ソチへの旅(2)
2014年4月1日
5泊8日の旅を終えて成田空港から京成ライナーで上野へ向かう車内、窓越しにぼんやり景色を眺めていると不意に体がジーンと熱くなってきた。旅の疲れかとも思ったがそうでもない。何の変哲もない町並みや田畑、古びたお寺が目に入っては通り過ぎていく。遠くの山々が青々として、小さな川でも生命が湧き出るような強さを持っている。今回の旅で感じたことを、帰ってきてから気付いたようだ。何と日本は自然が豊かで瑞々しい国なんだろうということを。ロシアという広大な国の中で贅沢なリゾート地として賑わうソチに行ってきたはずなのに、日ごろ目にする景色に心が落ち着くのである。
ソチで宿泊したのは黒海に面して建てられたホテル。一面海が広がっている。さぞかし気持ちのよい景色のはずが、いくら見ても心が踊らない。カフカース山脈を見渡すスポットはたしかに絶景だったが、周りの樹木にその息吹を感じない。鉄道や道路建設のために湾曲した川が上流に続いていた。それにそって走るバスの中からいくら眺めていても、ただ水が流れているような味気ないものだった。 情景というのは、命の繋がりがあってこそ人の心を高揚させるものらしい。冬でも7時頃には太陽が上り、四季折々に寒暖差と適当な雨量に恵まれたわが国は生命の宝庫なのである。だからこそ山の景色も無数の樹木が入り交じって人の目を和ませる。多くの生命が生まれた山からの養分で、川にも生命が宿る。
今回の旅は、こんな当たり前のことを気付かせてくれた。 世界の実に8割以上で水すら飲めない。太陽だってソチで日が昇るのは8時半を過ぎていた。この時期モスクワではマイナス30℃になるという。今年はマイナス2℃で暖冬らしいが、そんな土地では農作物すらできない。このように世界のあらゆるところで生きるために厳しい環境と戦っている。そんな一方でわが国はどうだろう。豊かな土壌で生産された食物だけでは飽きたらず、食品の半分を海外に頼り、その半分近くをゴミとして捨てている。その処理費用だけでも2兆円にのぼるという。豊かさゆえにその有り難みを忘れ、豊富な資源のある国をゴミの島へと変えようとしている。これ以上の大罪はない。
「我足るを知る」という言葉があるように、この国にいるだけでもう十分すぎるほど恵まれている。それなのにこれ以上何を求めるのだろうその欲こそがこの国で生まれた我々に課せられた十字架なのではないだろうか。すでに満たされていることすらわからず、餓鬼草紙のようにこの世をさ迷い続ける民族になってしまうのだろうか。
今年も桜が開花の時期を迎えた。美しい自然の情景は、人々に見返りを求めない。そんな生き方をしていたのがこの国の本当の民だったに違いない。
「私は地球上にこのように謙虚にして品位ある国民が存在することに深い感銘を受けた。私は世界各地を旅行してきたが、いまだかつて、このような気持ちのよい国民に出会ったことがない。日本の自然や芸術は美しく、深い親しみを覚える」(アルバート・アインシュタイン)