葉っぱ 京都へ小旅行

2015年5月1日

 カフェメニューの開発という目的で、先月店を休みにしてスタッフと京都へ行ってきた。ただ、私には休みの関係でなかなか行く機会がなかった神社巡りという別の目的もあった。 式年遷宮を前にしてお伊勢さんを訪れた翌年から米作りを始めることになった。塩をめぐって伊豆大島や島根まで行ったことで、日本人と米作りの関わりを深く感じるようになった。共通する何かがある。 そんなことでスタッフの了解のもと、東名阪で奈良で神社へ参拝し、それから京都へと向かうことになった。後で分かったことだが、古いカーナビのせいでインターを一足手前で降りていた。しかしそれが幸いして奈良の自然な風景と、町並みをしっかり見ることができた。一番感じたのは自然とともにある日本の原風景。それが至る所に点在していた。心躍る思いだった。
  最初の目的地、大神神社にほぼ予定時間に到着した。9時頃だったと思うが、観光客ですでに混み合っていた。幸い一番近い駐車場が空いていたため、そこに車を止めて参拝へと向かった。ここ大神神社は、三輪山そのものを神体(神体山)としており、本殿をもたず、江戸時代に地元三輪薬師堂の松田氏を棟梁として造営された拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している(ウィキペディアより)。東名阪でここに向かう途中にある椿大神社も鈴鹿山系の中央に位置する高山(入道ヶ嶽)短山(椿ヶ嶽)を天然の社としている。自然への畏敬を忘れてはならないというメッセージであるともに、数百年以上に渡り守られてきた証である。 
 続いて参拝したのは石上神宮。こちらも龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、神さびた自然の姿を今に残し日本最古の神社の一つである。ひっそりと森の中に佇む厳かな雰囲気は、参拝する人々にその歴史の匂いを肌で感じさせていた。豊かな湧き水は山々を潤し、そして多くのミネラル分を溶け込ませながら川に注ぎ込む。下っていく水流は田畑や森林を潤し、そこで無限の生命を生み出し、また一方で地下水となって山頂までまるで血液のように還って行く。この自然の循環をこれらお社が証として守って来たのである。
 ここからほど近い東名阪の天理インターから京都へと北上した。その間に至るところに建設途中の道路があるのを見るに、どれだけ作れば気が済むのだろうかとウンザリする思いがした。京都の中心部はすでに渋滞してなかなか進まない。ようやく動き出したところ、大きな門構えの二条城が目に入った。人が溢れんばかりに取り巻いていた。その時、今まで感じてきた京都のイメージとはあまりにも異質なものが体から沸き上がってくるのを感じた。 美しい古都京都、古きを温めてその伝統を今日まで伝えている。今や日本の貴重な唯一と言ってもいい観光スポットである。それを理由に昨年、米国の旅行雑誌「トラベル+レジャー」で世界の観光都市ランキングで1位に選ばれている。日本の文化に触れることができる格好の場所に違いない。しかしそれでも奈良で見たそれと違って、威厳のある寺や仏像も言い方は悪いが人工物である。時の権力者が作った象徴といっても差し支えないだろう。奈良で無限のものに触れてしまった今、有限のものを限りなく無限に近づけようとする人間臭さをこの時感じていた。
 この日本という国は自然の宝庫である。その自然の恩恵を敬い、万物に神様が宿るという八百万の神々の精神こそ、本来の日本人が持つ文化だったに違いない。今回の小旅行は、日本というこの国を知る意味で大変有意義なものとなった。