれました。それに皆さんが私の呼吸に合わせてずっと「フー・ウン」と一緒に言ってくれているのです。これだけでも、1人でお産に望んでいるのではない。という勇気と元気が湧いてきました。途中、先生に「一度赤ちゃんを触ってみる?」と聞かれ、次の陣痛の時に右手を消毒して触ってみたら、頭の一部がポコンと出ており、髪の毛があることまでわかった。赤ちゃんも苦しいのだから、私も頑張って早くこの世界に出してあげなくちゃと思えました。
10時25分くらいには、自分でもだいぶ「ウン」のやり方がわかってきた。早く出してあげたいという気持ちが、長く陣痛を続けさせてくれたのか、かなり赤ちゃんが出てきたのだろう。先生から「赤ちゃんが出てきたよ!次はファー・ファーの呼吸!これからは力を抜くところだからね!」と言われた。(赤ちゃんの頭が出き切るときには、絶対に力んではいけないらしいのだが、皆、ここで力んでしまうから、会陰がさけて血まみれの赤ちゃんになってしまうんだそうです。)絶対に力んではいけない!と思いながらも、力まずにはいられない・・・頑張って力を抜くように手を蝶々みたいにフワフワさせて力を抜くようにした。ファーファー呼吸を続けていたら、いつの間にか産まれていて、私のお腹の上に赤ちゃんを乗せてくれた。すぐ「おぎゃー」と泣いてくれて、しばらく抱かせてくれました。先生に「出産の時間を自分で言ってごらん。」と言われ、時計を見たら10時35分だった。(これは経産婦さん並の出産の速さだとか)
それから、しばらく先生がお腹をさすって胎盤が出てくるのを待っていた。30分後くらいに、ドロッとしたものが出てきて、「凄く綺麗な胎盤だわ。」といって見せてくれた。赤ちゃんと同じ大きさほどある、血管が透けて見えるグロテスクなものだった。赤ちゃんが体内にいる間は、心臓の右心房から左心房を繋ぐ卵円孔を通って或いはボタロー氏管を通って血液が流れていますが、肺呼吸の開始と共に、この卵円孔もボタロー氏管も、もう通る必要がないので一定の時間をかけてこれを閉鎖してしまい、左心房から肺への流入が順調に行われるようにしようという仕組みになっているのです。これらの通路を閉鎖して血液循環を順調に切り替えさせるためには、1時間40分の間、産児を裸体のまま寝かせてそのままにしておくことが必要なのです。
現在、子供の心臓障害による手術が増えいているのは、産児がすぐに産湯をさせられ体を温められるため、血管が膨張し心臓への血流が激しくなって分娩による血液循環の仕組みの切替がうまくいかないことが原因なのです。だから、産まれてからへその緒をつけたまま1時間40分以上放置し、その後、産湯に入れる。私の赤ちゃんも1時間40分放置させた後、温冷浴をさせてへその緒を主人が切りました。赤ちゃんは2995g、胎盤は550gでした。
母乳はしばらく出ないので、その日の夕方から、カニババ(胎便)を出すために赤ちゃんにほ乳瓶でスイマグを飲ませ断食させます。私も綺麗な母乳を出すために48時間断食をするのですが、一日に2回りんごが1個分出てきました。
次の日には、赤ちゃんからカニババが出始めました。真っ黒でタールのようなべっとりとしたうんち。飲んだ羊水の老廃物が、赤ちゃんの腸に残っており、それが出てきたのです。腸は空っぽじゃないと蠕動運動しない。だから赤ちゃんに断食をさせてこのカニババを出させるのです。(というか断食させるために母乳がすぐは出ないようになっている)なのに、今のお産は、産後すぐに粉ミルクを与えてしまうから、このカニババが出きらずに腸に残ってしまう。これがアレルギーを引き起こす一つの原因なのだとか。
現在、自然分娩は流行だから、助産院や病院でも自然お産をしている人は多いと思う。でも私が出産した助産院のように、産後1時間40分放置することや、母乳が出るまでは粉ミルクも与えない、という西式出産をしている所はないので、片道40分かけて通わなければならないこの助産院での出産を決めたのでした。遠いな・・・と思っていたけれど、聞けば、各務原や静岡からも通っている妊婦さんがいるのだとか。私は近い方で、本当に幸せだと思う。
産後の私の体調もよく、出産のことを友達に話せば、会陰が切れていないことに皆驚くのです。友達は、肛門まで裂けて、座ることはもちろん、歩くこと、顔を洗うために前屈みになることもできなかったのだそうです。
私は、最後少し力んでしまったらしく、擦過傷になっていたらしいのですが、座るときに少し痛むくらいで、次の日には痛みもなく普通に生活できていました。
現在、1度目の出産がトラウマになり、2人目は怖くて産めない、ということをよく耳にします。きっと、「会陰は切らないし、切らせない」という考えや、お産の間、ずっと立ち会ってくれるような助産師さんのもとで産むことができれば、何人でも産みたい、と思えるのではないでしょうか。
お産は、お母さんにとって決して楽な作業ではありませんが、産まれてくる赤ちゃんも、暗い狭い道を何時間とかけて一生懸命出てくるのです。そんな無防備な赤ちゃんを守るのはお母さんしかいません。
もっともっと、お産に対する正しい知識が、女性のみならず全ての人に知れ渡ればよいのにと思います。