ヘルシングあい便り

年の瀬に2011.12.01

 かれこれ3ヶ月ほど前のことになる。一通のメールがホームページから舞い込んだ。「ずいぶん大人になったなぁ」差出人は、ケンとある。一体誰だ?。心当たりを探ったが、この名前に関連する人物が浮かんでこない。気にはなるけど思いつかないから忘れてしまっていた。それからしばらく経って、一本の電話に出た。その声を聞いてピンと来た。メールの差出人だと直感的に思った。
 その方との出会いは20年ほど前にさかのぼる。そのころハガキ道というものにはまっていた。ハガキを書くことによって人生が大きく変わったという坂田道信さんの講演を聞いたことがきっかけである。「義務教育を終えた者なら、最低三つのことは実行しなさい。一つは、あいさつ。もう一つは、お辞儀。三つめは、ハガキを書くこと。」という知多半島出身の哲学者である森信三氏の言葉を話されたのがとても印象に残っている。ハガキを書くことくらいで人生が変わるならやってみようと、簡単な気持ちで始めたのだが、いざ書こうとすると、書こうとする相手も浮かばないなら文章も出てこない。気持ちを伝えたい相手がいなければ書くことはできないのである。そんな中、ハガキ祭りがあるとの情報を聞いて参加することにした。河口湖で開かれたそのお祭りは、大勢の人でにぎわっていた。ハガキ一枚のことでどうしてこんなに盛り上がるのか、不思議でならなかったが、多くの方がハガキを通して出会い、さらにハガキを通して再会しているのだ。酒宴も催され、大いに盛り上がったのはいいが、翌日は二日酔いでふらふらになっていた。そんな最中声をかけてくれたのが先ほどの声の主であるK氏だった。健康に関する豊富な知識を持っていて、その場で呼吸法を教えていただき、吐き気が止まったのには驚いた。それからというものハガキの往来は頻繁になり、ご自宅へも招かれるなど親しいお付き合いへと発展したのだった。
 ところが10年ほど前、急に音信が途絶えた。それ以前から予兆はあった。不整脈に悩まされるようになったK氏に対して、西式健康法をお勧めしたのだが、その頃は、自分が分かっていなかったため、相談にものれなかった。良いのは分かるがなぜ良いのか伝えることができない。これは単に自分が体得していないというだけのことだ。そのことで信用を失ったのである。なぜ、親しくしていた間柄でこちらから連絡できなかったか、ハガキの一枚かけなかったのか。自分自身のそのことに対する負い目があったからだ。
 時折かすれる声の具合で、体の悲痛さが伝わってきた。それでも長年の空洞を埋めるかのように延々と話しは続いた。先に出た「ケン」という名も、氏のペンネームだと言うことがわかった。数年前、心筋梗塞をおこして死にかけたこと、不整脈は日に日にひどくなるなど、まるで10年前の再現のようである。ひとしきり今の体の状態と、どうすれば改善できるのかを話したところ、聞く耳を持っていなかった一方的な語り口がぴたっと止まった。今度で2度目だが、あなたに賭けてみるといった声には力がみなぎっていた。しかし、それからというもの毎日のように恨み節の電話がかかってきた。精神安定剤などの薬も長期にわたって飲んでいたから、止めたらそれを求める体の声は悲痛に違いない。一番驚いたのは、今生のお別れに一度会いたいといわれたことだ。自分の体は自分が一番よく知っているから、もう長くないだろうと言うのである。スタッフに店を任せて急ぎK氏宅へ向かったのが先月中旬のことだった。
 このところ音信がない。気になって電話をしたところ、「便りがないのは元気な証拠」と、切って返された。今生の別れといったのはどこの誰だか知らないが、今は毎日、3時半には起きて裸療法、西式体操、そして温冷浴をこなしているという。食事は玄米菜食である。昭和11年生まれ、私の父親と同い年のK氏は、体は労わった分だけ答えてくれることを証明して見せてくれた。労わるとは動かすことである。やっと胸の霧が晴れた瞬間だった。

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