葉っぱ 革命家に触れて

2013年6月1日

 世の中にはすごい人がいる。しかもそれをこんなに間近で感じたのは初めてだった。先月始めに行われた南山大学での講演会「アフリカ独立革命~援助に頼らない自立と真の独立を目指して~」と題した島岡強氏の話しに、かつてない衝撃を覚えた。誘っていただいた方にあらためてお礼をいいたい。 
 両親から革命家になるよう育てられた。そして17歳の高校生の時に自分の生きる志を証明をするために、登山経験もないのに一人で八甲田山に登ったという。死にふさわしい場所を探して実行したのだ。行きこそ天候にも恵まれて頂上までたどり着けたが、下山するときになって猛吹雪となり、動くことも困難になったため雪洞を掘ってその中で何日もじっと耐え、猛烈な睡魔に襲われるのを自分の腕にナイフを突き立てて何度もえぐることで意識を繋ぎ止めたというから壮絶である。これらは講演の話しではなく、その時購入した本の中から抜粋している。9日目にようやく生還した彼が語った言葉を、当時の救助隊員が覚えているのでご紹介したい。
  「俺は、自分がこれから本物の革命家として生きていくんためには、一度死に行かねばならない。それで死ねば、天が俺を必要としないということであり、生きて帰れたなら、天が俺を革命家として生きろと言っているのだと思いそれを八甲田山にかけたのです。八甲田山を心から愛する皆さんにとって、自分の存在意義を天に問うために、死を覚悟して山に登るというのは、山を冒涜していると思われるかもしれませんが、自分としてはこれしかやり方が見つかりませんでした。天と皆様によって生かされたこの新しい俺の命を、必ず世界中の人々のために生かすことを誓います。(1980年1月のこと)」 
 その志が、その時からアフリカ独立革命にあったことに何よりも驚かされる。そして 生まれ変わってからの考え方がまたユニークで筋が通っている。好物や肉食も一切やめ、嫌いな野菜だけをそれも一日一食と決めたこと。その理由こそこれからアフリカに渡って飢えた十億の民を何とかしようと志しているものが飽食に慣れてはならないということからきている。
 島岡さんの講演は、何も後ろ盾のない一人の男が、ただ志があるというだけで物事は必ず動いていくという実話の発表の場だった。アフリカに渡って間もなく、タンザニアのザンジバルに腰をすえたが早いかそこで最初に出会った元漁師の人物と意気投合し、懇願されて船を作ることになる。全くやったことのない漁業に乗り出すが困難の連続。その一つがビザで、社会主義のザンジバルで労働ビザがおりるのは当時考えられなかったことらしい。しかし彼の熱意に市長まで彼の後見人になって後押ししたことや、周りの協力があってようやく1年4ヶ月後に発給されることになる。しかしその間にもスパイ容疑をかけられて国外追放になったり、4年もの間秘密警察が近辺を張り付いていたそうである。悪いことを一つもしてないんだからどうこうしようがない。いつしかそんな警察もいなくなっていたそうだ。その後も物資を運ぶために必要になって運送業をおこした。またある時日本で学んだ柔道を教えてほしいと懇願されて作った彼の道場は、今では国際試合で活躍するまで発展している。そして今回来日したのは毎年行われているアフリカの現代アート「ティンガティンガ」の原画展のためだ。これにしても全く絵に興味はないが、絵を世界に紹介ればこれも彼らの収入源になる。だから貿易を始めた。
 「どんなそんな境遇の中でも、金のために仕事をした事など一度もない。人のために真剣にやっていれば周りがほっておかなくなるものだ」と淡々と話すその言葉に重みがあった。金のためにやるのか人様の役にたつと思ってやるのか、心持ちで仕事は大きく変わる。確かにそのとおりである。
 「皆さんも志をもって生きて下さい。政治や国のせい、人のせいにしても何も変わりません。自分一人からまわりを変えてやろうという意気込みで取り組んでください」・締めの言葉が心に響いた。
 志とは、心に決めた目標、目的、信念。相手を思う気持ち。人に対する厚意(語源由来辞典より)
我が国で死後になりつつある「志」という言葉。その言葉をこの日ほど新鮮に聞けたことはない。
33年も前の八甲田山で語った島岡さんの言葉は今も生き続け、より光り輝いていたに違いない。

参考著書「我が志アフリカにあり」島岡由美子著