テレパシー
2012年5月1日
今年のちょうど書き初めの日に、何を思ってかこれから毎日ブログを更新することを決意した。その時は無性に内側に溜まっているものを吐き出したかったのかもしれない。何でも出すことは良いとして、一ヶ月に一度のお便りでも事欠くのによくもまあそんな気になったものだと今さらながら自分の無謀さに呆れている。いよいよ5ヶ月目に突入だがネタがない。ネタにするネタもないから困ったものである。そこで姑息だが今月は、ある日のブログと同じテーマで逃げることをお許し願いたい。
テレパシーとは、超感覚的知覚 (ESP) の一種で、特別な道具を使うことなく遠隔の者と言葉を交わさずに通信する能力のことをいう。ESPによって他人の心を読んだり、識別したりすることを指す。とフリー百科事典で紹介されていたがここまでおおげさな話しではない。これも今年の正月のこと、店は休みでも、いつものように猫のあいちゃんのおさんどんに来た時、何かの拍子に猫に意識を向けてみた。こちらで頭のどこかに集中して問いかけると不思議とこちらを向く。さらに少し感情を込めると、ニャ~と相槌を打つ。ひょっとしてこれってテレパシーではないのか。ふだん何気なく考えていること、それは意識せずに頭のどこかに存在している無意識だ。よくふと頭に浮かんだ人から電話があったなどということはだれしも少なからず経験があるはずだ。意識せずに思い浮かんだり、考えたり悩んだり腹が立ったりと、頭に浮かんだことは、ある種の電波となって存在しているのではないか。そう考えるとその電波を受信する能力があれば、だれでもその電波を使って送受信できるはずではないのか。そう思うと、猫にしても犬にしても人の気持ちを察する感覚を特に強く持っているということになる。
今まで不思議なことが多々あった。避妊手術をするときに、イヤだったら逃げて行きなさいといったら、本当に逃げ出して3日ほど帰ってこなかった。スタッフの鈴木さんが孫のようにあいちゃんをかわいがるので、家につれて飼いたいというから、きっとあいちゃんも喜ぶでしょうと言ったら、翌週鈴木さんが出勤する時間に姿を消して、帰ったころ姿を現した。冬は寒いからあまりかまったりしない。特に面倒くさいという気を察するのが一番強いのか、こちらがそんな態度を示そうものなら数日帰って来い。こんなことは何度も繰り返された。すべて気のせいと思っていたことが、以心伝心というように相手には伝わっていると考えたほうがどうも無難な気が最近している。それを身をもって教えてくれたが、愛猫あいちゃんだったというわけである。
そんなことをふとスタッフに話したことから面白い話しに発展した。彼女の姉の赤ちゃんのこと、お姉さんは日頃あまり赤ちゃんを構わないそうだ。反対にご主人はよく構って一緒に遊ぶらしい。するとご主人には嬉しそうに抱っこされているのに、普段構わない母親のお姉さんが抱っこしようとすると泣き出すという。これこそまさしく普段の気持ちが子どもに伝わっている証明ではないだろうか。気は心で、すべてが相通じているということだろう。特に赤ちゃんや小さなお子さんのように純粋な年令であればあるほどその能力を強く持っていると考えたほうが自然ではないだろうか。生きるために値引きなしで母親の感情を受信しているはずだからだ。生きるための能力が生まれながらに培われている相手には自分の気持ちが伝わっている。そう考えると、誰に対しても悪いことは考えられないものである。この年になってそれに気づいただけでも幸いなことだと思っている。