葉っぱ 続けること 2

2016年2月1日

  昨年のいつ頃のことだったか、野菜を効率よくすり潰す電動機械でスズキジュースマシンという高価な製品がある。それをもう使わないからといって元スタッフのTさんから譲り受けた。その機械は2本の特殊な歯車が、生野菜を圧力で搾り出し、有効成分を損なわずにその野菜汁と繊維を一緒に摂取できるもの。私も20年ほど前、西式健康法に出会って興味を持ち、この機械の手動式(3万円程)を購入して作って飲み続けた時期があった。その頃といえば、青汁もしくは青泥と言って、いかにも不味そうな名前、確かに美味しいと思ったことはなかった。ミキサーやジューサーを使っていれば、細かく繊維まで粉砕されるために喉ごしが良く、長続きしたかもしれない。続かなかった理由は、毎朝すり潰す作業が大変なことと、根本的になぜそうまでして飲んだほうが良いのかをしっかりと理解していなかったからだろう。近頃の野菜ジュースは、スムージーと横文字が使われ幅広い層に普及している。飲み方も野菜だけではなく、バナナやリンゴなどの果汁をふんだんに使って美味しくするから流行る要因にもなっている。譲り受けてそのままお蔵いりされた一台のジュースマシンがなぜか頭に引っかかり続けていた。
   生野菜汁療法という一冊の本がある。(ノーマン・W・ウォーカー博士著1886年-1985年)
西式を名古屋で広められた樫尾医院の樫尾太郎先生がその翻訳をしている。これもお客様でOさんから教えていただいたことで、すでに絶版となっていたため中古本を購入したのがもう何年も前のことになる。ページをめくることはなく本棚の肥やしになっていたのを、昨年の暮れに棚の掃除をしていて目に飛び込んできた。
  「生きたものは生きたもので養われる」というのが、生物界の原則である。そこで「生野菜」は、不老長寿、万病治療、美容と若返りの霊薬ともいうべきで、巷に氾濫する各種栄養剤、薬剤の類も、生のほうれん草、にんじんには敵わない。訳者である樫尾先生のはしがきの内容に既に惹きつけられていた。
  原著者は本書の中で、「有機」「無機」という言葉を「生きた」「死んだ」という意味に使用している。なるほどそう解釈すれば、今まで疑問に思っていた塊が、すっと溶けて吸収されていくように思えた。たとえば水。天から降り注ぐ雨水はミネラル分を含まない無機な状態。それが太陽を燦々と浴びた山河に降り注ぎ、土壌に溢れているミネラル分や養分を溶かして私達の飲み水と変化する。さまざまな元素が溶けている生きた水で自然の賜である。しかしその水を煮沸すると、中に溶け込んでいるミネラル分は化合して無機なものに変化してしまう。よくヤカンの縁底に白くへばり付いているものをご覧になることがあると思うが、それこそカルシウムイオンが酸化反応したものである。学校の校庭のライン引きに使われているあの石灰と変化してしまう。そうやって加熱などをさせて不純物を取り除いた蒸留水を飲み続ければ、マウスも2週間で死に至ることになる。「有機」と「無機」を「生死」で考えるのにこれほど分かりやすいことはない。
  奇しくもノーマン・W・ウォーカー博士より2年早く生まれて生菜食療法を唱えた人物が日本にもいる。それが西勝造氏、西式健康法の提唱者である。その西式健康法にある寒天断食を昨年一年通して行ったが、二度倒れた後遺症のせいか、暮れ頃から物忘れが激しくなった父親を見て、この青汁づくりを始めることを年始に決意して実行中である。しかしそのことで、この健康法に出会って四半世紀になる自分自身が、まさかその原点を見つめ直すことになるとは思わなかった。
次回にその体験のご報告をしたいと思う。

参考著書 「生野菜汁療法」ノーマン・W・ウォーカー著 樫尾太郎訳 実日新書