ヘルシングあい便り

生物と無生物のあいだ2012.01.27

この本の著者は、ロックフェラー大学や、ハーバード大学の医学部博士研究員という経験を持ち、そこで行われた研究や、さまざまな他の研究機関が人体の解明に迫る様子だけでなく、それを評価するノーベル賞の舞台裏にも疑問を投げかけていた。評価する側もその道の専門家なわけで、少なからず研究機関との関係があるからだ。彼らのさじ加減で、賞の行方が左右することも十分考えられる溝を残しているという。研究がもたらす恩恵と弊害、それらをさまざまな角度から問題提示してくれる内容だった。顕微鏡を通したもっともミクロな視点、そこから感じた生命という計り知れないものを、美しい旋律で表現している部分があった。そこを少しご紹介したい。
 「ちょうど波が寄せてはかえす接線ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造を持つその城はある。ときに波は、深く掌を伸ばして城壁の足元に達し、石組を模した砂粒を奪い去る。吹き付ける海風は、城の望楼の表面の乾いた砂を、薄く、しかし絶え間なく削り取っていく。ところが奇妙なことに、時間が経過しても城は姿を変えてはいない。同じ形を保ったままじっとそこにある。いや、正確にいえば、姿を変えていないように見えるだけなのだ。砂の城がその形を保っていることには理由がある。目には見えない小さな海の精霊たちが、たゆまずそして休むことなく、削れた壁に新しい砂を積み、開いた穴を埋め、崩れた場所を直しているのである。それだけではない。海の精霊たちは、むしろ波や風の先回りをして、壊れそうな場所をあえて壊し、修復と補強を率先して行っている。・・」
 この一つ一つの砂粒が一瞬たりとも同じ場所にとどまっていないように、私たちの細胞も日々生と死を繰り返されながら命を運んでいる。自然のもたらす造形が、生命と同じ事象を育んでいることを語っているのだ。食べ過ぎようが、飲みすぎようが、生の営みのために、寝ている間でも細胞は文句も言わず休む間もなく働いている。そして新しい細胞のために、役目を終える古い細胞は、自ら分解消滅し、その場所を譲るという。この人体の不思議を垣間見るだけでも生きる知恵が十分詰まっている。それを教えてくれる反面、研究は機械的に行われていく。この命の営みに対して、一つの仮説を解き明かすのに、膨大な動物達の命が捧げられているのも忘れてはならないということも付け加えられていた。
 それらの研究を踏まえ、著者は、食べ物が大きく人体形成に関係していることの重要性を説いている。身近にある食べ物を分解したたんぱく質が人体を作るからだ。日頃食べている食品が、いつの間にか遺伝子組み換えにとって代わり、さらに食品添加物などが添加されている。それが一つ一つの細胞に影響を及ぼすとどうなるだろうか。狂牛病の異型たんぱくが人に感染したヤコブ病はまだ最近の話である。この問題も解決されぬまま、遺伝子を無理やりいじくった食品が食卓を占領しつつあるのだ。これまで食べ物を単なるモノとして扱ってきたしわ寄せが、ついに私たちの命まで脅かし始めたのである。 「食物とはすべての他の生物の体の一部であり、食物を通して私たちは環境と直接つながり、交換しあっています。だから健康を考えるということは、環境のことを考えることであり、環境のことを考えるということは、自分の生命を考えるということでもあるわけです。」この短い言葉の中に、あらゆる問題の答えが凝縮されている。

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一著 講談社現代新書 「生命と食」岩波書店 福岡伸一氏講演録

台湾紀行2012.01.01

 台湾の桃園空港に着いたのは昼ごろだった。一昨年のロンドン一人旅からちょうど一年経った暮れの忙しい12月中旬のこと、また往復のエアチケットとホテルだけを予約しただけの行き当たりばったりの2泊3日の旅をした。今回も同様、彼の地で開かれるイベントに行くことが引き金となったが、そこまでの経緯にご縁を感じたのが何より気持ちを動かした。
 今回の旅行の詳細は、当店のブログにアップしておいた。というのも、始めて行く海外地では戸惑うことばかりである。言葉の不安もあるし、交通機関も行って見ないと分からないことだらけ。その最中にネット上にアップされている方々の現地情報はとても参考になった。少なからず自分が歩いた経緯もきっと誰かのお役に立つと感じたためだ。
 体調不良で出かけた旅行は過去記憶にない。実は出発する数日前から喉の具合が悪かった。異常な乾燥のせいだとたかをくくっていたのが失敗で、頻繁に咳き込むようになった。体は軽く、風邪ではなさそうだった。出発当日になって飛行機に乗り込んでも咳は出る一方。そこでようやく胃腸が原因だと気づいた。喉は胃腸の鏡という。症状即療法、すぐに断食しておけばよかったのだ。おかしいと思ったときに実行していれば、旅の最中で断食することはなかっただろう。旅行一日目は、そのまま断食。夜中まで咳き込んで寝れないほどだったが、翌朝になると症状は和らいでいた。朝食のビッフェは美味しそうな料理が所狭しと並んでいる。昔だったらこんな状態でも山ほど食べていただろう。さすがに自制心が働き、片隅にあった素食を軽く頂いた。グルテンで作られた佃煮と漬物、お粥である。昼も軽い食事で済まし、夜は一切食事を取らなかった。翌朝もホテルの素食と帰りの空港で軽い食事をとっただけである。その結果咳は止まり、帰るころには体調はほぼ万全な状態まで回復した。湿度が高くて24~5℃という気候も幸いしたが、何事も過信してはいけないこと、自分を戒める上でも教えられることの多い旅になった。
 印象に残ったことは、道中乗換えやらいろいろあって、その都度サービスセンターに駆け込んだり、駅員さんに聞いたりしたが、対応してくれた20代くらいの男性や女性は、ほとんど英語が通じた。日本語を話せる人も割りに多かった。その確率は南から北へとどの場所に行っても同じだった。年配の方は日本語が話せると聞いていたが、今回に限っては、一切お会いできなかった。20代の若い彼らは中国語、台湾語のどちらかを母国語として育ち、その上さらに2ヶ国語に通じようと努力している。この台湾の経済を支えているのは間違いなく、尽きることのない向上心だろう。過去日本の植民地となり、更にはつい最近まで同胞の中国(漢民族)に統治されていたつらい経験が支えているのだろうか。高雄から移動した台南で目にした光景が、過去歩んできた日本の風景と、妙に重なった。歩行者そっちのけで、ダンプが路上にアスファルトをひいている。それを固めているのは、年配の女性2人と男性1人。台湾はバイクの利用者が圧倒的だ。車1台に対してバイク5台は見て取れる。そんな排気ガスで煙る道路上で、もくもくと作業していた。いつか聴いた「ヨイトマケの歌」がこみあげてきた。美輪明宏が幼少時に一緒に育った友人の亡き母を回顧する歌である。この光景を見るまで忘れていた。それと同時に、なぜ美輪明宏が土方の格好で歌っていたのかよく分かった。頑張って生き抜いて、発展を遂げ、そんな地面に不自由なく立って育った我々の世代は、文句は一人前に言うが、それまで下支えした人達に感謝したことがあるだろうか。発展の影で、見失いそうになるものを見つけられるのも、海外へ出かける良さかもしれない。

「父ちゃんのためなら エンヤコラ 母ちゃんのためなら エンヤコラ もひとつおまけに エンヤコラ
今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守唄 工事現場の昼休み たばこふかして
目を閉じりゃ 聞こえてくるよ あの唄が 働く土方の あの唄が 貧しい土方の あの唄が 」