こころの病で文化をよむ
2024年9月1日
NHKラジオ第2の「こころをよむ」は、以前にもご紹介したことがありますが、毎週日曜日、朝6時45分に放送されています。7月からの新シリーズでは、40年近く精神科医療に携わる、石丸昌彦先生が、「こころの病で文化をよむ」と題して毎週様々な精神的問題を分かりやすく解説しています。 健康とは、精神面の健康と身体面の健康が互いに影響し合って成り立っているいる状態を言うと思います。しかし、精神的な問題は、個人の心の奥にしまいこまれて、周囲からは分からないことがほとんどです。自分もそうですが、心の問題は、専門家でないと分からないと突き放している感じもします。そんなこともあり、いい機会と思って聞いてみたところ、石丸先生は、心の問題を様々な角度から問題提起をし、とても身近な日常の一コマとして扱ってくれていますので、毎週学びが多く、ぜひ皆さんも関心のある方は聞いていただればと思ってご案内することにいたしました。7月7日からスタートして既に8回が終了していますが、聴き逃し配信で1回目の放送は、9月1日まで配信されています。このお便りが届く頃には残念ながら1回目の聞き逃し配信は終わっているかもしれませんが、それ以降の配信も1週間ごとに終了になるまで配信されています。
お客様と、時折学校のことが話題になって、ついつい根ほり聞いてしまうのですが、私たちの学生時代と比べて、どんどんお子さんが不自由になっていっていると感じます。勉強も大事でしょうが、時間に追われて習い事をされているお子さんが当たり前で、いつ遊んでいるのと聞きたくなるようなスケジュールをこなしてるんですよね。私の小学校時代は、遊びが第1で、それも年齢差問わず雨の日以外は外で遊んでいた記憶しかないです。中学から高校へと、規則で縛られることもありますが、それでもそれほど不自由さは感じませんでした。クラスには、ちょっと普通と変わっている生徒も数人はいつもいましたが、今のような陰湿なイジメのようなものはありませんでした。対人関係等でうまくいかないと、今の学校では適応障害といって特別支援学級にかえられることもあるようです。小学校から中学は、思春期でもあり、精神状態も一番敏感な時期です。人とうまくやっていくなんていちばん大変な時期ではないでしょうか。そんな年齢の時に、障害という言葉を使って病気あつかいするのはいかがなものでしょうか。
そもそも学校というのは本来、勉強だけではなく、これから社会に向かうために様々な人間に会って、喧嘩もすれば友情を深めることもあり、そんな人生のコツを学びに行くところで、勉強をするために学校へ行くだけのことなら、自宅で通信教育やインターネットでやれば済むわけで、対人関係に悩む必要もないでしょうし、よっぽど精神的にも良いのではないでしょうか。
毎年のように増え続ける適応障害を石丸先生は、日本の社会における変化に大きな原因があると言います。
「キーワードはコミュニティ。100年前の日本は、大多数が農民で、農村共同体の中で、多世代からなる大家族の一員として生活していた。戦後の会社勤めも疑似家族的な会社が多かったため共同体の一種であり、働く人とその家族のアイデンティティの一部だった。一人一人が重なり合うコミュニティの結び目のような存在で、良いことばかりではなくその息苦しさから都会に飛び出す人も多くいたことも事実。しかし何かあった時に援助の手が伸びることが大きな利点である。以降そのコミュニティが雪崩を打つように消えていき、大家族から核家族になり、単身世帯が急増、職場は派遣労働に変化し、かつての結び目は、砂粒のような存在になってしまい、不調をきたしたときには援助の手は伸びない。そのため、かけこむのが精神科の外来で、診断は適応障害という例が数しれない。適応障害の増加は、コミュニティの基盤を失った日本人の不安の表現ではないか」以上が石丸先生のお話しの抜粋です。確かに、両親の実家は多くの人が集うコミュニティーの場だったように思います。入れ代わり立ち代わり、いろいろな人が出入りしてました。そしてそんな大家族ばかりが少し前の時代にはあったんです。フーテンの寅さんがピンとくる良き昭和の風景。失いつつある人情を表現しているからこそ、皆さんの心つかんで離さないのでしょう。
石丸先生のお話しは、以降13回まで続きますのでご興味がありましたらぜひ!