稲刈りを終えて・2
2013年11月1日
なぜか先月の続きが書きたい気分。そのため脱穀から玄米になるまでの過程を報告させていただこう。脱穀は稲刈りから約1ヶ月たった10月中旬に予定されていた。幸い台風の強い風による被害は少なく、稲架掛けから多少稲が落ちた程度で済んだ。藁で括ってあるだけなのに、稲架掛けにしても強風でもビクともしていなかった。生きていく知恵が随所に見られる。
脱穀は、NPO法人「田舎暮らし支援センター」の石黒さんから脱穀機をお借りして行われた。幸い小池先生のゼミの学生も数名いたために作業が非常に捗った。昔は「みんなが食べるお米だから」という意識で近所の人も手伝うのが当たり前だったのも、食べるまでの工程の大変さを分かち合うところからき
脱穀は、NPO法人「田舎暮らし支援センター」の石黒さんから脱穀機をお借りして行われた。幸い小池先生のゼミの学生も数名いたために作業が非常に捗った。昔は「みんなが食べるお米だから」という意識で近所の人も手伝うのが当たり前だったのも、食べるまでの工程の大変さを分かち合うところからき
たのだろう。そんな心の豊かさが、今まで日本人の文化を支えてきたと感じる。
この写真は私が刈った稲を穀脱するところ。歩行型自走式の脱穀機のため、稲架掛けの近くまで脱穀機ごと移動できるため大変便利。乗って作業するわけではないのに運転するには特殊自動車の免許がいるらしい。一人その免許を持った学生さんが運転しながら作業が進められた。稲を回収するのも結構な重労働。その稲から籾だけが剥ぎ取られ、機械に装着されている袋に貯まっていく。たくさんの稲を吸い込んでいく割にはその袋に籾は意外と貯まらない。
藁がどんどんと積もっていく。それを学生さんたちが結っているところ。この藁は、畑に撒いたり来年の作業に使ったりするため捨てるところがない。結局米作りは廃棄物ゼロという循環型社会の源だということが分かる。
「手を掛けた田んぼと手を掛けなかった田んぼでは、収穫の差にどれくらいの違いがあったか」がゼミの課題だと小池先生が教えて下さった。先生が育てられた田んぼで比較したところ、手を掛けなかった方は、不良が多く、収穫量では手を掛けた方の約半分だったそうだ。
「手を掛けた田んぼと手を掛けなかった田んぼでは、収穫の差にどれくらいの違いがあったか」がゼミの課題だと小池先生が教えて下さった。先生が育てられた田んぼで比較したところ、手を掛けなかった方は、不良が多く、収穫量では手を掛けた方の約半分だったそうだ。
脱穀が終わったら、今度は籾摺りである。脱穀機をお借りした石黒さんのご自宅にある籾摺り機をお借りした。私の米作りは周りの方々にお世話になりっぱなしである。しかしそれに気付かせてくれたのが米作り。自分一人は所詮一馬力でしかない。
あれだけあった稲から約80kgの玄米が収穫できた。ささやかながら自給自足への第一歩である。