ヘルシングあい便り

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海猿にエールを2010.11.22

大海原を職業とする海上保安庁。その仕事を広く知らしめたのはもちろん「海猿」だろう。映画はその中でもエリート中もエリートの潜水士にスポットが当てられているが、どちらにせよ、あたり一面海また海の自然相手の一方で、海上の安全および治安の確保を図ることを任務とするのは命がけのはずだ。その海上保安庁が、別の意味で注目されている。尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突の映像流出事件である。それが連日のようにマスコミを騒がせている。しかし、どのメディアも核心の部分には何一つ触れず、犯人探しのオンパレードだ。本来ならば内部告発にも似たスクープである。犯人は誰だという言う前に、各社寄ってたかって情報を奪い合い、流出した情報を精査し、確かな情報ならば、広く国民に問うのがメディアの役割ではないのか。いつから政権と一体となって、情報を隠蔽するようになったのか。まるで大本営発表を毎日聞いているようである。あまりにも当たり前のことが、最近、当たり前のことでなくなってきている。大きな見出しでかけないストレスを、週刊誌で暴露するような姑息なやり方ばかりが目に付きはしないか。そう思うと、辞職覚悟で国民に知らしめる行動をとったこの一件は、胸のすく思いがするのである。
江戸幕府の瓦解がつい頭をよぎる。長い安泰の時代の末の姿だ。知らしめず、寄らしめよ。国民は何も知らなくてもいいという支配構造である。お上の威厳で、よきに計らうはずが、一国を崩壊へと導いたのである。世界のあらゆる情報がインターネットで配信される時代に、それをいいように編集して、雁首そろえて国会で討議している姿はあまりにも滑稽ではないか。この行き着くところが結局、幕末最期の姿と重なるのである。 
海猿のあたえた一撃が、高杉晋作の騎兵隊のような、維新の幕開けになることを期待し、この行動にエールを送りたい。

ROUGAN2010.11.01

ちょうど今から一年前、遠くが見えにくくなったこともあり、いっそのことレンズと一緒にフレームごと新しくしようとK店に行った時のことである。まず、視力から検査が行われ、その後もいくつかの機械の前に座らされた。まるで眼科にでも来ているかのようだった。ようやく検査が終わり、その担当の女性から、現在の視力の状態についての説明を受けた。開口一番、近くも見えにくくありませんか?と聞かれ、そういえば最近視点が合わないと答えた。遠くに視点をあわせたレンズにすると、近くはより見えにくくなると言われた。どうも納得いかないので、質問した。近視というのは、近くは見えるが遠くが見えないことを言うのではないかと。その女性は困った顔をしてその通りだという。では、なぜ近くが見えないのか?空気が読めない私はさらにつっこんに聞いて、はっとした。もしかしてこれが老眼というのか。女性は黙ってうなずいた。
老いを感じさせる光景といえば、近くを見るときにメガネを取る仕草や、逆に少し手元から離して読む姿を想像するのは私だけだろうか。自分がまさにその仲間入りをしようとしている。目の前に突きつけられた現実に、これほどがっかりしたことはなかった。そもそも老眼という言葉が悪い。使いすぎたためという意味で労をねぎらって労眼とするなり、もっと違う言葉だったらこれほど落ち込まなかっただろう。しかし、このことが発奮材料になり、ようやく最近、それを克服しつつある。ヒントは、西勝造著作集の中にあった近視矯正法だった。遠くと近くを交互に見るというものだったのだが、細かな説明が書かれていなかったため、自分なりのやり方になり、効果が上がらなかった。しかし、最近ホームページで、このやり方と同じ方法を詳しく説明しているサイトを見つけて早速実践している。本も取り寄せてその理由に納得した。下記の一部がその内容である。
「老眼は水晶体と毛様体の動きが悪くなるために、近くにピントを合わせられなくなる状態なので、何とかしてそれらの動きを良くできればいいわけです。関節でも筋肉でも、体の中の「動きの悪い部分」を良くする方法は、たいていの場合「なるべく動かしてやる」ことに決まっています。目も体の一部ですから、きっと動かしてやればいいはずです。」
動かさない部分は退化する。まさしく目もよく考えれば体の一部である。毎日のささやかな訓練でも、一ヶ月、一年、十年という長い目で見れば、その動きというのは大きなうねりとなって自分に帰ってくることになる。お金がかからず、短時間でできる老眼回復トレーニング。心当たりのある方には、朗報である。

