ケヤキ並木
2016年12月1日
店の前に、北は弁天通から南は国道22号線に至る道路沿いの約1kmにわたって100本ほどの大きく延びるケヤキの木がある。樹齢は約42年だそうだ。新緑の季節には葉を大いに茂らせるため、街の景観を美しくさせる。日中は散歩する方や、園児や子供たちの通学路として地元の方々に愛されている。真夏の日差しも、どれだけこのケヤキのおかげでクールダウンされていることだろう。その反面、初冬にもなると、たくさんの落ち葉が路上一面絨毯のようになるため、それをかき集める作業が翌年の1月後半まで続く。竹箒片手に朝から落ち葉拾い、ちょうど今の時期の日課である。
この場所に移転しようと気持ちが動いたのもこの並木道が少なからず関係している。というのも、以前の店舗は41号線に面したビルの2階だったため、見上げれば名古屋高速道路で空を塞がれ、下を見れば車が頻繁に往来しているというあまり落ち着きのない場所だった。移転を考えながらこの場所に向かうのに、弁天通から浄心東の交差点を南に並木通りを車で何度も行き来した。南に真っ直ぐ続くケヤキは移転に後押ししてくれた気がしている。同様にこの並木道が気に入って転居してきたという声を、何人もの方から耳にしてきた。ところが、そんなケヤキ並木を伐採して手入れのし易いものを植え変えるという意見があがっていることを聞いたのは昨年のちょうど今頃だった。ケヤキを維持するための費用や、定期的な剪定作業、落ち葉の掃除、なかには根が成長しすぎて一般家屋に被害が出たケースなどがその理由に挙げられていた。被害が出るのは問題にせよ、それ以外のことは、木を植えるときから分かってるはずのことだ。まず伐採するという前に何ができるかを考えるのが先ではないのか。移転してきて間もないものには、そのような情報すら疎遠のまま物事が進んでいくことに、違和感を持った。
その場所に根ざしてきたものが、そこに住む人の手によっていとも簡単に断ち切られてしまう。日本のいたるところで懐かしい景観が失われていくのが、きっと今回起きているような理由なのだろう。人間の身勝手な理由で、いとも簡単に命を奪ってしまう。あまりにも短絡的過ぎではないか。その命の計りを軽くしてきたのは、高度経済成長とともに、何の苦労もなく育った我々世代の人間であり、責任である。その長い間のツケが、命の繋がりを軽くし、この国の病根として蔓延している。
ここ城西地区を中心として、今年行われた住民への意見収集の結果、ケヤキ並木の存続が決まった。ケヤキ並木の存続に大きな影響を与えたのが、この並木道通りに住む人たちではなく、その周りから離れて住んでいる人だった。存続させるにあたって、この並木道を守る会が結成され、ケヤキ通りを消防団の方から、子供会、近隣住民の方みんなで掃除をするということが決められたそうだ。
日曜日の早朝、元気な声が聞こえてきたと思ったら、大勢の子どもたちが店の前を歩いていった。外に出てみるとご高齢の方と混ざって落ち葉拾いを手伝っていた。ここ城西地区は、高齢化が進む街として近い将来の日本の縮図ともいわれている。冬の期間限定とはいえ、ケヤキを通して様々な年齢の人達の交流が始まった。バラバラになっていたものが、いつも変わらず佇んでいるものによって一つになれた。冠婚葬祭時には親戚一同が集う皆の故郷のようなものではないか。そんな心の故郷を、決してなくしてはいけない。