葉っぱ 救民

2002年2月1日

今からちょうど165年前の2月19日、当時の幕府を震撼させる出来事が一人の男の手によって起こされます。ご存知、大塩平八郎の乱(学生時代の歴史教科書で習った事を思い出される方も多いのでは)。幕府の役人と豪商の癒着や不正を断罪し、救民を求めた幕政の刷新を期して決起した事件として有名ですが、門人の密告によりわずか半日で鎮圧されてしまいます。しかしその時彼が配った「檄文」は、大名から民衆まで密かに広く全国に広がり、日本各地で起きた一揆で大塩平八郎を名乗る者が指導者となるなどの強い影響を与えたため、やがて幕府も重い腰を上げることになります。
「天から下された村々の貧しき農村にまでこの檄文を贈る」(現代訳)という題名で始まるその檄文は「天下の民が生前に困窮するようではその国も滅びるであろう。政治に当たる器でない小人どもに国を治めさせておくと、災害が並び起こるとは昔の聖人が深く天下後生の人君、人臣に教戒されたところである・・(省略)240~250年の間太平が続き、上流の者は追々驕奢を極めるようになり大切の政事にたずさわっている役人どもも公然賄賂を授受して贈り或いはもらい、又奥向女中の因縁にすがって道徳も仁義も知らない身分でありながら立身出世して重い役にのぼり、一人一家の生活を肥やす工夫のみに智を働かし、その領分、知行所の民百姓どもには過分の用金を申付ける(省略)」と続くその内容は、不祥事にさいなまれる現在の日本を語っているように錯覚します。
先月末に行われたアフガニスタン復興支援会議において、メディアが注目した出来事の中に日本のNGOがアフガニスタン復興支援会議へ参加できなかったことがありました。どうやら一人の政治家の圧力で外務省が方針を曲げたと見るのが自然のようです。でもそうだとしたら、あの外務次官と某議員の態度はひどいものです。そしてそれを取り巻く外務省はまさしく伏魔殿?役人主導で動く外交なら、外務大臣は一体何のための大臣なんでしょうか。
その会議の成功の立役者である国連難民高等弁務官の緒方貞子氏。国連のガリ前事務総長が退任するとき、英国の有力紙「タイム」は後継を緒方貞子氏にせよという論陣を張ったくらい。「話し合えばわかりあえる関係の構築」をまさしく築き上げた緒方氏。曾祖父の犬養毅氏も大塩平八郎に惹かれた一人だったそうです。