老眼回復トレーニング(実践編)
老眼予防のための気軽にできる調節訓練
1.目の前15センチの位置に、人差し指かボールペンなどを立ててその先端を見る。ピンボケでもOK
2.できるだけ遠くのもの(5メートル以上、遠ければ遠いほどよい)を見る。この時、目と目の間とペン先と遠くの目標が一直線に並ぶようにする。
3.1と2を繰り返す(約1秒間隔、20往復。計約40秒)。
4.このトレーニングを1日4回以上やる。
5.近視や乱視、遠視で眼鏡やコンタクトレンズを使用している人は、使用したままでトレーニングする。

参考著書 福与貴秀著「老眼―治らないとあきらめていませんか?」
参考HP http://www.rougan.net/

号外 ハッピーナカガワ村へ行こう!2010.10.08

花小路といえば、超こだわり玄米菜食のごはんやさん
というのが巷では合言葉のようになっていた。
どんな人が料理をつくっているのかと思えば、27歳の若者だった。
しかし、そのギャップを埋めるくらい、彼の料理は食べた後も、
人の心に余韻を持たせた。
その余韻が、どちらかというと不便な場所まで、
人の足を運ばせたのだった。
何を隠そう私もその余韻の虜になっていた一人だった。
昨日で店の幕を下ろしたことは、1ファンとして残念でならないが、
聞けば前オーナーから店を引き継ぎ、昨日までの約3年、独学で料理
を追及してきたという。
しかも、食べに来てくれるお客様のことを思い、材料にトコトンこだわ
り、春夏秋冬の旬の野菜を中心とした料理を提供する姿勢を最後まで
貫き通したことに、心から敬服する。
そしてそんな彼Yumaくんを支え続けたAinaちゃん。
ホッとする笑顔でいつも接してくれた。訪れた多くの方が、どれだけ
この笑顔で癒されただろう。
二人の名コンビがあったからこそ花小路に違いない。
最終日の料理も最高だった。しかもお酒にあうので、案の定飲みすぎ
て、今は反省しながらも、その余韻で書いている。
心からありがとうと言いたい。

10月9日は、そんな彼らが企画したお祭りの日だ。
キャッチコピーは・・・
おいしい野菜のごはん。大切にしたくなる手作りの物。
「人もHappyで、地球もHappy」が
成り立つ物事をみんなに伝えたくて、
ここ中川区で年に一度、ハッピーな事が
大集合する「オーガニック縁日・ハッピーナカガワ村」

今年は48店が出店するというからすごい!
もちろん当店も出店します。
是非、皆様もハッピーナカガワ村でハッピーな一日を!



花小路 http://www.hanakouji.net/site/home.html

ハッピーナカガワ村 http://www.hanakouji.net/site/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%82%AC%E3%83%AF%E6%9D%91%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%90.html

