葉っぱ 選挙応援を終えて

2017年11月1日

 年の瀬が迫ってきました。今年はこの歳になって、初めて体験することが多い年になりました。先月は、選挙応援に、地元や名古屋ではなく時間の許す限り設楽町まで行ってきました。ポスター貼りから、ポスティング、選挙カーでのウグイス嬢ならぬカラス◯?、デンカツ(有権者に直接でんわ掛けをすること)に至ることを体験して、一気に選挙が身近になりました。選挙はカネがかかると言われていますが、確かに掛けようと思えばいくらでも掛かる。選挙カー然りであの大きな看板を車に着けるのにも相当な費用がかかるそうですが、それだけではない。事務所もいるし、人の手配も大変です。今まであれほどうるさいな~と思っていた選挙カーも、知ってもらわないといけないから名前を連呼するのも気持ちが分かります。色々と選挙を見る目が変わりました。本来は、何故選挙に出るのか。自分ならこんなことが出来る。などを有権者に伝えることがいちばん大切なことに違いないのに、公示日から投票日までが一週間足らずでは、よっぽど用意周到に準備しなければ出来ないことです。公選はがきやポスティングだけでは限界があるでしょう。ですから多くはすでに組織されたところに票が集まるのが自然な流れとなってしまっています。既存の政策を推し進めてもすでに限界が見えている。それは誰しもわかっていることですが、それを声にした人に気づかない。大きな選挙という舞台の造作に、紛れ込んでもがく立候補者と有権者は無数にいるのではないでしょうか。
 衆議院選挙も、ほぼ予測通りの結果に終わったようです。しかし、その内容を見ればおわかりだと思いますが、自民党が圧勝しているのではなく、それに代わる声に投票できなかったのです。「投票しなかった人を含む全有権者に占める自民の絶対得票率は、小選挙区で25%、比例区で17%。自民に票を投じた人は選挙区で4人に1人、比例区で6人に1人だったが、結果として全465議席の6割を占めたことになる。」(朝日新聞)「今回の衆院選比例代表で自民、公明両党が獲得したのは計87議席と、定数176の半数に届かなかった。それでも自民党が大勝できたのは、得票率に比べて議席占有率が高くなる小選挙区制の恩恵が大きかったことを裏付けている。」(毎日新聞)というように、慌ただしく解散総選挙に持ち込んだのは、選挙慣れしている小選挙区での固まった組織が一様に動き、対する野党の票がばらついた結果が今回の結果を表していると感じます。あれほど問題になって辞任した大臣が次々ゾンビのように復活を遂げました。世界が大きく変わろうとしている中で、それでも変化を求めない人たちが沢山いるということです。
 稲刈りもようやく終わりに近づきました。天候に恵まれて実り多く育ちましたが、ここにきての悪天候で作業が進まず、しかも台風も来ました。稲架掛けでの天日乾燥のために気が揉みますが、結果はどうあれ自然にすべてを委ねてのお米作りに意味があると思っています。名古屋祭りや各地方のさまざまなお祭りが、そのため中止となりました。きっとそれも意味があるはずです。
 日本語の「まつり」の語源と原義を調べてみました。まつりとは、「祀る」の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すものである。この意味では、個人がそういった儀式に参加することも「まつり」であり、現在でも地鎮祭、祈願祭などの祭がそれにあたる。日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶ。原初の祭は、一つの信仰に基づいていたと考えられる。すなわち、豊穣への感謝・祈りである。(ウィキペディア)