葉っぱ もう一つの中日巨人戦

2011年10月1日

 過去に巨人の連覇をことごとく阻んだチームと言えば、地元の中日ドラゴンズだ。先日、落合監督の退団が発表されたが、今年も堂々2位につけている。辞めるのを惜しむ声が方々から聞こえるのも無理はない。思えば私はいつから中日のファンになったのだろう。きっと物心がついたときからに違いない。狂ったような父親の応援の影響以外には考えられないのだ。でもなぜ、だれもがあこがれた王や長島率いる巨人が好きにならなかったのか。もっと言うと、巨人さえ負ければ良いと思うほどアンチになっていたことが不思議でならない。憎いほど強いという言葉があるが、きっとかつての巨人は、子どもがそう思うくらい強かったのかもしれない。幼い頃の記憶を辿っていくと、違った意味で現在の現象が当てはまっているのを感じる、
 なぜ、巨人は憎いほど強かったのか。子どもの頃、テレビで釘付けだったアニメと言えば、巨人の星である。だれもが一度は将来野球選手になりたいと思ったに違いない。それも巨人のユニフォームを着る夢だ。自由競争で勝ち取った選手を揃えて9連覇を成し遂げた強いチームに憧れを持つのは当然である。強いチームにはファンがつく。周りは巨人ファンが多かった。それに拍車をかけたのがこのマンガだろう。当時、週間読売に連載され、さらに読売テレビでテレビアニメ化され、その映像は十分すぎるほど誰の目にも焼きついたのだ。それに対する反発は、きっと自然の作用に違いない。ドラフト制度ができて戦力が均衡になった。ところが、強者は永遠に強者でいなければならない事情があるらしい。そのドラフト制度という約束事を犯してまで選手を獲得しようとした江川事件である。この交渉権が認められなければ新リーグを作ると子どものようにダダをこねた話しは有名だ。その人物こそ、原発を日本に持ち込んだとされる正力松太郎氏を父に持つ、当時の巨人のオーナーで、氏の長男である。ここまで話しが進んでくると、何が言いたいのか分かっていただけるかもしれない。誇張が入るのをお許し願いたい。巨人は、強くなければいけなかったのである。それが読売新聞の発行部数につながり、テレビの視聴率につながっていったのだ。高度経済成長期の経済の強さと巨人は一体だったのだ。現在の読売新聞の発行部数は、約一千万部、その強さをバックに、原発推進を公然と言い始めた。ようやく正体を現したのだ。永田町を取り巻く記者クラブやメディアは、大臣の失言一つで攻め立てて辞めさせることなどわけのないことを明らかにした。電力をめぐっての仁義なき戦いは、国民に選ばれた大臣をこけ落とすことを厭わないのである。それも日本人がマスコミの報道に対して60%以上の信頼を置いているという数字に基づいているからやれるのである。一方、アメリカではマスコミへの信頼度は30%程度だと聞く。日本では、マスコミがひと言、「悪」といったら、そうかな?と思ってしまう人が単純に過半数に及ぶのだから、やるせないが民主主義では仕方がないのである。
  9月19日、震災6ヶ月目の節目に、大江健三郎氏が中心となって「さようなら原発5万人集会」が東京の明治公園で開かれ、約6万人が参加したという。このニュースを大きく取り上げたのは、地元中日新聞、そして東京本社(東京新聞)である(読売は一切掲載がなかったらしい)。脱原発を早々に掲げた数少ない新聞社だ。発行部数約350万部は、読売、朝日に次ぐ。地元の根強いファンに守られているがゆえ、スポンサーの影響も少ないのだろう。購読者が本当に知りたい情報を提供していると感じる。それでも読売の購読者の半分にも満たないのである。食べ物しかり、電化製品しかり、新聞もしかり、企業を買い支えているのは、私たち一人一人なのである。その一人一人の選択が、私たちの未来を決めていく。もう一つの中日巨人戦はすでに始まっている。正直者が馬鹿を見ない世の中のために、もう一度身の周りのものを見渡してみる数少ない機会を私たちは与えられていると感じる。
 先日、「降りて行く行き方」を一年ぶりに見た。「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから始まる」という言葉が深く胸に刻まれた。