葉っぱ 膵臓がん?

2026年4月1日

 両親の実家は長野県の浅川にあり、幼い頃からお盆には必ず帰省していました。遠く離れていながらも、いつも身近に感じていた故郷です。50年前には高速道路などまだありませんでしたから、ひたすら国道19号線を走り、多治見、恵那、南木曽へと続く中山道を進みました。決まって寝覚ノ床のドライブインで一休みしていました。ここまではすいすいと走れましたが、松本の手前、塩尻付近に来ると東京からの車も合流するため、必ずと言っていいほど大渋滞になりました。一時間たっても10メートルしか進まないようなことがよくありました。早朝早く家を出たのに、そんな渋滞を抜けて長野の実家に着くのは10時間以上かかった夕方のことでした。今は高速道路のおかげで帰省時の大渋滞はときどきあるものの、昔ほど頻繁ではありません。しかし当時は、どこへ行くにもそんな渋滞が当たり前でした。私はよく母の実家に預けられました。昔ながらの大きな屋敷で、リンゴの栽培をしていたので、物置小屋も広く、その2階には信州大学に通う学生さんが住み込みで暮らしていることもありました。山の斜面一面に広がるリンゴ畑を昆虫採集で駆け回っていた記憶は今も鮮明です。今では貴重なノコギリクワガタやミヤマクワガタが巨木に群がり、ひと際大きなオニヤンマは山から流れてくる水路にいつもいました。子供にとって、まさに宝の山でした。そんなわけで、毎年の帰省は社会人になっても変わらない楽しみでした。しかし祖父母が亡くなってからは、毎年のお盆行事も少しずつ遠のいていき、久しぶりに訪れたのは、母の姉が亡くなったため父親を連れて一緒に行ったコロナ禍が明けようとしていた3年前のことでした。みんな高齢化で集うことも難しくなり、それに追い打ちをかけたのがコロナでした。今となっては、コロナウイルスをめぐるさまざまな議論が進んでいますが、日本は先進国で唯一ロックダウンを免れました。しかし、人と人の交わりを阻害する方針は、その後の医療・介護、学校から会社まで、大きな影を落としたのではないでしょうか。これから「正しい対応だったのか」が責任として問われることになるでしょう。しかしそれ以前の日常に戻るにはまだ長い月日がかかりそうです。
 以前にもお便りで書きましたが、西洋医学の歴史は意外と浅いものです。今ではAIに聞けばすぐに答えが出ますが、証拠に基づく医学(Evidence-Based Medicine) が確立したのは150〜200年程度と、非常に新しい分野です。感染症の原因が細菌だとわかったのも、たった150年ほど前。それ以前は血抜き(瀉血)やハーブ療法が主流で、効果が限定的でした。一方、中国伝統医学(漢方などの東洋医学)は紀元前数千年(黄帝内経など)から体系化されており、3,000年以上の歴史があります。インドのアーユルヴェーダも同様に数千年の蓄積です。そんな短い150年の間に、医療事故はどれほどあったでしょうか。これも以前AIに尋ねたところ、150年間の累積を単純計算すると(仮に平均20万〜25万人/年として)、数百万〜数千万規模の被害者が出た可能性があるとの推定でした。これはあくまで目安で、実際の死亡だけでなく障害や一時的な害も含めると、さらに大きな数字になります。世界全体で見れば、さらに膨らむでしょう。
 実家の叔父さんに「ワクチンは打たないのか?」と葬儀のときに聞かれました。父親にも打たせないし、私も打ちませんよ、とワクチンの危険性を熱心に説明したところ、あっけにとられていましたが、後日電話で「それまで4回打ってしまったけど、それ以降は打っていないよ。あれを打つと調子が悪くなるから、もうやめだ」と言っていました。そんな叔父さんから昨年の暮れに電話があり、また話していると、「お前の母ちゃんと同じ病気になっちゃった」とのこと。驚いて「膵臓がん?」と聞くと「そうだ」と。癌治療をしているため声も辛そうでした。そこで、ダイヤの雫とホットパッチ(生姜シップ)、枇杷の種の粉末を送り、しっかり飲むように伝えました。本も一緒に送ったのですが、返事では「ビワはがんに良いのか?」「この水を飲んでから調子が良い」「ホットパッチを貼るとよく眠れる」と教えてくれました。私の母はあっという間に逝ってしまったので、膵臓がんにもいろいろなタイプがあるのだなと、急性でなくてよかったと胸をなでおろしました。先月の終わりに電話があったとき、「俺の周りで治療している人は副作用や痛みがあるらしいけど、俺のはそういうのがないから不思議だ」と言っていました。「ワクチンに勝る人間の自然治癒力などありはしない」と、当時大勢の医者や医療専門家が豪語していましたが、毎回医療事故が起こるたびに、こういう専門家がメディアに登場して「安全安心」を強調するのがパターンでした。今回だけは、絶対に許されないでしょう。