もう一つの選挙
2009年8月1日
毎日見るブログがある。その中のある記事に目がとまった。今月末の衆議院選挙は言われるまでもないが、同時に行われる最高裁裁判官の国民審査のことだ。国 民審査「?」。言われて気づいたが、投票所ではじめて目にする裁判官の名前である。これは国民が審査するのだそうだ。しかし、良いも悪いも分かるはずがな い。当然ながら空白で出していた。分からないから空白になるのだが、実はこれで任命となるらしい。よくよく考えてみるとおかしなものだ。審査といっても、 国民が審査できる情報はどこに提供されているのだろう。たとえ情報が提供されたとしても、果たして裁判官を審査できるだろうか。最高裁の裁判官といえば、 法の番人のトップである。より公平な法を説ける人がなってくれればそれでいい。なにも一般人が口を挟むことがないはずである。しかし、その記事は語る。今 回ばかりはちょっと様子が変であると。何が変か、その裁判官の中には、イラク派兵を進めた外務行政のトップが含まれているというのだ。てっきり、裁判官 は、現在の裁判官、弁護士や検察などの経験を積んだ人物が評価されるものだと思っていたが、総理大臣が推薦したりもできるらしい。道理で裁判員制度を推し 進めた人物が含まれるなど、天下りのような人事が、こんな所まで計られているような気もしてくる。裁判官は何を基準にして選ばれるのだろうか。
「ただ、皇天后土のわが心を知るあるのみ。(意:天地だけが知っている)」さらし首の刑場にのぞんだとき、こう三度叫んだという。明治維新の中を駆け抜 けた一人、享年41才でこの世を去った江藤新平氏の最後の言葉である。下級武士という身分の低い、非常に貧しい家に生まれ、通常6,7歳で通い出す藩の弘 道館(藩校)にもやっと入学したのが16歳のときだっだそうだ。そんな彼が、勉学に励み、頭角を現していくのはさらに先のことになるのだが、時代の風とは 不思議なものである。維新を迎える中、薩長が利権争いにひしめく新政府にとって、なくてはならない異彩な輝きを放って登場する。今の法務大臣に相当する司 法卿に就任し、司法権の独立、人権擁護と人間解放、法体制構築、警察制度整備など、様々な課題に精力的に挑み、人民の権利を守り、弱き民のために改革する といった仕組みを作りあげた。それまでの日本の歴史上、庶民が「お上」を訴える制度はなかったが、これによって国民が国や政治家、役人を訴えることがで きるようになったのだ。しかし、わが国の近代司法体制の生みの親とまでいわれた経歴の持ち主が、佐賀の乱の首謀者として、自分の作った警察網によって捉え られ、逆に自分の整備した法律にはない旧法で、一方的に「お上」によって裁かれたのは、無念の一言では表せないだろう。時の支配者が法を握るとどうなるか を、最期、自分の身をさらして後世に伝えたと思えはしないか。もう一つの選挙のほうが、いまは大切に思えてくる
参考:歳月:司馬 遼太郎 他
参考ブログ①:http://www.amakiblog.com/archives/2008/11/01/#001213″
参考URL②:http://liveinpeace.jp/kokuminshinsa.html