ヘルシングあい便り

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イチローとの共通点 2011.02.27

 10年連続200本安打の大リーグ記録の更新が期待されている、マリナーズのイチロー選手が今年もキャンプインした。軽く10年というが、プロの世界で10年続けるのも至難の業である。ケガに泣かされる選手も多い。しかし彼はその中でほぼフル出場し、前人未到の記録に望んでいるのだから本当にスゴイという言葉しか見つからない。そんな人物と共通点があるのかという声が聞こえてきそうだが、後述させていただくことをお許しを願いたい。
 ここ西区で店をオープンして来月で丸4年を迎える。以前は、北区のオフィス街に店を構えていたので日祝日休みにしていたのだが、新店舗は住宅街のため、当初は水曜日を定休日と決めた。しかし、業務を始めると、すぐに平日の真ん中を休みにすることの弊害が出てきた。一番の頭痛の種は生鮮食品だった。新鮮な野菜が月曜日の夕方に入ってくる。しかしそれを火曜日にはすべて売り切らなといけないのである。入荷も水曜日は避けないといけない。多くの矛盾が噴出して、開店3ヵ月後には定休日をなくして無休とした。思い切ったことをしたものであるが、一番のしわ寄せは、自分の体に来た。なかなか疲れが取れない。熟睡できない。しかも移転してオープンするまでの心労も引きずっていた。健康を売りにする店の主が、自分の健康に気をもむ事態になってきたのだ。これでは本末転倒である。しかし、不健康の真っ只中にいるとそれが気がつかないものである。
 好転の兆しは体を動かすことによって訪れた。以前改装疲れで腰を傷めたとき、それを西式の体操で治したことを思い出したのだ。毎日やればいいことを分かっていても、ついつい疎かにしてしまっていた体操である。毛管運動、金魚運動、合掌合蹠運動、本当は6つある体操のうち、長続きしそうなこの3つ動きを毎朝毎夜、寝る前と起床後行った。といっても3つの体操あわせてもわずか5分程度のことである。このささやかな運動を始めてしばらくすると、以前のように熟睡できるようになり、朝の目覚めがよくなった。店では、マクロビオティック料理を提供できるスタッフに恵まれて、毎日その食事を食べるようになった。そうするとどうだろう。相乗効果か毎朝4時ごろには目が覚める。時間が余るので運動にストレッチを加えて、柔軟を入念に行うようになった。体はどんどん軽くなった。そのうちウォーキングがしたくなって始めた。今ではそれに加えてジョギングを約3kmするようになった。ライフスタイルは完全に無休のリズムに合わせられたのだ。盆正月を除いてほぼフル出場である。
 「小さいことを積み重ねることでしか、とんでもないところへは行けないんです。」とある時語ったイチローのひと言は、妙に私の実感と重なった。彼は毎日、他の選手の3倍の時間をかけてストレッチやマッサージを行っているそうだ。それが何を意味するのかが痛いほど分かる。動かさなければ日に日に体は退化していくのである。体を鍛錬するとは、労わることである。そして自分自身を大切にすることを伝えているのだ。だから試合に望む前から、彼は他の選手を圧倒している。なぜなら彼は、健康で他の選手を圧倒している自信からだ。
「健康であることが、こんなに気持ちがいいものなのか。」BSでつぶやいた彼のひと言が、今の私
との共通点である。