生きる Ⅱ2010.10.01

  先月ご紹介した野良の子猫に名前をつけた。その名は『あい』。店の名前そのままである。ここに来たのも何かのご縁。そう思うとペットショップで買ってきた離乳食用の餌がやけに気になる。そこで思いついたのが玄米粉、それをクリーム状にして餌に混ぜて与えている。離乳食から人間と同じ食べ物でいいのかどうか少し不安はあったが、顔じゅうベタベタにしながら食べている姿を見て安心した。お客さんに話すと、それは贅沢すぎるという。しかし、手間はかかるが、あきらかに市販の餌よりはるかに安くすむ。それでなおかつ健康に良いなら言うことない。かれこれ1ヶ月、今は庭を走り回るようになり、離乳食から普通食に移行している最中である。       それにしても今までご縁がなかった。ペットショップには驚いた。大型店で買い物をしたのだが、その広さだ。餌のコーナーだけで、当店の売り場と同じくらいのスペースはある。当然のことながら猫より犬のほうがはるかに広い。買う側にしてみたら種類の多さにうんざりしそうなのだが。昔を振り返れば、犬を飼っていたころ、餌といったら猫飯、要は残飯だった。ペットブームの今とは比較にならないが、人間様同様の至れり尽くせりの品揃え。そこに、現在抱える病根を垣間見た気がした。
 先月5日の西日本新聞の記事をNPO法人大地といのちの会の吉田俊道さんが送ってくださった。その記事とは、4年前から吉田さんの指導を受けて長崎県のマミー保育園が、自園の給食を、白米から三分づき、野菜を皮付きに変えたところ、インフルエンザによる欠席者が激減するなど、子ども達が元気になったという内容だ。さらにその中で、安価な一般的な調味料と皮むき野菜を使用したものと、皮付き野菜をこだわった調味料で調理したもの、調理法と調味料の違いでどこまで栄養素が変化するかを調べている。亜鉛や葉酸など7種類のビタミン・ミネラルの分析結果は、約5倍の違いがあったカルシウムを筆頭に、すべて後者が上回ったことが、しっかりしたデータで示されていた。脳の複雑で繊細な機能を順調に動かすためには、たくさんの脳内伝達物質が消費されている。体の中では、生命活動の一環で、常に化学反応が起きている。それらにはすべてビタミン、ミネラル、アミノ酸、酵素など微量栄養素がかかわっている。それが手間をかければかけた分だけ多くなり、おいしくなり、体に良いことを明らかにした貴重な記事だった。生きることは、食べることの繰り返しである。それが健康に大きく左右することを、この記事で昼食だけ食べた園児が雄弁に語っているのだ。
「功の多少を計り、彼の来処を量る」(目の前にある食事が、作られてここに来るまでにかけられた多くの手間と労力を考えなさい)食の崩壊と戦った道元禅師の言葉が浮かんでくる。そして、どういただくかという心持まで踏み込んだ教えが後世まで伝わった「いただきます」「ごちそうさま」。
普段何気なく使っているが、その言葉の意味をかみしめてみる必要があるのではないだろうか。
(五観の偈(ごかんのげ))
一には、功の多少を計り彼の来処を量る。二には、己が徳行の全けつをはかって、供に応ず。(自分は食を受けるに足りる正しい行いをしただろうか?と思い考え反省しよう)
三には、心を防ぎ、過るを離るる事は貪等を宗とす。(迷いや過ちを犯さないように、貪り・怒り・愚かさ、の3つをなくすように心がけなさい)
四には、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。(食事というものは良薬である。身を維持し痩せて衰弱するのを防ぐ。ゆえに大切にして良薬と思っていただきなさい)
五には、道業(成道)を成ぜんが為に当にこの食を受くべし。(仏道を成就するという目標の為にも、身を養うこの食事をいただきなさい)

