人間の土地へ
2020年12月1日
先月、知人のイベント告知を見て、無性に行きたくなった講演会へ足を運びました。なんと日本人女性で初のK2(8611m)登頂者で、さらに植村直己冒険賞受賞者、しかもフォトグラファーで、シリア人男性と結婚し、2児の母という特異な経歴の持ち主でした。 昭和48年生まれというその方は、小松由佳さん。学生時代は登山に明け暮れたとは思えないほど、ほっそりとして、可愛らしく、どちらかというと華奢な感じで、断崖絶壁を踏破したとは想像できませんでした。講演中、K2への登頂を目指す写真を何枚も見せながらその時の心境などを語ってくれるのですが、最後のベースキャンプから登頂を目指して出発するところから、ようやくこの人は登った人なんだと思えました。 本来はリーダーがいたのですが、突然登頂当日に盲腸になって下山を余儀なくされ、それで年長で経験豊富な小松さんにリーダーの役目が回ってきたのだそうです。ラッキーなことに、登頂成功までは、好天に恵まれますが、途中、あと少し早く目的地に着いていたら雪崩に襲われていたというような、死と向い合せの出来事に何度も合ったそうです。登るより、降りるほうが危険。登頂成功より も、命を優先して下山する勇気などと言われますが、予定より大幅に遅れて山頂に着いたため、そこから下山してベースキャンプに戻る半ばで太陽が沈み、真っ暗な雪山を、ヘッドランプの明かりをだけをたよりに、自分たちが登りで残した足跡をたどっていったそうです。しかし8200m地点で酸素ボンベが空になり、それでも進むか、休んで翌朝出発するかの選択に迫られました。そんな時、小松さ んの脳裏に遭難事故の教訓が頭に浮かんだそうです。 「たった一つの要因で、事故は起きない、大きな遭難事故の前には予兆のような小さな不協和音がある。ささいな要因がいくつか重なり、もはや後戻りを許さなくなった結果、致命的な事故へとつながる。」 普段、私達の身近な出来事にも、こんなことはないでしょうか。遭難とは山だけではありません。災害は至るところに潜んでいます。自分の健康についてもそうです。きっと、何らかの不協和音を、私達も日頃どこかで感じていると思います。後戻りできるときに立ち止まってみる。このことが、強烈に胸に刻まれました。小松さんは、下山途中、電池を交換するもヘッドランプが点かないなどの要因がいくつもあったことを感じ、ビバーク(緊急的に野営すること)を決めたそうです。急な斜面にロープで身体を固定し、かろうじて座れる場所を削ったそうです。氷点下十度の世界です。寝てしまったら死が待っているかもしれない中、朦朧とする意識に光が指したのが、太陽の光だったそうです。 登頂成功からしばらくして、山そのものではなく、山が生み出す風土に根ざす人間の姿に心を奪われていき、その後シリアに何度も取材を重ねた小松さん。人間を拒絶する山から人間の土地へと舞台はかわってからのお話しは、本当の豊かさとは何かを、異国で生活しながら、異なる文化の中で体感したことでした。様々な問題が世界中で山積して身動きが取れない状態が続いていますが、そんな中でも見方を変えさせてくれるお話しでした。 小松由佳著「人間の土地へ」に詳しく書かれています。ご一読おすすめの本です。