葉っぱ 名前の由来

2022年7月30日

 昨年の九月頃、BSの番組小さな旅で、埼玉県羽生市を取り上げていました。利根川から豊かな恵みを受け、自然豊かな風景が広がっていました。中でも、江戸時代に開拓された場所が、現在は、絶滅危惧種の食虫植物「ムジナモ」の自生地となっているそうです。昭和41年には国の指定天然記念物にもなっていましたが、埋め立てや地下水の組み上げによって環境が悪化し、台風の水害でほとんど流出してしまったこともあったそうです。それを発足以来60年の保存会の方々が栽培していたムジナモで増殖させて今に至るそうです。ムジナモが生息できる環境は、水がきれいでなくてはならないという前提条件の中、長年に渡ってそれを維持してこられたということは、そこに住む住民の方々の理解や行政、保存会の方々が一体となって取り組んできた証拠なので、SDGsのまさに見本となる地域だと思います。
 羽生市では、江戸時代後半から藍が栽培されたそうです。農家の主婦が農閑期を利用して家族の衣服をつくったのが始まりといわれ、最盛期には武州(羽生、加須、行田)の一大産業となり、武州の正藍染めは、藍の葉から自然発酵建てでとった染料により染めるのが特徴で、手染めのため微妙な風合いがあり、さめるほど美しい色合いになるそうです。そんな現在でも伝統の藍染めを次の世代に伝える一人の職人にカメラが向けられました。18歳の時に、服飾専門学校で、染色職人の中島さんの話しを聞いたことがきっかけとなり、その後弟子入りして、中島さんが亡くなった8年前から5代目を継いでいるということでした。その亡くなった先代から任されたのが、藍染教室だったそうです。
 地域の子供達を招いて、以前は門外不出だった染料を開放し、藍染に触れ合ってもらうという先代の思いを今も続けているそうです。そうするうち、モノ作りだけやっていてはいいと言うわけでなく、それを伝えていくことの大切さに気づいたそうです。伝えることで、逆にこちらが教えられるということ、そして体験したことは忘れないこと、それを繰り返していくことが伝承ということなんですね。
 それから今年になって、イッピンの番組でも武州正藍染めが取り上げられ、そこではTシャツやパンツもあったため、早速申し込んだのですが、すでに2ヶ月待ち。ようやく届く頃に、なんとその藍染を扱っている仕入先があったために、シーツやソックスも頼みました。梅雨明け宣言以降、暑い日や湿気の多い日が続いていますが、寝室は西日が当たる部屋で、毎年暑さで悶々としています。ところが何とシーツをひいた日から、扇風機は回していますが、それほど暑さが気にならない。しかも、蚊が寄って来ません。防虫、抗菌、防臭などの効果があるとは聞いていましたが、自然の力とはすごいものですね。それで武士の鎧下の服や防具にも使われるようになり、その後は剣道着や足袋、袴なんかにも藍染が使われるようになったそうです。
 当店、ヘルシングあいは、31年前に保健婦の加藤ヒロ子先生が、北区に健康相談の店としてオープンされました。その頃、ヘルシングあいの「あい」は平仮名ですが、どんな意味があるのですかと聞いたことがありました。その時は、少し考えられて、愛知のあい、藍染のあい、など一つの意味ではないのように表現したかったとおっしゃっていたことを思い出しました。
 天然原料、そして発酵と、まさに日本の文化が育んで伝えられてきた藍染。それと同じように、守り伝えていくものはたくさんあると思います。一つ一つ、じっくりと丁寧に向き合っていくことの大切さを、改めて教えていただいた気がします。