西日本新聞の記事 
http://9021.teacup.com/x4322eaa/bbs
この9月9日のところに掲載されています。



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生きる2010.09.01

残暑が身に堪える日が続いている。先月と多少変わったといえば、日が短くなったことと、夜の寝苦しさが幾分かおさまったことだろう。今年は湿度の高い日が特に多い。それが暑さをいっそう不快なものにしている。植物への水遣りも、早い時間にしないと一汗かいてしまう。毎日の日課は自然と早くなる。そんな早朝のある日のこと、いつものように水遣りをしようと裏庭に出ると、大きなゴミ箱の隙間から、2匹の、まだヨチヨチ歩きの子猫が鳴きながらこちらに向かってくる。意味が分からなくてもう一度よく見た。やはり子猫が足元で鳴いている。ところが、ホースから出始めた水に驚いて、2匹ともすごすごとゴミ箱の隙間に逃げていった。内心これは大変なことになったと思った。捨て猫だろう。母猫が運んできたのか?猫の世界も人間の世界と一緒か?そう思うと怒りがこみ上げてきた。そして、5月の連休前の出来事と重なって憤懣やるかたなくなった。その出来事も、突然のことだった。店の入口のシャッターを開けようとすると異臭がする。足元を見ると、猫の臭い糞が数箇所に渡ってしてある。呆然としたが、鼻が曲がるような臭いに我に返り、せっせと汚れを拭いた。何が起こったのか?予期せぬことが起こると、うまく思考回路は働かないものらしい。効果的な手を打たぬまま、翌日も、そのまた翌日も、同じ場所に糞をされてしまった。どうやら猫から言わせれば、その場所がトイレと思われているらしい。そうじゃないことを分からせないといけないということが調べて分かった。その方法もいろいろだったが、断固として意識を変えさせなければいけない。植木の配置を代え、柑橘系の臭いを嫌うことからレモンのスライスを一面に置き、レモン果汁まで入念に周辺にまいた。こんなことで、せっかくのゴールデンウィークが過ぎようとしている。祝日最終日の朝、恐る恐る近づいてみると、糞がしてない。妙に嬉しくなった瞬間だった。そして今度は子猫である。頭を保健所がちらついた。一連のことから猫アレルギーになっていたのである。母猫が連れて帰っているかもしれないと期待をしながら裏庭に出た次の日、鳴き声は聞こえない。ほっとしながらゴミ箱の隙間を覗き込むと、身震いしながら子猫1匹が足元に向かって進んでくる。ひょっとしてもう1匹いるのかと思って探してみたが、どうやら母猫は1匹だけを連れてどこかへいってしまったようだ。かわいそうに一人ぼっちになってしまったのか、それとも迎えに来るのだろうか。その翌日も、この子猫だけが、今にも枯れそうな声を思いっきり出しながら向かってきた。まだ、目もよく見えていないようなのに、生きる表現を精一杯しながら音のするこちらに向かってきたのである。その瞬間アレルギーはなくなっていた。この小さな命を守ろうという思いに変わっていたのだ。孤児になって悲しんでいられない。だれかに寄りかからないと死んでしまうことを、つい生まれて間もないこの子猫は本能で知っているのである。その日からスタッフと交代で、えさやりが始まった。動物病院にも連れて行き、生後約1ヶ月ということが分かった。虚弱だか、元気がいいので大丈夫と先生に言われて胸をなでおろした。
終業時間、シャッターを閉めるために裏庭に出ると、いつものように、それを察して一目散に寝床へ帰っていく。ごみ箱の脇の小さな隙間にである。覗き込んでも姿が見えない。これから朝までの時間は、ひとりぼっちだ。なのに自分だけが頼りといわんばかりである。「今日もお疲れさん。今に見てろよ。もうすこし大きくなったら、この場所ともおさらばしてやるからな。それまでは、お宅らが頼りなんだ。それまでよろしく頼む。」そんな逞しい声が聞こえるようだ。晩夏の珍事は、生きるという大仕事を、小さな命が気づかせてくれる出来事になった。

