葉っぱ 海猿にエールを

2010年11月22日

大海原を職業とする海上保安庁。その仕事を広く知らしめたのはもちろん「海猿」だろう。映画はその中でもエリート中もエリートの潜水士にスポットが当てられているが、どちらにせよ、あたり一面海また海の自然相手の一方で、海上の安全および治安の確保を図ることを任務とするのは命がけのはずだ。その海上保安庁が、別の意味で注目されている。尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突の映像流出事件である。それが連日のようにマスコミを騒がせている。しかし、どのメディアも核心の部分には何一つ触れず、犯人探しのオンパレードだ。本来ならば内部告発にも似たスクープである。犯人は誰だという言う前に、各社寄ってたかって情報を奪い合い、流出した情報を精査し、確かな情報ならば、広く国民に問うのがメディアの役割ではないのか。いつから政権と一体となって、情報を隠蔽するようになったのか。まるで大本営発表を毎日聞いているようである。あまりにも当たり前のことが、最近、当たり前のことでなくなってきている。大きな見出しでかけないストレスを、週刊誌で暴露するような姑息なやり方ばかりが目に付きはしないか。そう思うと、辞職覚悟で国民に知らしめる行動をとったこの一件は、胸のすく思いがするのである。
江戸幕府の瓦解がつい頭をよぎる。長い安泰の時代の末の姿だ。知らしめず、寄らしめよ。国民は何も知らなくてもいいという支配構造である。お上の威厳で、よきに計らうはずが、一国を崩壊へと導いたのである。世界のあらゆる情報がインターネットで配信される時代に、それをいいように編集して、雁首そろえて国会で討議している姿はあまりにも滑稽ではないか。この行き着くところが結局、幕末最期の姿と重なるのである。 
海猿のあたえた一撃が、高杉晋作の騎兵隊のような、維新の幕開けになることを期待し、この行動にエールを送りたい。