自然に還すこと
2019年11月1日
母が亡くなって以来、やることが増えたために、目が行き届かなくなるのを痛感する毎日。例えば玄関にある植物が枯れ枯れになってしまっていたり、冷蔵庫の片隅にカリカリになった野菜を発見したりなど、言い出せばきりがないのですが、少し落ち着きを取り戻してから、浄水器を通したお米の研ぎ汁や、野菜を洗ったお水などをそれら植物にせっせとあげていたところ、いつの間にか、緑を吹き返し、今では凛とした佇まいを見せてくれています。
野菜も、抗酸化素材のエンバランスにしっかり保管するようにしてから、新鮮が長持ちするために、ロスもなくなりました。新鮮袋やラップはとても便利です。このエンバランスも、ミネラルを含む良質な水を特殊加工して作られたもので、当初は疑って使い始めたのですが、結果が見てわかるために、使わないと損な気がして取り扱いを始め、すでに当店では15年以上続くイチオシ商品の一つとなっています。
昨年の今頃から、カフェの捨て野菜を庭に埋めるようしました。自宅では当たり前にやっていたことなのですが、毎日の使用量が違うため、やるのに躊躇していたわけです。しかし実際やってみると、土はフカフカになってくるし、ミミズがいつのころか泳ぎ回るように活躍してくれてます。以前は、ベジブロスを作った捨て野菜も土に入れていたのですが、あんなにいたミミズがいなくなったため、生のものだけをあげるようにしています。その中の種が知らぬ間に大きく育ち、かぼちゃのきれいな花が咲いています。無数の昆虫も顔を出すようになりました。それを狙ってか、珍しい鳥の姿も見かけす。
こんな些細なことに気づけるようになったのも、お米作りをはじめたからだと思います。大きな地震が東北を襲ったのが8年前。自分でもなにかしなくてはと思って行き着いたのがお米作りでした。幸いにもその翌年、南知多の大井の里山が、耕作放棄地となっていたところを、名城大学の先生と生徒とご一緒させていただくことになりました。
山から穏やかに流れてくる水が途絶えない田んぼは、一足入れると深く沈みこむため作業は困難。工具も使えないので全て手作業です。そこで田植えをしている時にあっと驚いたのが、無数の生物が、その中で溢れ出すように生まれてくるのを感じたことでした。たくさんの生物が田んぼを棲にし、生と死を繰り返しながらその養分を吸収して美味しい食物になり、それをいただくことで私達の血や肉となっている。命の循環を感じました。
たくさんの恵みに囲まれて、そこで生きることを許されているのが私達たち人間ではなんですね。そこでしか生きられないことも知っているはずなんです。
八年目の今年は、イセヒカリの籾を譲り受けて、発芽から挑戦しました。育苗は、友人に頼みましたが、無消毒で育った苗も、立派に成長して、先月末に稲刈りを終えました。稲架掛けをして乾燥させ、今月の中頃には脱穀、下旬には美味しい新米がいただけそうです。
週に一回、カフェでもこのイセヒカリをご提供する予定です。オール人力、無農薬無肥料、天日乾燥の玄米を是非、一度お召し上がりください。