葉っぱ ちょっと一服しましょ

2003年12月1日

例年より遅い紅葉が、ようやく町を色づきはじめました。陽気は冬を感じさせないのに、年の瀬はゆっくりと近づいてきます。四季を感じることが薄れる分だけ、一年のスピードが速くなっているように感じます。
自分でもよく飽きないなと思いながら見る映画に寅さんがあります。先日もテレビで放映しているのを何気なく見ながらいつもと同じ結末までついつい付き合ってしまうのですが、こういう話しを翌日スタッフにすると決まってバカにされています。
「男はつらいよ」は、1969年のいざなぎ景気の時が第一作目。当時を象徴する日本列島改造論から逆行するように、寅さんのゆったりとした歩幅は長い年月をかけて日本中を駆け巡ったことになります。高度成長から次第に失われていく町並み、下町の人情を映画に刻み込んで言ったことがいまでも多くのファンを釘付けにしているのだと思います。
その時代が抱える問題を織り交ぜながら、それを飲み込んで生き方を通していくというのは本当の意味での自由人なのかもしれません。この正反対の生き方がある種の憧れなのでしょうか。
今の時代、大店舗の波はますます大きくなっています。一日楽しく遊べて買い物ができるレジャー並みの店舗に人の波は吸収されていき、逆に、地域の商店街はどんどん閑散とし、町並みはまったく変わりはて、行き交う人間関係はますます乏しいものとなり、個人はますます孤立化をたどっていきます。孤立化は益々進み、同様に犯罪は増加の一途をたどっていきます。複雑と思われる問題は、一面で監視してくれる周りのやさしい目がなくなったからではないでしょうか。
「おい少年!」暗い影を持つものにやさしく声をかける寅さんのような柴又の町並みが消えていくことで、物の豊かさを得た半面、心の豊かさが失われつつあります。経済大国であり、反面、自殺大国の汚名をきせられているわが国は、今度は、世界で一番安全な国から危険な国へと変貌しています。「時代の波に乗れないことは悪いことではない。本来の人間の姿を見失うことこそ問題」と語る山田洋次さんの思いがこめられた映画「男はつらいよ」を年越しに見て、一息ついてみませんか

『小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草もしくによしなし
しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色はづかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて』     島崎 藤村