統計学的思考術 2011.01.30

 最近めっきり新聞を見なくなった。当店のカフェにおいてあるのは一日遅れの東京新聞である。な
ぜまた東京なのと聞かれるのは当然のこと、読む人にとっては一日でも過去のニュースだからこれほど失礼なことはない。しかしそれは見なくなった理由からそうさせていただいた。ニュースはもは
や携帯やインターネットでいつでも手に取れる。それに一般紙は見ているはずだ。だから読み応えのあるものを探したのだが、どれもさほど面白みがない。よく学生時代、担任の先生が口をすっぱくして言っていた「見出しに惑わされるな!真実は新聞の片隅に小さく書いてあるものだ」という文句もその頃はわからずも、年とともに言葉の重みは感じてはいたが、最近はそれさえも探すことができない気がするのだ。そんなことから、一番汗をかいて取材していると感じるこの新聞を置くことにした。
 週に何度か送られてくるメールに日経ビジネスオンラインがある。その中に目をひくものがあった。それは統計学的思考術という硬い言葉だったが、それとは裏腹に、現在の社会や経済問題にあてはまる有意義な内容だった。少し興味が出たので統計学について調べてみると、その源流は、国家または社会全体における人口あるいは経済に関する調査とある。社会科学、医学、工学、計量経済学、統計物理学、バイオテクノロジー、疫学、機械学習、制御理論、インターネットなど幅広い。もうひとつ、統計や理論を使って人間にまつわるさまざまな事柄を説明し予測する易・占いもそういえる。
 今回の記事の著者である吉田耕作氏は、トヨタを例に挙げて統計学的思考術でその問題にせまっていた。日本の製造業で、アメリカ人の統計学者デミング博士を知らない人はいないらしい。氏が日本の経営者に教えた統計的品質管理=TQM(Total Quality Managementの略で、組織全体として統一した品質管理目標への取り組みを経営戦略へ適用したこと)は、消費者が生産システムの一部に入った画期的なもので、特に製造業に大きな影響を与え、品質第一のモノ造り、モノ造り日本といわれた所以だという。今日の日本があると言っても過言ではない。その中でトヨタグループが最も世界で進んでいた企業だったそうだ。カイゼンという言葉が生まれたのもその取り組みの一環にすぎない。徹底的な品質管理と日々の改善により、世界の頂点まで視野が入った昨年、信頼を失墜するリコール問題がおきた。その問題点を著者は、質への究極点指向を忘れた結果であり、それはトヨタの品質の高さは、法的に要求される基準値に入っていればそれで良いという合格点指向ではなかったこと。そして消費者からのフィードバックという最も大事な部分が欠落してしまったこと。これによって起こるべくして起こったことであると語っている。この言葉の重みは、あらゆることに通じるものではないだろうか。何か問題がおきたときに、この「基準値内」という文句はニュースで耳にする都合の良い言葉だ。そこに消費者の姿はない。基準値内であれば命の品質管理ができるのだろうか。衣食住にまつわるさまざまな問題は、この部分につきる気がするのである。
 ちなみにデミング博士の日本の活動は、日本が世界を席巻するようになってから米国でも知られるようになり、それから結果としてコンサルティングの依頼が劇的に増え、93歳で亡くなるまで世界
中で企業のコンサルティングを行ったという。圧巻は、アメリカの経済を立ち直らせ、公務員の改善
改革で16兆円のコスト削減に成功し、クリントン政権時代に大きな黒字を出すのに成功させたとい
う。まさに小さな毎日の取り組みが、さざ波となり、結果大きなうねりとなった証拠だろう。こんな有益な情報を知らせることも、活字文化の仕事のはずだ。さもなくば、こんな情報を無料で直接ユーザー(消費者)に届けてくれるネット社会に飲み込まれてしまうだろう。

