葉っぱ 老いの行方

2025年1月4日

 老いとは、以前ならフツーにできていたことが、次第にうまくいかなくなり、いまでは全然できなくなる。というようなことが本に書かれていたのを読んだことがありました。最近の父親を見ていてつくづくそう思います。ついこの前まで、普通に歩けてたはずですし、洗濯物も当たり前のように干していました。野菜ジュースを作るのも担当でしたし、揚げ物を焼いてくれたりしてくれたこともありました。それが次第に、そんなことをしていたことすら忘れてしまったような、自分のことで精一杯な動き方へと変化しています。老いという言葉で簡単に表現してしまえばそれで終わりですが、人によっては、自分の身の周りのことを終身こなされる方もいます。いかに健やかに生きることが難しいことかを実感せずにはいられません。
 昨年の暮れに、デイサービスから連絡があり、父親が39℃の高熱があるため、早めに迎えに来てほしいということでした。迎えに行くと、父はほとんど自分で歩くこともできず、何とか車には乗せたものの、自宅玄関まで連れてきたところで動くことがほとんどできなくなったため、私も力尽き、救急車を呼ぶことにしました。
 市内の救急車は出払っていて、東海市から急遽向かわせるということでした。若い救急隊の方が3名駆けつけて手早い処置で救急車に運び、受け入れ可能な病院を探してからその病院に向かうということで、それまで自分の車で待機するよう指示を受けました。大高にある南生協病院が受け入れてくれて、治療から待つこと一時間。担当医の先生に呼ばれて様態の説明を伺い、インフルエンザやコロナは陰性で、検査上は問題ないとのことでした。点滴を受けているところに連れていかれ、入院までもないため、このまま帰ることを勧められました。とは言っても立っていてもふらついている状態で家に連れて帰ることは余計体調を悪化させると思い、一日でも入院をさせてもらうよう懇願しました。すると、担当医から軽い肺炎の疑いもあるため、5日間抗生剤治療をするということで、手のひらを返すように入院へと手続きが進みました。この入院の間で、そのまま寝たきりになったり、転倒して、思わぬ障害を受けることの可能性がないとは言えないので、そのリスクをすべて了解することにサインをしました。
 その翌日、妹がお見舞いに行ってくれてベットで元気そうな父との写真を送ってくれましたのでホッとしたのもつかの間、その日も病院から連絡が入り、歩いていて転倒したのか、打撲のあとが見られるといことでした。入院3日目に、主治医から話しがあるということで再び病室に向かうと、その途中で車椅子にしっかり固定された父親が、テレビのある場所に一人ポツンと一人でいるので、話しかけると、いつものようなスッキリした表情ではなく、これがあって動けないと固定されたベルトを掴んで私に見せました。歩き回ると転倒のリスクがあるから仕方がないでしょう。しばらくすると主治医がいらして、ベルトをはずしてくれて、車椅子から立って、歩くように言われると、自慢するかのように、父はスタスタ歩いてみせました。いつでも退院可能ですということでしたので、入院4日目の翌日に退院の運びとなりました。
 入院のつけは、その翌日から始まりました。毎朝のおねしょに、極度の便秘。30分に1回はトイレにしゃがむ状態が続き、スイマグの飲用の効果は4日後あたりからあまり頻繁ではなくなり、ようやく平常の状態に向かいつつあります。確かに高齢での入院の体にあたえるリスクはかなり大きなものだと感じました。
 さて、2025年の干支は、乙巳(きのとみ)。60年周期の干支の中で42番目に位置し、「努力を重ね、物事を安定させていく」という意味合いを持つ年とされています。多くの人にとって成長と結実の時期となる可能性が高いです。「乙」は未だ発展途上の状態を表し、「巳」は植物が最大限まで成長した状態を意味します。萌え出た草花がアッという間に地表を覆い、見事な花畑を作るように、何かが変わり始めるとそれが一気に広がるイメージを持っているそうです。

本年もよろしくお願い申し上げます。