持ち場
2001年3月1日
明治43年4月15日。今から91年前にわが国の旧日本軍、第六号潜水艦が試験潜航中に沈没し、艦長はじめ乗組員17名全員死亡という痛ましい事故のドキュメントをNHKで見た。奇しくもあのタイタニック号のちょうど2年前の出来事となる。この潜水艇、旧日本軍の製作した試験艇だったそうだ。そのため乗組員全員、脱出より艇を救うことを最優先し、決死の努力を試みたが、自力浮上かなわなず、最悪の結果をもたらした。
この種の事故の際、引き上げた艇内は、言葉にできない惨状を呈しているのが諸外国の場合の多くの例に見られた。それに対し、この第六潜水艇の場合は、総員が整然と持ち場についたままの姿で発見されたため、世界的に大きな反響を呼び、各国の潜水学校の教育で、現在でも尊敬すべき潜水艇乗りの姿として伝えられているという。なかでも、船長の佐久間大尉は、艇内において死の直前まで書き続けた遺書が見つかっている。それには、将来の潜水艇の発展の打撃にならないように、発展研究に貢献するため、沈没の原因、そしてその後の状況を事細かに筆記したものだった。
現在、世界を結ぶ空と海の航路でさまざまな問題が噴出している。日航機のニアミスによる数十人の負傷は管制塔の指示が問題となった。アメリカ原子力潜水艦グリーンヒルの衝突事故。艦長はいまだに謝罪にも応じないなど、残念ながら前述の教育された潜水艦乗りの姿とは程遠いものを感じる。
どちらも人為的ミスが惨事を招く結果となっていることに間違いはない。持ち場の仕事が遂行されないためだ。技術の進歩とともに、精神性の衰退を感じずに入られない。