参考 日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/welcome.html

KAIZEN2011.01.01

 暮れも押し迫った現地時間20日の午後4時すぎ、無事ヒュースロー空港に着いた。一日早く発っていれば大雪の影響で成田に戻されていたので運が良かった。気温は氷点下と聞いていたが、着込んでいたこともあってあまり寒さを感じなかった。想像していた灰色の空が上空を覆っていた。
 イギリスへ行くことを決めたのは、それほど前のことではなかった。彼の地のあるイベントへ行きたいという思いと、重なるように坂の上の雲がNHKで放映されたことで、かつてこの小説を読んだときの想いがそれを後押ししただけのことだった。10年のパスポートは8月で切れていた。そう考えると10年に1回の突発性の病気なのかもしれない。その一方で、日頃ラジオで聞いている基礎英語がどれくらい身になっているのか試したい気持ちもあった。
 空港へは着いたがホテルまでの行き方が分からない。困り果ててインフォメーションセンターへ行くと、高齢の方が大きな地図を広げながら丁寧に教えてくれた。話しの内容は半分以上理解不能だった。ヒヤリング能力のなさにがっかりした。地下鉄の最寄り駅があると言うので切符の買い方も戸惑いながらようやく車両に乗り込むと、車内は驚くほど狭い。大きさは日本の2/3ほどではないだろうか。しかも車高が低いため背の高い人はかがんでいる。そして車内の蛍光灯は、所々切れかかっている。おまけに車体は傷だらけだった。しかし、誰一人文句を言う人はいない。乗り換えの長い階段の途中で、乳母車を引いた女性に若い男性が声をかけた。彼はそれを階上まで抱えていった。お礼を言われると、メリークリスマスと言って笑顔で去っていった。また、次の車内でどっしり腰を落した熟年女性が小さい子どもに声をかけた。その瞬間その子どもにその席を譲っていた。ロンドン市内まで約1時間、地下鉄を降りて高架下、ここでも相変わらず蛍光灯の何本かは切れていた。
 翌日、ロンドンの朝は暗いが最寄のスーパーは7時にはもう開いていた。店員が忙しく商品を陳列していた。2日目になるとだんだん耳が慣れてきて、片言英語も自然と口をついて出てくるようになった。こうなるとだんだん面白くなってくる。地下鉄もオイスターカードという便利なカードの存在を発見し、早速購入した。日本でいうTOICAやSUICAと同じ使い方だが、大きな違いは運賃が安くなることだ。運賃がピーク時に変動するから金額が分からない私には特に便利だった。ピカデリーサーカスで有名な駅を降りると、四方に劇場がそびえ立っていた。その中の大改装している一つが目に飛び込んできた。看板になにやらローマ字が書いてある。「KAIZEN」。胸が熱くなった。 気づいたことは山ほどあるが、改めて感じたのは、世界を知ることの大切さだ。小さな島国に閉じ
こもって内弁慶になってみても何も始まらない。過去に世界を席巻した大英帝国でさえ、謙虚な生活をしていると思えないか。そして、文句を言えば自分に跳ね返ってくることをよく知っている。温故知新や吾唯知足とは一体どこの国の言葉だっただろう。日々の見直しで無駄を省き、求めている結果を得るためのより効果的方法を見つけていくというこの改善こそが今の日本にとって一番必要なことではないだろうか。
私自身もKAIZENを、今年一年のテーマにしたい。

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今年を振り返って2010.12.01

早くも一年が過ぎようとしている。思えば昨年暮れの政変からなだれこむように新年が始まった。沖縄問題から、検察の不祥事、検察審議会、裁判員制度、周辺国との確執など、たまりにたまったツケを清算しようにも、もはや平和ボケに浸りきった面々では、修復不可能に思える。その中でも一点の光を見出せたとすれば、一人のサムライの存在だろう。マスコミ騒動の中でブログにアップした内容を以下に掲載させていただく。
「大海原を職業とする海上保安庁。その仕事を広く知らしめたのは、今も放映中で大ヒットシリーズとなった「海猿」にちがいない。映画はその中でもエリート中もエリートの潜水士にスポットが当てられているが、どちらにせよ、あたり一面海また海の自然相手の一方で、海上の安全および治安の
確保を図ることを任務とする命がけの仕事だ。その海上保安庁が、別の意味で注目されている。尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突の映像流出事件である。それが連日のようにマスコミを騒がせている。しかし、どのメディアも核心の部分には何一つ触れず、犯人探しのオンパレードだ。本来ならば内部
告発にも似たスクープである。犯人は誰だという言う前に、各社寄ってたかって情報を奪い合い、流出した情報を精査し、確かな情報ならば、広く国民に問うのがメディアの役割ではないのか。いつから政権と一緒になって情報を隠蔽するようになったのか。まるで大本営発表を毎日聞いているようである。大きな見出しで書けないストレスを、系列の週刊誌で小出しに暴露するような姑息なやり方ばかりが目に付きはしないだろうか。そう思うと、辞職覚悟で国民に知らしめる行動をとったこの一件は、胸のすく思いがするのである。
江戸幕府の瓦解がつい頭をよぎる。長い安泰の時代の末の姿だ。知らしめず、寄らしめよ。国民は何も知らなくてもいいという支配構造である。お上の威厳で、よきに計らうはずが、一国を崩壊へと導いたのである。世界のあらゆる情報がインターネットで配信される時代に、それをいいように編集して、雁首そろえて国会で討議している姿はあまりにも滑稽すぎるではないか。この行き着くところが結局、幕末最期の姿と重なるのである」
もはや修復不可能とは、寄らば大樹の陰、みんなで渡れば怖くないの責任転嫁の体質である。ここ名古屋の民意46万票も、どこからともなく現れた委員会が無効と裁判所のように裁定を下すのも、変化を望まない力の大きな象徴ではないだろうか。そして、民意を代表して運営に携わる代表者面々である。本来ならその声に耳を傾け、意見をすり寄せるのが当然の役割であろうに、まさに他人の空ごとである。その小さな縮図が、国という大きな縮図そのものになっている。
そんな中で、海猿のあたえた大きな一撃である。職務を超えた、人としてどうあるべきかという思いから発したこの行動に敬意を表したい。そして、そのことが、高杉晋作の騎兵隊ように、一般人の一人一人の心に伝染し、維新の幕開けになる新年になることを期待したい。