猛暑対策2010.08.02

世界の各地で猛暑が記録されている。日本でも全国的に連日それは続いた。思えば、昨年の夏があまりにも過ごしやすかったため、今年のこの昼夜の暑さは体にこたえそうである。寒さをしのぐには厚着で対応できるが、暑さは体から汗となって、水分や、塩、ビタミンなどが奪われるから大変だ。特にその補給をしっかりすることと、冷房や扇風機のお世話になりがちなので、冷えには十分気をつけたい。私自身、学生時代に水泳部だったせいなのか、不思議と夏場に体調を崩すことはない。逆に食欲が増すほうで、一番太るといえばこの季節である。今年も今のところ順調である。その好調な原因は、やはり毎日の日課となった温冷浴のような気がする。水温が高いため、冷水本来の気持ちよさが感じられないのは残念だが、冷水、温水を交互に繰り返していると、体の芯にたまっている熱が発散されるように、風呂から上がるころには体の火照りがまったくなくなっている。
熱中症が年々増えている原因は、エアコンなどの快適さの普及で、汗をかくことや、寒さに耐えるといった「緊張と弛緩」という自律神経の働きが弱くなったことだといわれている。確かにそのとおりだと思う。機能は使わなければ衰えていくからだ。そう思って振り返ってみると、昔と今では生活環境は激変したように思う。われわれの子供時分に、エアコンなどの空調機器は、さほど日常的に使われていなかった。通った学校でもそうだった。せめてあったのは、職員室か校長室くらいだっただろう。夏は暑い暑いといいながらでも、汗をかいてまで授業中寝ていたものである。今はどうだろうか。年中快適な空調温度で生活してはいないだろうか。そうなれば当然、本来持っている機能は衰え、あらゆる急激な変化に体が耐えられなくなるのも当然である。かわいい子には旅をさせよ。という言葉があるが、厳しさを教えることは、早ければ早いほどいい。健やかな健康を願ったこの言葉の持つ本来の意味が感じられはしないだろうか。猛暑対策に、この温冷浴は、一石二鳥である。
次に、水分補給には十分気をつけたい。特に女性は、水分摂取の少ない方が多い。水が入っていかないという人をよく見かけるが、水の飲み方の大きな誤解である。最良の飲み方は、水を口に含ませる程度である。これならこまめに飲めるはずである。私も昔はスポーツの後は水をがぶ飲みしていたが、それでは胃腸機能が弱まってしまう。これが証拠に、水が体に吸収されず、胃の中で踊っていることがよくある。体は重たくなり、動けなくなる。低ナトリウム血症といわれ、最近、問題となっている現象である。こまめな水分補給を何より心がけたい。特に野外でスポーツをする場合などは、柿茶がおすすめである。柿茶はビタミンC(緑茶の約20倍の天然ビタミンCを含む)を多く含んでいる。水分補給とともに、有効成分を摂取できるからだ。 今年の夏は、長くなりそうである。備えあれば憂いなし。以上の話しが体の備えに、お役に立てば幸いである。

10年ぶりのご縁2010.07.01

福島県でマクロビオティックの宿を経営する大屋夫妻を招いて行われた先月のスイーツ講座は、キャンセル待ちや、お断りした方が多数にのぼった。米粉で作るベーキングパウダー不使用のスイーツや、卵、ベーキングパウダー不使用で作るエクレアなど、興味をそそる内容だから無理もなかった。知る人ぞ知るといううたい文句がピッタリな料理人大屋さんだが、反響の大きさには本人も驚いていた。一方、講座よりも昔話に花を咲かせたい私にとっては、再会を不思議な思いで受け止めていた。
タンボロッジをスタッフとともに訪れたのは、今からちょうど10年前のことになる。その当時、巷では、手づくりでビールを作ることが流行っていた。当店もその講習会を何度もしたことがある。そして実際に出来上がったものをみんなに振舞っては半分自慢していた。そのビールを造るモルト(原
料)は、次第に口コミで広がり、全国あちらこちらから注文が入っては発送していた。その中の一人が大屋さんだった。はじめは電話で二言三言話すだけの関係だった。それが一転したのは、不意に送られてきた自家製ビールだった。その味のあまりの美味さに、お礼より先に作り方を迫ったものである。近くで取れる天然のホップやフルーツを入れて作ったという力の入れように、すごすごと白旗を揚げた。それ以来、遠い距離でのやり取りは頻繁になり、はるばる訪れる動機となった。福島県の舘岩村に通って年月7年余り、着工から1年8ヶ月かけて夫婦2人で製作したログハウスは、来訪客を
やさしく包み込むオーラを発していた。初めてお目にかかった大屋さん(ご主人)は、恰幅のいい、いかにもグルメ愛好家で、自慢の南米創作料理と、自家製ビールに酔いしれた。そして秋の紅葉シーズンが、いっそう舞台を華やかに彩り、自然を満喫した1泊2日の旅だった。
時の流れというのは、時に不思議な共時性を与えるものらしい。スタッフへ入った講座の情報がそれを促すことになった。東京で行われる米粉のスイーツ講座の講師が、あの大屋さんと言うからだ。どうしてマクロビスイーツを?頭にあの時の体型が浮かんできて結びつかない。そのなぞを解こうと上京し、10年ぶりの再会を果たしたのが3月終わりのことだった。お互い顔を覗き込むなり、どうしたんですか?が、第一声。10年前と比べ、大屋さんは30kg、私は10kg近く痩せていたので無理はない。南米旅行で食あたりにあい、一週間近くの断食状態が続いたのがそもそものきっかけだという。体調が回復した頃には、肉や魚を食べたくなくなったそうだ。それからひと思いに、自分も宿もマクロビオティックな食事に切り替えて5年になると言う。なるほど、思えば私も紆余曲折あり、3年ほど前からカフェをマクロビオティックに切り替えた。体を動かすことも苦にならなくなり、どんどん体質は変わった気がする。一連の出来事は、食事を変えたことが共鳴しあって結びつけたご縁のように感じたのである。
習慣を変えることは難しい。変わらないのが一番心地がいいからだ。しかし、不調を感じるなら何かを変えてみることだろう。次第にその変化が心地よくなるに違いない。そして新たなご縁を生んでくれることを教えてくれたような気がした。

