葉っぱ おかげさまで20周年

2011年7月1日

 今年で開店して20年、それは大切な店を故加藤ヒロ子先生から引き継ぎ、はや15年が経ったということを意味する。正直、よく続いたと思う。子どもから大人への節目、成人になるまでの紆余曲折と同じように、多くの失敗と、周りの方々のあたたかい目に守られ、ようやく一人立ちできる年令を迎えた実感がある。経験したことないことばかりで失敗の繰り返し、あの時こうしていれば、というセリフを何度自問したことだろう。それも今になってしまえば、失敗なくして自立はありえないという簡単な言葉に行き着いてしまう。なんでも経験してみなければ身につかないのである。一通りのことを経験すると、今度はそれを教える立場になる。世の中そう回ってるんだと感じるようになるのにそれ相応の年数がかかるようである。 ヘルシングあいは、1991年、西式甲田療法を指導する店として、保健婦だった加藤ヒロ子先生が開業した。その当時はバブルが崩壊したとはいえ、空き店舗が見つからないほど好景気に沸く最中だった。グルメが主流を占める中、それとは逆行する「食べすぎが病気の元だ」という指導は、大変だったにちがいない。玄米を食べているだけで変な目で見られた時期だった。この偶然ともいえる加藤先生との出会いによって、今の私がある。そして西式という民間療法を学んだことが大きな力になったと思っている。西式は、健康法という大きな枠で捉えられているが、本来なら医学として認識されるものである。なぜならその検証は、血液循環から、血圧、骨の性質、体の姿勢から体貌まで及び、一貫して自らの主張を、膨大な世界の学説や、臨床から実証してみせたものだった。そして、その内容は、現在に至っても古さを感じさせない。それが意味するのは真の医療だからに違いない。それに引き換え体を部分しか見ない現代医学は、混迷を極める一方である。今だに新薬さえ風邪一つ治せないのである。
 3月に起きた震災から3ヶ月以上が過ぎた。今だに収束の目処がつかない原発が、復興の足かせになっている。この危険性が世界中の人々に伝わったことが唯一の救いであることは間違いないが、いつの時代も、情報はスポンサーのご都合で作られることがはっきりした。本当に知りたい情報は、お金を出してでも自ら求めないと何一つ入ってこないのである。この危険性が、少しでも認識できていれば、この小さな国土に54基も原発は作られないだろう。それが今は、地雷のように全国に散らばっているのである。その上、放射性廃棄物の行方も他人の空事である。知らないということは恐ろしいことだ。家や土地を奪われることも知らずに、信用して財布を預けているようなものだからだ。
 医療もしかりではないだろうか。B型肝炎訴訟の和解が最近合意された。国の過誤によって感染被害を受けた被害者を救済するのは当然のことであるが、医薬品の認証に携わる経緯などは、誰も知る由もない。専門的なことだからいう必要がないのだろうか。本来、自らの体に入れるものなら、余計疑ってかかった方が良いのではないか。被害者になっても後の祭りである。私自身、定期健診は20年以上受けていない。今後もするつもりはないし、外傷以外の病院にはお世話になるつもりはない。体調は、自分自身が一番よく分かっているつもりだ。
 最近分かったことは、病気に重度があるように、健康にも健やか度があるということだ。健康になればなるほど自由自在になる。その基本は、もちろん食であり、運動である。皆様の健やか度を上げることに貢献できるよう、私自身もその角度を上げて行きたいと思っている。