葉っぱ 相馬看花「第一部 奪われた土地の記憶」を見て

2013年2月1日

  お正月明けて間もない6日に行われた上映会で、相馬看花というドキュメンタリー映画を見てきた。まずこのタイトルの由来をご紹介したい。中国の故事「走馬看花」からとられたそうで、本来は「走る馬から花を見る」、つまり物事の本質でなくうわべだけを見てまわることを意味する。しかしイラク取材中に亡くなったジャーナリストの橋田信介さんは、あえて「走っている馬の上からでも、花という大事なものは見落とさない」と解釈し、よきジャーナリストの象徴のような言葉に読みかえていた。橋田さんを私淑するこの映画の監督松林氏が、「走馬」を「相馬」と置き換え本作のタイトルとしたという。
 さっそく見た感想をブログにアップしようとしたがなかなかまとまらない。しかし今時点の心境を書き留めておくことは必要と感じたため、中途半端な状態でアップしてしまった。出演している人は被災者なのである。その方々が発した言葉が、映画を見た後も頭の中を巡っていた。後でまとめようと言いながらそのままにしてあったそのブログが、どうもこの監督の目にとまったらしい。「まずはモノが入っていない状況だったということで、入ったということでした。」というシンプルなコメントを残してくれた。それを見てはっとした。傍観者という上から目線で見ている自分にようやく気がついた。 
 東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内にある南相馬市原町区江井地区。2011年4月3日、津波と放射能汚染と強制退去で様変わりしたこの地域へ、この監督は救援物資を携えて向かった。映画をとるのが第一の目的ではなかった。被災して1ヶ月も経とうというのに、救助の手すらのびない場所があった。しかし情報を伝えるメディアは揃ってこの危険地帯を封印した。自らの手で情報を得ようとする手段を捨てたのだ。フリーランス記者からの乏しい情報を頼りに番組が作られていたのため、テープをリプレイするようなどうでもいい情報しか流れていなかった。国内でこの有様なのだから、さらに危険が伴う海外で起こっている様々な事件など分かるはずがない。だから情報が錯綜するのだろう。
 何本もドキュメンタリー映画を手がけている監督に、被災者の方々からこの現状を広く国民に知らせてくれと懇願されてカメラを回し続けたという。自ら行動を起こして入ったために、結果として広く多くの方々にその窮状が伝わったのだ。空き巣の被害をテープにおさめたのもこの映画の一部で、それまで我々が見ていたものは、混乱の中でも整然と列をなして並ぶ被災者の姿だけだった。この情報を公表したのが東京新聞と中日新聞だったそうで、それがなければもっと被害は拡大していただろう。
 映画とは何か答えや情報を提供してくれるように勘違いしがちである。また、そういうものに慣れてきたために、途中まで方言や音声の聞こえづらさに戸惑ったが、不思議なものでだんだん慣れてくるもの。いや、ひょっとしたら撮影する側とされる側の呼吸が合ってきて、その雰囲気が伝わってきたからかもしれない。座敷に寝っ転がりながら、原発のあった土地の話しを回想するあたりは、本人が、話しながらどうしてこの地に原発がやってきたのかという確信を深めているかのようだった。作られたセリフではない事実の重さが耳に残った。カメラを回す向こうには今現在の真実が詰まっている。しかし、それを切り貼りすれば、真実が偽りにかわることもある。それを見る一人一人が、過去の経験から自分のフィルターを通して受け入れていく。
 ドキュメンタリーとはいえ被災している当事者である。それでも随所に人間臭さが写っていた。そん
な「はな」と、四季が織りなす花も見落とすことなくカメラに収めることができたのも、この監督の人
柄だろう。「まずはモノが入っていない状況だったということで、入ったということでした。」
もう一度じっくり見たい映画である。