葉っぱ オフセット

2008年5月1日

 オフセット「offset」は英語で「差し引き計算する」という意味で、あるデータの位置を、基準点からの差(距離)で表した値のことをさすとき用いられるそうだ。ある時、カーボンオフセットという聞きなれない言葉を使って結婚式をしているというニュースを見た。結婚式、披露宴、そしてハネムーンから排出されるCo2を、クリーンエネルギーなどにより削減されたCo2とオフセットし、バランスをとることによって、地球環境に負荷をかけない結婚式、披露宴を実現するらしい。
 カーボン・オフセットとは、企業の営利活動の中で排出される二酸化炭素という環境へのマイナスポイントを、二酸化炭素を吸収するような活動やそれらへの投資によって、『差し引く』、というような意味合いで使われているそうだが、腑に落ちないと感じるのは私だけだろうか。普段どおりの結婚式をしておきながら、どこか分からない国で行われるCo2の削減で差し引きされ、今日の結婚式は、環境負荷のかからない式であると豪語するのである。本当に環境のことを考えるなら、交通機関の便利なところを式場にすればいい。華やかなシャンデリアに電気を灯すのも半分にすればいいし、エアコンも使わない。招待客へのビールも、環境の負荷を考えて冷やさない。出されたものは残らず食べてもらうか、持ち帰ってもらい、ゴミを出さない。来場者に不自由を感じてもらうことが、地球環境を本当の意味で考えてもらえるきっかけになるのではないだろうか。それを、不自由さを何でもお金で解決するといった考え方は、単なるエゴのように思えてならない。一方的な言い方をしたが、この資金は、途上国の養豚場から廃棄される糞尿を使って、バイオマス事業で発電するといった試みなどに利用されている。大いに意義のある話しなのだが、不自由さなくして環境を考えるような発想の普及は、かえって環境の弊害になりかねない気がしてならない。
 小さい頃、よく両親に言われたものである。無駄な電気をつけるな。出したものは片付けろ。残さず食べろ。子どものときに教えられた躾(しつけ)は、なかなか身になるまで時間がかかるし、不自由さを感じるものである。しかし、躾という文字が身体が美しいと書くように、ささやかながらでもゆくゆく環境を考える原点につながると、ふと思うのだが。