葉っぱ 慈慈の邸のオープンに寄せて

2012年6月1日

  ゴールデンウィーク始め、2日間の連休を使って千葉県にあるブラウンズフィールドに行ってきた。交通機関を使ってもけっこう時間がかかる場所のため、あまり長距離運転は好きではないが車で行くことに決めていた。行く数日前、たまたま一緒に食事をした友人にこの話しをしたところ、是非行きたいという。不思議なもので、そこ行くときは必ずサポーターが現れる。前回も当店のレジシステムを担当している方との酒の席で、何の関係もないのに急に運転手を買って出てくれた。なぜそうなったか本人も良く分かってなかったようだから不思議なご縁はあるものだ。
 今回行こうと思ったのは、自分の思い込みから生じたものだった。4月中旬のこと、久しぶりに中島デコさんにお会いできる機会が持て、新しくブラウンズフィールドの近くにオープンする宿泊施設「慈慈の邸」のことについていろいろとお話しを伺っているうち、これはオープンまでに人手がいるに違いないと感じた。デコさんから、来なくてEメールを送ってきたが、行ったもん勝ちで乗り込んでしまった。
 大きな古民家には、たくさんの業者さんが入り込んで完成を急いでいた。幸いやることが結構あったため、男の2人工は少しは役に立ったと思う。一日中ウグイスの声を聞きながらの滞在は、至福のひと時だった。あるのは庭師さんが切るはさみの音や、大工さんの木を切る音で、電子音から開放された空間だ。埃の染み付いた廊下は、拭けば拭くほど木のつやが現れてきて味わいのある色となった。手伝いに行ったのか癒されに行ったのかそのうち分からなくなってしまった。
 慈慈の邸がオープンする日は、デコさんの長女である子嶺麻さんの初の料理本出版日でもあった。そんな繋がりから、以前デコさんが話していたことが頭に蘇った。自然な自由な暮らしがブラウンフィールドにありながら、普通の暮らしがしたいといって、子嶺麻さんが家を飛び出した時の話しだ。人間誰しもないものねだりのところがある。隣の芝生は良く見える。彼女もその都会暮らしにあこがれて、晴れてOL暮らしをしていたことがあったそうだ。全く相反する世界に飛び込んだときにどう感じただろう。あこがれや夢が広がっただろうか。普通なら当然そうだと思うのだが、彼女の場合はそう感じなかったのかもしれない。束縛されるストッキングやスカートを脱ぎ捨てて、またブラウンズフィールドに戻ってきたそうだ。その彼女が今、その聖地を切り盛りしている。
 戻れる場所があるというのはなんと素敵なことだろう。昔はそんな場所が山ほどあった。私も毎年長野に帰るのが楽しみだった。いつ行っても変わらない風景、時間がその場所だけ止まっている。だから人間は幼い時の自分に戻れるのではないだろうか。そんな心の故郷を、平気で壊してしまうことをずっとやってきた。もはや自分達が戻れる場所もなくそうとしているのだ。心の平安まで金勘定と引き換えにして、ほんとうの安らぎが得れるのだろうか。毎朝NHKの世界遺産を見ながら、その地で誇りを持って今までの暮らしを受け継いでいる映像に、世界も大事だが、日本の風景を守っているところにも光を与えてもいいのではないかと感じる。自由という厳しい世界を手に入れたブラウンズフィールドに、もう一つ夢の空間がオープンした。皆さんも、童話の世界に入ってみませんか。きっと入った瞬間に、そう感じるはずですよ。

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