海猿にエールを2010.11.22

大海原を職業とする海上保安庁。その仕事を広く知らしめたのはもちろん「海猿」だろう。映画はその中でもエリート中もエリートの潜水士にスポットが当てられているが、どちらにせよ、あたり一面海また海の自然相手の一方で、海上の安全および治安の確保を図ることを任務とするのは命がけのはずだ。その海上保安庁が、別の意味で注目されている。尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突の映像流出事件である。それが連日のようにマスコミを騒がせている。しかし、どのメディアも核心の部分には何一つ触れず、犯人探しのオンパレードだ。本来ならば内部告発にも似たスクープである。犯人は誰だという言う前に、各社寄ってたかって情報を奪い合い、流出した情報を精査し、確かな情報ならば、広く国民に問うのがメディアの役割ではないのか。いつから政権と一体となって、情報を隠蔽するようになったのか。まるで大本営発表を毎日聞いているようである。あまりにも当たり前のことが、最近、当たり前のことでなくなってきている。大きな見出しでかけないストレスを、週刊誌で暴露するような姑息なやり方ばかりが目に付きはしないか。そう思うと、辞職覚悟で国民に知らしめる行動をとったこの一件は、胸のすく思いがするのである。
江戸幕府の瓦解がつい頭をよぎる。長い安泰の時代の末の姿だ。知らしめず、寄らしめよ。国民は何も知らなくてもいいという支配構造である。お上の威厳で、よきに計らうはずが、一国を崩壊へと導いたのである。世界のあらゆる情報がインターネットで配信される時代に、それをいいように編集して、雁首そろえて国会で討議している姿はあまりにも滑稽ではないか。この行き着くところが結局、幕末最期の姿と重なるのである。 
海猿のあたえた一撃が、高杉晋作の騎兵隊のような、維新の幕開けになることを期待し、この行動にエールを送りたい。