お手本のない時代2010.06.01

その神秘的な存在から、千数百年経った今もなお多くの人々を魅了して止まない弘法大師空海。各地に残る逸話も足跡となって、その存在感は、時空を超えて真近に迫ってくる。ベールで包まれたその足跡のかけらを、さまざま書物の中に求めたことがあった。一方で、空海は魅力的だが、密教と聞くと一般的にいかにも分かりにくい宗教である。怖いもの見たさの関心はあっても手は出さない一定の距離を持っていた。そんな時に書店で目に入ったのが司馬遼太郎の「空海の風景」だった。歴史上の人物の息づかいまで聞こえてきそうな彼の多くの作品の虜だったため、正直驚いた。彼の分野を超えているような気がしたからだ。しかし、なぜ書きたくなったのだろうかという興味が沸いてくると、もうその作品を手にしていた。当時の世界の動き、その時代に絡みつくように存在する宗教など、おかげでよく理解できた。なにより体に免疫でも出来たように、安心してその類の本に目が行くようになり、その後さらに一冊の本と巡り会ったそれは宗教書物というよりは、物事の道理を分かりやすく解くように、心地いい安堵感を与えてくれるものだった。宗教宗派を超えた根源にふれた思いがしたのだ。まさに空海の風景が描いた宗教観と同じだった。
先月、その著者の講演があることを知人から聞いた。一冊の本からの不思議なめぐりあわせで講演に参席できるご縁となった。しかも、その著者は、現在の高野山真言宗管長だった。御年81才とは思えない張りのある声で、終始分かりやすい言葉でお話しされた。以下はその内容の一部である。
過去に日本は3度の大きな節目があったという。一つは明治維新、もう一つは敗戦、そして三つ目が今であると。過去の二つは、アメリカに追いつき追い越せでやってきた。追いついてしまった現在は、そのお手本がなくなった。果たしてそのお手本でよかったのかを検証することもなかった。そのため、初めて自分達でお手本を作っていかなくてはならなくなったのが今である。しかしそのお手本は、日本人の培ってきた文化の中にあるという。それは喩えていうならチェスと将棋の違いであると。どちらも王を詰めた方が勝ちのゲームだが、駒の使い方に大きな違いがある。チェスは、相手の駒を倒したらそれで使わず終いだが、将棋は、倒した相手の持ち駒は、今度は自分の持ち駒となって戦力となる。捨てられてしまうものも取り入れてうまく活用する精神である。それは、宗教の垣根を越えて、神社、教会、お寺を上手に使い分け、違和感がないほどあらゆるものを受け入れる精神にも見られる。これが、今の世界にとって必要であり、これからのお手本であると語られたのだった。
これを聞いて、今の食文化も同じであると感じた。食物は、ありのままの状態が最も栄養価が高いはずである。しかし、見た目や彩り重視で、お米や野菜などを精米したり皮を剥くなど、不用意に物を捨てるようになった。多くのビタミンやミネラルを含む貴重な栄養源を、みすみす捨ててきたのである。捨てることによって、健康のための食文化が、いつしか偏った食文化に変貌してしまったのだ。ところが、諸外国の日本食ブームで、ようやく今、自ら持っているお手本に気がついたのである。
「医王(いおう)の目には 途(みち)に触れて 皆薬なり」(優れた名医の目から見れば、道ばたに生えている雑草の中からも薬を見出すことができる)松長管長が披露した千数百年も前の空海の言葉である。根源とはお手本である。そしてそれは時代が経ても新鮮な響きを失わないものである。

