葉っぱ もったいない?

2007年12月2日

 先進国で唯一、自給自足が出来ないわが国は、食料自給率(カロリーベース計算)が40%を割り、60%を輸入に頼っている。にもかかわらず、1年間に食品の廃棄量は、2154万tと言われる。下手をすると、作っても半分以上が捨てられているような状態だ。世界各国で、食糧難を危惧する声が高まっている。そんな中で、今年は食べ物のニュースで明け暮れた。中味の偽装から始まって、老舗の表示偽装で片付いた。百貨店のショーケースには、物がたくさんないといけないというような常識を覆し、老舗なら老舗らしく、売り切れ御免で当たり前のことをしていればそうはならなかっただろう。偽装は問題だが、メディアもメーカーの失態を追及するだけで、そうなった流通の経緯には触れようとはしない。これでは問題の根本が何であるかが分からなくなるだけでなく、氷山の一角を見せしめに叩いただけで、結局、食料廃棄というゴミだけが、絶え間なく捨て続けられ、問題は全く解決されぬままになってしまうのではないだろうか。
 寒さが少し落ち着いて、絶好の紅葉日和だった先月の末ごろに祖母が他界した。その翌日、葬儀に参列するため、久しぶりに帰った長野は、逆にとても冷え込んでいた。明治44年生まれ、今月で97才になるところだった。9月の終わりに軽い脳溢血で倒れてからは、点滴だけで2ヶ月生き延びたそうだ。幼い頃に、粉から手づくりでうどんやラーメンを作ってくれたりした思い出が蘇ってきた。大きさがまちまちで、うどんなんだか、ラーメンなんだか記憶にないが、祖母がうどんといえば、うどんと思って食べていたのだろう。それでも、その味が美味しかったと記憶の片隅にあるから不思議である。今手元にある材料で、魔法のように一つの料理にしてしまう祖母に、あれを作れ!これを作れ!とぐずったものである。明治、大正、昭和、平成と、日本の動乱期を生き抜いた貴重な話しも結局聞けずじまいで終わってしまった。ただただにっこりとした笑顔だけが、思い出される。
 温故知新という言葉があるが、古きを温める間もなく、新しいものを受け入れ、古くから大切にされていたものが、どんどん忘れ去られようとしている。古きを導いてくれた祖母や祖父の存在が、家庭からどんどん遠ざかって行くからではないだろうか。もったいないという言葉が流行語になったりしたが、もったいないの意味を教えてくれる人は、いつまでこの地にいるだろうか。