葉っぱ 誇り

2008年4月1日

 「ヤクニン」という日本語は、この当時、ローニン(攘夷浪士)という言葉ほどに国際語になっていた。ちなみに役人というのは、徳川封建制の特殊な風土からうまれた種族で、その精神内容は西洋の官僚とも違っている。極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと、「上司」という言葉を使い、「上司の命令であるから」といって、明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる・・・・。
最近読んだ本からの抜粋である。150年も前の明治維新のころの話しなのだが、つい最近も、このような光景を見たような気がする。さまざまな不祥事が続く年金や道路問題などで答弁しているヤクニンである。時代は変わったが、体質だけはそのまま引き継がれたとでもいうのだろうか。300年もの間続いた徳川時代が事なかれ主義で瓦解したのと同じように、今は、平和ボケの事なかれ主義で、国の足元が揺らいでいるように思える。
 事なかれ主義が横行すれば、何事においても足の引っ張り合いになるのは目に見えている。山積している問題を片付けようとするだけで、余計な仕事になると先送りするようなことが行われからだ。名簿をしまい忘れたといった薬害問題を始めとしてヤクニンの答弁は、それを顕著に表してはいないだろうか。責任を擦り付け合い、だれも自分で責任を取ろうとしない「上司」が、人の上にたってふんぞり返っている以上、ヤクニンの体質は変わることはないのではないか。
 サービスやお役立ちとは、見えないところに目を見張るという仕事の誇りの部分である。その誇りが、国や企業を支える礎になってきた。国を変える維新の原動力になった高杉晋作は、役職を拒んで書生を貫き、28歳という若さでこの世を去るが、「おもしろき こともなき世を おもしろく」という辞世の句は、巨大な藩や幕府のヤクニンを相手に、世の中を引っ掻き回し、大暴れした満足感が伝わってくると同時に、誇りを見せつけたともとれはしないだろうか。

「すみなすものは心なりけり」とは下の句で、看病していた野村望東尼がつけたという。

抜粋・・「世に棲む日日」司馬遼太郎著