降りていく生き方2010.05.01

大きな政変があった昨年から自主上映されている映画、「降りていく生き方」は、先月でちょうど一年を迎えたそうだ。偶然にも当店のスタッフが、この上映会のボランティアをしていたことがきっかけとなり、行く機会を得た。一部の方にはお便りにこのチラシを同封させていただいた。それもあって事前に詳細を確認したのだが、はじめは好きな俳優の武田鉄矢が主演してるし、内容も題名が表わすように、足元を見る生き方を表現した作品と感じていた。あらすじやコメントなどを読みながら、新潟が舞台というこの映画に、ふと一人、頭をよぎった方がいた。
私の20代前半は、バブルが弾けたとはいえ、まだ、日本全国泡踊りの状態が続いていた。弾けた一粒一粒の泡にすがって、まだ余韻が楽しめたのだろう。しかし、当時は、漠然とした成功という二文字に将来を輝かせ、仕事に打ち込んでいたときだった。そんな折、あるイベントに参加したことがきっかけで、新潟の印刷会社を経営するSさんとお会いする機会を得た。多くの社員を抱える経営者でありながら、物腰が低く、お会いするたびに、やさしい笑みを浮かべながら、気軽にお声をかけてくれる方だった。その人柄が表わすように、その会社は、社員が主人公であり、マネージメントゲームを通して、経営のいろはを共に学んでいくという異色の経営で世間を驚かせていた。以来、事あるごとに、その方の携わるイベントに伺った。一番記憶に残っているのは、社員が一年に一回行う、身近なものを題材にして発見したことを発表する場である。夜通し車を走らせて、新潟に朝方到着し、その行事を見学させていただいた。たくさんの社員の方が、どんどん発表する中、ひときわ大きな拍手で迎えられる人がいた。どうやら、昨年の発表会で優勝しているらしい。話しが始まると、会場は一気に笑いの渦と変わっていた。その年も、彼が優勝を飾ったのは言うまでもなかった。その時のSさんとの会話は今でも鮮明に覚えている。「すばらしい社員の方ばかりですね、特に、あの優勝した方は、どういうポジションで働いているのですか。」期待を込めて聞くと、Sさんは、「いや~、伊藤さん。実は、彼は仕事がぜんぜん出来なくてね、思い切って辞めさせようかという話しが出たくらいですよ。それでもみんなで出した結論はね、仕事が出来ない社員が一人くらいいたっていいじゃないか。っていうことになったんですよ。彼は一年に一回、これだけの声援をもらって働いているじゃないかってね・・」その後しばらくしてSさんは、経営を弟に任せて第一線をあっさり退き、ちいさな自分ひとりの会社を立ち上げる。そしてまちづくり活動にとどまらず、学校や教育、福祉や介護や医療、自然保護活動、企業活動などを包含したより広い分野を、やさしい目線に立って事業プロデュースを行っていく。
そういえばSさんはどうしているだろう。すっかりご無沙汰をしてしまっている。キーボードを打つ手が思わずとまった。この映画の作品概要に、その方の名前が書いてある。その内容を一部ご紹介して終わりにしたい。
・・・脳内出血で倒れ、車椅子での生活を送っています。しかし、家族、地域、そしてこれまで一緒にまちづくりに取り組んできた世代を越えた全国の方々の支えと、情熱によって、元気を取り戻しました。苦境にも果敢に立ち向かい、自ら「降りてゆく生き方」を実践するS氏を、私たちはエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、本映画をより深め、本質に根ざしたものとすることができたのでした。

