葉っぱ 旧友の文壇デビュー

2003年8月1日

昨年秋のこと。かれこれ中学時代から縁が切れずに親交が続いている友人から1本の電話が来た。普段と違う声のトーンから何事かと思いきや、その内容は出版社に小説を投稿したという話から始まった。そのこと自体はあまり驚かなかった。時折送られてくるメールの表現描写がうらやましいほど的を得ていてよく冗談交じりで小説でも書くよう薦めたことがあるからだ。残念ながら作品は、次点に終わったというのだが、ここまでならよくある話である。声のトーンのはここからの話を意味するものだった。次点からの選考で、出版社に彼の作品が目にとまったというのである。その話がどのくらいのものなのか計り知れないのだが、それにしても自分の作品を認めてくれる出版社がいるということはすごいことなので手放しで賛辞を贈ったのだった。
その友人とは中学時代同じクラスで水泳部、自由形で競い合った仲である。そのころから印象に残っているのは水泳での出来事ではなく、毎年来る年賀状だった。流行映画のパロディーで、正月早々笑わしてくれたからだ。これが将来の文学的才能につながったわけではないだろうが、一体いつからそんな才能が芽生えてきたのやら不思議である。その後、進む道は違ったが、気が合ったせいか何だかんだといって、方々群れをなして遊び回ったものだった。
最近では、釣りが趣味の彼の誘いで毎年の恒例で郡上八幡から富山の県境までルアーフィッシングに引っ張り出されている。夜中に出発して朝方の4時ごろから起きて川に向かう。魚のことなどどうでもいいと思う時間なのだが、急かされて眠い目をこすりながら川の前まで来ると、不思議と心境は変わってくる。川と風の大きな流れが体全体に響き渡り、五感が覚醒してくる。時間と空間が一瞬止まったような感じがしてその間、頭が真っ白になっているのを感じる。釣れる釣れないの問題ではない貴重な時間を毎年共有させてもらっている。
先月、刷り上がった初版本を真っ先に持って来てくれた。100ページちょっとの小説だが、書くのが大変なことだと毎月思い知らされている私にとって、それは長編作品と思えた。会社の慰安旅行で、偶然障害をもった女性と遭遇し、その女性が気丈で明るく振舞っている姿が目に焼きついて、処女作である作品「メタモルフォーゼ」が描けたという。今月の中旬には書店に並ぶその作品を、一冊手にとってご批評いただければ友人の一人としてうれしく思います。

「メタモルフォーゼ」著者:朝野裕之 文芸社(定価1000円)