葉っぱ 自然食品ってなに?

2002年10月1日

郡上のナー八幡出ていく時は(ア ソンレンセ)雨も降らぬに袖しぼる~。郡上八幡の盛大な踊りおさめが終わると、季節はいつしか秋。今年の夏も猛烈な暑さが続き、心身ともにくたばりそうでしたが、何とかもちこたえたようです。実りの秋を迎え、これからたくさんの野菜や果物が店にも並ぶのが楽しみです。そんな時節、無許可の農薬を使用したことが大きなニュースとして取り上げられました。偽装ラベルの次は、輸入野菜の無許可農薬、今度はわが国においても偽装農薬か・・と憤懣やるせない思いがしますが、農薬は使用する側も、それを食べる側も、さらには土壌にも影響が大きいはずです。モラルはいったい何処へ行ってしまったのでしょうか。
自然食品という言葉は今だから定着した言葉のようになっています。しかし、考えられた当時にその言葉の意味を考えると何だか不気味な感じもします。自然食品でないものは不自然な食品なのでしょうか。毎日の食卓に飾られる品々に、いつしか不自然に作られたものが上っているとでもいうのでしょうか。考えてみれば食卓に季節感が失われ、どこで収穫されたものかも考える必要がないくらい便利な世の中です。しかしその反面、その消費者の要望で、生産をより効率よくすべく農業も変貌したと言わざるを得ません。有機無農薬栽培は理想とは言われていても現実的には農家全体で0.01%程度と言われています。それだけマイナーなのはやはり非効率だからだからでしょう。「自然まかせで灌水も控え、虫の食害も自然の分け前と開き直る・・・ある意味超然としていないと続けられません。農薬をかける農家だけを攻めるわけにはいかないのでは」とは、ある生産者の声です。
生産性をだけを求めた生産者と利便性だけを求めた消費者の共に責任があると語っているように感じます。本来、距離の近かった生産者と消費者の関係が、経済成長の影でますます引き離され、その距離は到底縮まるようには思えません。
諸問題を期に、どれだけ生産者と消費者の距離が縮まるか。その距離が縮まれば縮まるほど自然食品という言葉から「自然」が取れる日が近づくのではないでしょうか。