葉っぱ 反骨のコツ

2012年7月1日

 東京大学の准教授で音楽家そして指揮者でもある伊東乾氏を知ったのは昨年の震災後のこと、ネット上に掲載されていたコラムに目がとまったのがきっかけだった。以前もこの経緯について書いたことがあるが繰り返すと、当時の原発の状況を、知りうる限りの情報の中から精査して、正しく怖がることの大切さを伝えていた。メディアではえせな学者をとっかえひっかえ使って、なるべく安心させようをしたため、かえって見る側の不安をあおる結果となった。混乱する中で一番必要なことは何か。現在の状況を、できるかぎり正しく知ることだ。その簡単そうで難しいことを、ネット上で、そしてリアルタイムでツイッターで、許す限りの時間を使って発信していたのがこの方だ。それ以来、親しみと尊敬をもって記事を拝見している。また、その方の著書も取り寄せては読んでいた。その中で、とても人事ではないと感じたのが「反骨のコツ」という本にある内容だった。刑訴法生みの親である団藤重光氏との会話形式で書き下ろされたその本は、裁判員制度から死刑制度まで、刑法を軽くあしらうことのできないとても重い責任があることに気づかされた。先月、98歳で亡くなられた団藤氏を偲んだ記事が中日新聞にも大きく掲載されていた。中から少し抜粋させていただく。
  「人殺し!」という叫びが、「刑法の父」と呼ばれた法律家の生き方を変えた。一九七六年に開かれた殺人事件の上告審判決。二審の死刑を支持する判決を最高裁小法廷が言い渡し、五人の判事が退廷する時に傍聴席から声が上がった▼直接証拠はなく一貫して否認だった。状況証拠は犯人を示しているように思えたが、陪席判事だった団藤重光さんは「本当にやったのだろうか」と引っ掛かっていた▼傍聴席からの罵声ぐらいでは驚かないが、確信を持てなかっただけに胸に突き刺さった。この経験が、立法で死刑を廃止するしかないと考える転機になった。
 人間は人間に「死になさい」とは言えない。その単純な事実に、自分が死刑宣告をする立場になって、初めてはっきり気がついたという。とても重い話しだが、裁判員制度がある以上、この重い宣告を一般の国民にも負わせることになるのだ。元最高裁判事も人間、そして裁くのも人間なのである。 それに引き換え今行われている裁判はどうだろうか。警察から送られてきた事件を起訴するかしないかを決定する検察が勝手に事件を作って犯人に仕立てたり、名張毒ぶどう酒事件では、審理は無罪から死刑、再審開始決定から取り消しへと司法判断が大きく揺れて半世紀に及んでいる。それでも名古屋高裁は、奥西死刑囚の再審開始決定を取り消した。本来、証拠を示す立場の検察が、それを隠して公表しないなど、税金を使った詐欺行為と思われてもおかしくないことが平然と行われている。そんな非正義が横行する中で、人が人を裁くということは本当に大変なことである。それが他人事ではなくなってきたのだ。一度じっくり一人一人が考えるときがきている。反骨のコツを学ぶのに今が良い機会だと思う。おすすめの一冊である。

参考著書 「反骨のコツ」朝日新書 團藤重光 伊東乾著  中日新聞 中日春秋