葉っぱ 腰骨を立てる

2013年3月1日

つねに腰骨をシャンと立てること-
これ人間の根性の入る極秘伝なり。
人間は心身相即的存在ゆえ、
性根を確かなものにしようと思えば、
まず躰から押さえてかからねばならぬ。
それゆえ二六時中、「腰骨を立てる」以外に、
真に主体的な人間になるキメ手はない。
「腰骨を立てる」ことは、
エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。
この一事をわが子にしつけ得たら、
親としてわが子への最大の贈り物といってよい。
一、腰骨を立て 
二、アゴを引き 
三、つねに下腹の力を抜かぬこと
同時にこの第三が守れたら、ある意味では達人の境といえよう。
(森信三氏 立腰教育)

 学生時代に担任の先生から姿勢が悪いとよく注意された。正しい姿勢を意識しても、いつの間にか腰は折れて背は丸まり、自分にとって楽な姿勢に戻ってしまう。正しい姿勢など長続きしたためしがなかった。そんな長年の癖が猫背という姿を作りだした。まさに姿は生活の写し鏡である。 自分の姿勢や体の硬さは、ジョギングなど体を動かすようになって感じるようになった。特に股関節などは、柔軟体操で開脚したりすると筋が張って痛い。ヨガやジムなどに行けば良いのだろうがそんな気にならない。時だけ無情に過ぎる中、昨年の夏頃ふいに誘われた講座が、日本の古武術を学べるというので参加してみようという気になった。それが体幹呼吸法という講座。古武術を学ぶためにはまず体を作らなければならないらしい。立ち方から力の入っている人が多いという。ご多分にもれず私もその一人だった。そこではっきり自覚したのが姿勢の悪さだけでなく、体中に変な力が入っていること。普通に立っているつもりでも肩に力が入っていて右肩が異常に上がっていたのだ。こういうことを指摘されたのは此の方初めてだったので、自分で分かっていないことは他にも存外多いと思った。そうして力を抜いて自然な立ち方を教えていただいた。肩幅に足を開く、足裏をまっすぐ平行にして膝を弛める。腰骨をたてて顎を引く。自分ではそうしているつもりでも先生に力の入っている部分を更生されながら、本来の正しい姿勢を取り戻すと、何とも立ってるのが楽で心地が良い。誰しも少なからず学校生活で学んだ起立の姿勢が染みついている。その姿勢が肩や体に緊張感を生み、自然な立ち方からは程遠いものになっているらしい。
 その後は股関節の運動だった。気になっている部分だったこともあり良かった反面、錆びついて固くなっている部分を動かすために苦痛がともなった。一つ一つの動作が身体に堪えた。約2時間あまりの講座を終えた後は、体じゅうが筋肉痛のような快い痛みを感じた。それ以来なるべく講座に参加し、出来る範囲のことを家で復習するようにした。今年に入ってからはほとんどの動きを覚えて毎朝続けていたところ、思わぬ体の変化に驚いた。開脚したままで顎を天井に上げる苦痛な姿勢が出来るようになった。日常では椅子に腰掛けても腰骨を立てていられる。姿勢は気にしても、無理をせず長時間いられるようになった。体幹とは四肢を除いた部分を指すという。胸や腹、お尻を呼吸をしながら種々の動作を実行することが、腹筋や背筋など多くの関連する筋肉を鍛えていたことに半年過ぎて気がついた。
 和式トイレや着物を着る習慣、拭き掃除など、毎日の生活習慣から失われていくもののなかにこそ体幹を鍛える動作が盛り込まれていた。その不便さが体にとっては良かったのだ。便座の上げ下げまで自動化されながら、一方で健康のためにサプリメントを買い漁ること自体、本末転倒しているのである。
 体を労るということは楽をすることではない。本来あるべき立ち方に帰るということ。痛みや苦痛を伴うにせよ、体はそれに応えてくれることを約束している。

参考:森信三の世界 http://www.jissenjin.or.jp/