桃栗三年柿八年
2015年11月1日
米作り三年目の今年も無事に稲刈りが終わり、あとは籾摺りを残すのみとなりました。昨年は2度も台風で稲架掛けしていた稲が飛ばされたために、それをかき集めに行くのに一苦労したことを思うと、天候一つで事態が急変する大変さ、ましてそれを生活の糧としていたならどうなったことか。自然を相手にすることの難しさと、だからこそ目に見えないことへの信仰、八百万の神様に祈りを捧げる気持ちを肌で感じることができた二年目でした。
実は今年になって、新城にある四谷千枚田という絶景な場所でもやらないかと声をかけて頂き、無謀にも南知多と2ヶ所を掛け持ちしました。南知多の田んぼは耕作機械が使えない不便な場所なために休耕田となっていたのを、5年ほど前からを名城大学の小池先生が里山を再生させることをゼミの一環として取り組みをはじめられ、そのお手伝いをさせていただいたことがきっかけでした。農業一年生。なりふり構わず見よう見まねで田を起こし、次は田植えと考えている暇などありません。ただ慣れない姿勢で、しかも泥濘でズブっと深く足をとられるために、じわじわ体力が気力を奪っていきます。これでは高齢になれば無理なはず。休耕田になる理由と、農薬や化学肥料を使わないことの大変さが身にしみた一年目でした。しかし、畑ほど手間がかかるわけではありません。田植えをしたら雑草に負けなくなるまで見守っているだけです。週に1、2回程度のこと。それと引き換えに農薬を使う必要あるでしょうか。ましてや田んぼの中には雑草だけではありません。多様な生物が共生しています。その生物たちの生と死の絶え間ないサイクルが、土の養分を豊富にして、また私達の体を形成する食物として還ってくるんです。田植えの時期の5月、水を張った水田ではカエルの合唱が聞こえてきます。命芽吹く時です。その声も除草剤とともにピタッと止まってしまうのです。生き物を殺すんです。毎年自殺者の多い月といえば5月。全国各地で行われる農薬散布の時期と重なることは果たして偶然でしょうか。
年ごとの色々な出来事が体験となり、また農業を通じて人との出会いもあって、今年の米作りは自分にとって貴重な一年になりました。昔のことわざ通り、桃栗三年柿八年ですね。どんなことでも、成果が出るまでには長い年月がかかるということです。そんなことわざが死語になるくらい農耕を主体とした国家作りが、ここ数十年で一変しました。最も大切な食物は輸入にますますシフトし、山や農耕地は今でも道路やダムなどの公共事業により失われつつあります。では、私たちはこのまま他人のふりをして黙ってみていて良いのでしょうか。
日本の伝統的な食生活は、長い年月をかけてその素晴らしさを継承してきました。その大切にしてきたものが、ユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、今や日本食=ヘルシーとして世界各国に愛され、ブームが巻き起こっています。その一方で、わが国では農耕の崩壊とともに食の破壊がどんどん進んでいます。こんな馬鹿げたことがありますか。先人が築き上げてきた貴重な風土、食文化、それをただ商売の種としか考えられない浅はかな知恵しか持ち合わせていないとしたら、近い将来間違いなく破綻をきたすことになるでしょう。衣食足りて礼節を知るとは、まさに我が国が一番耳の痛い言葉に違いありません。
さあ、これから4年目を迎えます。まず、四谷千枚田でスタッフとともに収穫した種子消毒なしで天日干ししたイセヒカリの新米をカフェのランチで週一回ほどご提供させていただこうと考えています。
そして来年はこの収穫の喜びを、もっと多くの方と分かち合えるよう取り組んでいきたいと思っています。