母を看取る
2019年5月1日
つい最近まで普段どおりだった母が、突如、食事が喉をうまく通らないと言い始めました。体の変調は、それから数日後、近所に歩いて買い物に行こうとしても、息苦しくなって戻って来たと不安そうな顔を見せました。掛かりつけのクリニックに行って検査をしてもらったところ、肺と心臓に水が溜まっていることが苦しい原因だったことが分かり、他に何点か数値が気になるので大きな病院で診てもらったほうが良いということでした、長寿医療研究センターへ診察に行ったのが三月十五日。CTと血液検査の結果、私だけが医師に呼ばれて、膵臓がんであることを告げられました。しかも肝臓にも転移していて、半分以上は機能していないということでした。本人への告知を任され、膵臓がんに効く確率四割の抗がん剤を勧められました。
自宅に戻って、母にがんであること、抗がん剤が効く可能性が四割あること、それ以外の方法として、自然療法があることを伝えました。私自身はその時、抗がん剤はしてほしくないと思って話していましたから、知らず知らずに誘導していたのかもしれません。結果として、家族で母のサポートに全力で当たることになりました。この時のために自分はこの仕事をしてきたのだとも思いました。その翌日から、ガンの進行を抑えるために良いと思われることを行いました。それは、日の出前の裸療法、ビワ葉こんにゃく湿布、そしてビワの葉温灸、毛管運動や金魚運動。夜は、生姜湿布で体の毒素を表面に集め、それを里芋パスタ吸い取るイメージを伝えて四時間おきに湿布を交換しました。
驚いたのが裸療法の効果でした。まだ肌寒かった時期でしたが、下着を脱いでは着ることを続けるうちに、日の出の薄明が美しく空を染めはじめ、その療法を終える頃には気持ちいいと言って、吐き気で寝付けないと言っていたのにぐっすりと一時間以上は寝ることができたことでした。体も軽そうなので期待をし始めた一週間後、看護のストレスの間の父と母の口論は身内でみる難しさも痛感しました。嘔吐により食欲が減退しているため、玄米クリームも次第に食べられなくなり、乳酸菌生成エキス入りの水は美味しく飲んでいましたが、一転、それを飲むと吐くようになり、温かい柿茶を与えたところ、美味しいと言って起き上がって飲んでいましたが、次第に嘔吐に血が交じるようになり、夜中の2時くらいが、寝ていることが辛いようで、体を起こしては身の置き場がないのを見ていると、何にもしてあげれない自分の非力さを痛感しました。
四月一日に、裸療法をしようと体を起こそうとすると、だんだん負担が重くなってないか?今年のお米作りは大丈夫か?と、自分の体の心配より人のことを心配をしている母に、親の愛情の深さを感じました。
その夜、酸味の強い匂いがする血の嘔吐に異常を感じると何が起きているのか不安の中、母の意識が朦朧とする中で、突然呼吸が乱れ、息を引き取りました。
全く普段と変わらない顔色で、あまりにもあっけない最期を目の当たりにして、本当にこれでよかったのかを毎日、自問自答し続けています。もっと早くわかっていて、同じことをしてあげてたらと思うと悔しくてなりません。
寝込むまで自分流を貫いてきた母でした。洗濯すら寝込む一日前まで自分のやり方があると言ってやらせませんでした。それが、無理が効かなくなってからは、すべて一言、「おまかせ~」でした。なぜもっと早くと思うばかりです。西式健康法には、決して無理しないという大前提がありますが、病というのは、自分を追い込んでしまう性格も多分にあると思い知らせれた気がします。
この経験が、今後皆さんに何かお役に立てることに繋がるよう勉強していきたいと思います。
そして、母の介護から葬儀までの間、お店をキリモリしてくださったスタッフの皆さんに心から感謝しています。