葉っぱ 旧暦のすすめ

2015年2月1日

 今年のはじめ、カンボジアでオーガニックの黒胡椒を作っている日本人の倉田さんとお話しできる機会があった。こんなことを言っては失礼だが、もともと黒胡椒にはあまり興味がなかった。しかし使ってみたらビックリ、この香りの素晴らしさの虜となり、早速当店でも扱わせてもらっている。実はカンボジアの胡椒は60年代にはフランスをはじめとするヨーロッパで最高品質として有名だったそうだ。歴史も古く、すでに13世紀の後半にはすでに中国にも紹介されていたという。しかし70年代からの内戦により農園は壊滅され、人々の記憶からも消されてしまった。その過去の特産である胡椒をカンボジアの産物の中では初めて「国内オーガニック認定」を取得したのがこの倉田さんである。
 前置きが長くなってしまった。そんなことで話題は当然カンボジアのことになり、お正月の様子を伺ったところ、暦上の新年とは別に4月中旬に本当のお正月があるということだった。しかも西暦は使わないらしい。仏滅(ブッダの没年)紀元前543年を基準とする暦法仏暦を使用しているため、今年は2558年になるそうだ。西欧列強に翻弄され、さらにはアメリカとのベトナム戦争と、その傷跡は如何許か計り知れない。しかしその中でもなお自国の暦が息づいている。そしてその仏暦通りに行うと農作物の育ちがいいと倉田さんはおっしゃっていた。
 昨年、私にしては珍しく西に東にとよく出かけた年だった。特に後半は西に行くことが多かったため、深まっていく紅葉を何度も目にすることができた。そのためか秋が妙に長く感じた。そんなことをお客さまに呟いたところ、太陰太陽暦では閏月が9月にあったために秋が長く感じるのは当然ですよと教えて下さった。旧暦では当然のことのようだ。これはどういうことかというと、太陰暦は月の満ち欠け(約29,5日)を基準にしているため、12カ月が354日で次の年を迎えるという計算になる。太陽暦は365日なので3年で一月ずれてしまう。そのため月を基準にしつつ太陽暦とも整合性をとる暦(太陰太陽暦)では一月を加算して調整する。その閏月が9月に2回繰り返された。西暦では11月でも旧暦ではまだ9月だったことになる。そのことがタイミングよく先月下旬に、東京からお越しいただいた先生から旧暦の話しを詳しく聞くことで、ようやく腑に落ちた。 いつ田植えをすればいいか。旧暦は農暦でもあるという。例えばタラの芽を見かけたら旧暦のカレンダーにつけておく。そうすると、毎年同じ頃に芽吹くのに気づくそうだ。潮の干満が月の形に連動する漁業でも旧暦の暦通りにサンマは降ってくるそうである。
 近代の波が押し寄せてきた明治以降、そんな素晴らしい暦を捨てて西暦を導入した。以来、自然と共にある日本の伝統行事や、農・漁・林業はどうなっただろうか。町並みはどうなっただろうか。どう見ても不釣り合いな立派な駅や施設が全国各地に乱立し、大型店舗も闇雲にでき、コンビニは犬も歩けば何とやらほどヒシメキ合って、これでどうだと言わんばかりに煌々と電気を付けて物を溢れさせている。今だに不必要なダムを作っては上流の自然や集落、川を奪い、干潟は埋め立て、海岸は護岸工事で要塞化して、大切な命を育む場所すら失いかけている。それでどうしてうなぎやしじみ、あさりが採れるだろうか。
 今の時期を旧暦の二十四節気七十二候で見てみた。
鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく)七十二候の一つ。大寒の末候。鶏が卵を産み始めるころの意。春の気を感じたニワトリが、鳥屋に入って卵を産む時候をいうとのこと。冬の節気の最後で、これを過ぎると、暦の上では春になる。 
旧暦は、時に命の営みを教えてくれる先人が遺した貴重な宝物。本来の自分に還る暦かもしれない。