地震が語ること
2016年5月1日
震度7の地震が熊本を2度も襲った。地震学者や専門家は首を揃えて言う。「想定外なことが起こっている」と。しかも後で最初の震度7がなんと余震だったと言い変えた。結局のところ天地自然が起こす現象などいくら研究しても分かるはずがない。起きたことを後から検証し、蓄積していくことで精一杯なのだろう。しかしもしそうであるならなぜ謙虚に過去から学ばないのだろうか。一昔前は、代々の言い伝えから、大きい地震の後は2ヶ月近く外のわら小屋に子供たちだけ寝かされたと聞いた。専門家や学者に依存するがゆえ、災害が起こるたびに言い伝えとして後世に託したたくさんの生の声は、時とともに風化してしまった。
今から5年前の東日本大震災は記憶に新しい。大きな津波は家屋を飲み込み、多くの犠牲者を生み出した。その上原発による災害で、まだ収集がつかない生活を余儀なくされている多くの方がいる。あまりの自然の破壊力の凄まじさを前に、今までいかに自然環境に負荷をかけて好き放題なことをしてきたかを誰もがはっきり意識したと思う。そしてその自粛の波は日本を覆い、原発に頼らない生活を5年近く続けてきた。それも喉元を過ぎたらまた原発は再稼働され、それが全国に波及しようとしている。それだけではない。公共事業の無駄を指摘されて止まっていた道路建設やダム建設も息を吹き返した。挙句の果てにリニア。それらによってさらに多くの山々が切り裂かれ、住民は土地を追われ、私たちの命の源は、ますますその破壊作業によって失われつつある。そうやって過去から現在に受け継がれてきたものまで経済活動という名の下に消し去ろうとしている。
「中央構造線」列島横切る巨大断層熊本地震の延長上 九州~近畿で400年前に連続発生(日経新聞)その中央構造線に平行して活断層がある。そしてその線上に原発がある。多くの宅地、ダム建設がある。そして、この地震が起きても止めない鹿児島県の川内原発。一体我々はどこまで馬鹿なのだろう。
数千年、いや数万年以上かかって作り上げられた自然の恩恵を、私たちは自らの手で、この200年という短いスパンで代々続いてきた営みを絶とうしている。たとえ地震が起きなくても、大きなしっぺ返しを受けるのは当然の報いではないだろうか。 今日もテレビで垂れ流される健康番組。あれが良いこれが効くからと何の努力もせず、飲めば食べれば健康になれると信じて店を訪ね歩く。本当に健康を得たいと思うなら、今日あるこの国の自然や環境に感謝せずにはいられないはず。その豊かな環境から得た食べ物で私たちは成り立っている。その土地を疎かにしておいて、真の健康などあるはずがない。豊かさゆえ、大切なものを置き去りにしてきた私たちに対する自然からの最後の警告。
それでなくして一体何だろう。