万病の元2010.04.01

“Cancer Never Affects a Healthy Organという衝撃的な言葉を含む文献からご紹介したい。「おそらく、現代においてもっとも顕著なるものは癌であろう。しかし、癌はけっして健全なる器 官をおかさない。私が検証し得たところによれば、がん患者は慢性腸マヒすなわち便秘に悩まされているものであり、がん病毒の感染は、こうした状態の間接 的結果に過ぎない・・・」(英国医学雑誌転載)。また同氏は、「自家中毒症は、女子生殖泌尿器管の疾患発生上において、きわめて大きな役割を演ずるもので ある。したがって、婦人科医もまた、腸マヒの産物とみなしえるだろう。女子が不完全な排泄に悩まされなかったとすれば、婦人科医というものも進化しなかっ たに相違ない」(王立医学協会におけるロンドンのガイ病院外科医、アーバスノットレーン氏の講演内容の一節)。さらにもう一つご紹介すると、「精神病の原 因における近代の研究は、次の事実を明らかにしている。すなわち、少なからざる場合において、精神錯乱症は、格別におかされやすい神経系統に対して腸毒素 の働く結果である。便秘と中毒症は不眠症と精神抑圧を誘致し、精神の均等も、時ならずして破壊されるのである。早発性痴呆症は、少なくともある場合にお いては、慢性腸中毒症の結果であることが明確に示されている。悪臭ある糞便と便秘とは常に見られるところである」ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士「新栄 養学」。これらの原因を紐解くように、ロンドンのセント・バーソロミュー病院のブンラントン氏の言葉も続けたい。「調理法が一般的に普及し、その結果、腸 を機械的に刺激すべき、食物の硬い部分が柔らかにされて、その刺激力を奪われるという事実は、腸の運動をますますだらけさせる傾きがある。したがって文化 人は便秘に悩まされる傾向がはなはだ著しいのである。英国国民の半数は、腸の運動を多少とも助成すべき必要を感じているものといえようと思う。それには、 摂取する食物の中に、多少とも不消化な食物を加え、もって食物の全部が吸収されずに腸を通過して排泄されるようにすれば良いであろう」と。
すべて上記の内容は、今から80年以上も前に出版された故西勝造氏の書籍から引用させていただいたものである。著作集として第12巻がまとめられてい る。これらはその中の第7巻「便秘と宿便」にある。近代設備もない80年以上も前に、腸が万病の元であると警告した医学者や人物が沢山いたのだ。医学は進 歩しているというが、果たしてそうなのか疑問に思いはしないか。ましてや当時、世界の医学者が、腸に注目している中で、一体わが国ではこの問題に、どう対 処
していたのだろうか。以前取り上げた脚気論争が、奇しくもこの時代に近い。陸軍が兵食として白米を採用した結果、多くの軍人が脚気で苦しんだ。そのため経 験的に脚気に効果があるとされた麦飯に変えようとしたが、医学界の主流を占めたドイツ医学が、脚気伝染病説だったため、否定され多くの犠牲者を出すに至っ た。否定した中心人物が有名な森鴎外である。結果の是非ではなく、広い視野で情報を収集していれば、選択の余地はもっと広まったことだろう。故西勝造氏 は、その後西医学として、現代医学と真っ向から対決し、そしてもう一人、故桜沢如一氏は無双原理マクロビオティックを提唱し、食物と健康の関係を世界に広 めた。この2人の食養家が、腸の重要性を解いたことは言うまでもない。しかし、それを見通すこと2000年前にギリシャの医師ヒポクラテスは「まず、腸を きれいにせよ」と、語ったという。
万病の原因が、今も昔も腸にあるということを痛切に感じるひと言である。
参考:西勝造著作集 全12巻中の第7巻「便秘と宿便」たにぐち書店

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