ROUGAN2010.11.01

ちょうど今から一年前、遠くが見えにくくなったこともあり、いっそのことレンズと一緒にフレームごと新しくしようとK店に行った時のことである。まず、視力から検査が行われ、その後もいくつかの機械の前に座らされた。まるで眼科にでも来ているかのようだった。ようやく検査が終わり、その担当の女性から、現在の視力の状態についての説明を受けた。開口一番、近くも見えにくくありませんか?と聞かれ、そういえば最近視点が合わないと答えた。遠くに視点をあわせたレンズにすると、近くはより見えにくくなると言われた。どうも納得いかないので、質問した。近視というのは、近くは見えるが遠くが見えないことを言うのではないかと。その女性は困った顔をしてその通りだという。では、なぜ近くが見えないのか?空気が読めない私はさらにつっこんに聞いて、はっとした。もしかしてこれが老眼というのか。女性は黙ってうなずいた。
老いを感じさせる光景といえば、近くを見るときにメガネを取る仕草や、逆に少し手元から離して読む姿を想像するのは私だけだろうか。自分がまさにその仲間入りをしようとしている。目の前に突きつけられた現実に、これほどがっかりしたことはなかった。そもそも老眼という言葉が悪い。使いすぎたためという意味で労をねぎらって労眼とするなり、もっと違う言葉だったらこれほど落ち込まなかっただろう。しかし、このことが発奮材料になり、ようやく最近、それを克服しつつある。ヒントは、西勝造著作集の中にあった近視矯正法だった。遠くと近くを交互に見るというものだったのだが、細かな説明が書かれていなかったため、自分なりのやり方になり、効果が上がらなかった。しかし、最近ホームページで、このやり方と同じ方法を詳しく説明しているサイトを見つけて早速実践している。本も取り寄せてその理由に納得した。下記の一部がその内容である。
「老眼は水晶体と毛様体の動きが悪くなるために、近くにピントを合わせられなくなる状態なので、何とかしてそれらの動きを良くできればいいわけです。関節でも筋肉でも、体の中の「動きの悪い部分」を良くする方法は、たいていの場合「なるべく動かしてやる」ことに決まっています。目も体の一部ですから、きっと動かしてやればいいはずです。」
動かさない部分は退化する。まさしく目もよく考えれば体の一部である。毎日のささやかな訓練でも、一ヶ月、一年、十年という長い目で見れば、その動きというのは大きなうねりとなって自分に帰ってくることになる。お金がかからず、短時間でできる老眼回復トレーニング。心当たりのある方には、朗報である。

老眼回復トレーニング(実践編)
老眼予防のための気軽にできる調節訓練
1.目の前15センチの位置に、人差し指かボールペンなどを立ててその先端を見る。ピンボケでもOK
2.できるだけ遠くのもの(5メートル以上、遠ければ遠いほどよい)を見る。この時、目と目の間とペン先と遠くの目標が一直線に並ぶようにする。
3.1と2を繰り返す(約1秒間隔、20往復。計約40秒)。
4.このトレーニングを1日4回以上やる。
5.近視や乱視、遠視で眼鏡やコンタクトレンズを使用している人は、使用したままでトレーニングする。

参考著書 福与貴秀著「老眼―治らないとあきらめていませんか?」
参考HP http://www.rougan.net/

号外 ハッピーナカガワ村へ行こう!2010.10.08

花小路といえば、超こだわり玄米菜食のごはんやさん
というのが巷では合言葉のようになっていた。
どんな人が料理をつくっているのかと思えば、27歳の若者だった。
しかし、そのギャップを埋めるくらい、彼の料理は食べた後も、
人の心に余韻を持たせた。
その余韻が、どちらかというと不便な場所まで、
人の足を運ばせたのだった。
何を隠そう私もその余韻の虜になっていた一人だった。
昨日で店の幕を下ろしたことは、1ファンとして残念でならないが、
聞けば前オーナーから店を引き継ぎ、昨日までの約3年、独学で料理
を追及してきたという。
しかも、食べに来てくれるお客様のことを思い、材料にトコトンこだわ
り、春夏秋冬の旬の野菜を中心とした料理を提供する姿勢を最後まで
貫き通したことに、心から敬服する。
そしてそんな彼Yumaくんを支え続けたAinaちゃん。
ホッとする笑顔でいつも接してくれた。訪れた多くの方が、どれだけ
この笑顔で癒されただろう。
二人の名コンビがあったからこそ花小路に違いない。
最終日の料理も最高だった。しかもお酒にあうので、案の定飲みすぎ
て、今は反省しながらも、その余韻で書いている。
心からありがとうと言いたい。

10月9日は、そんな彼らが企画したお祭りの日だ。
キャッチコピーは・・・
おいしい野菜のごはん。大切にしたくなる手作りの物。
「人もHappyで、地球もHappy」が
成り立つ物事をみんなに伝えたくて、
ここ中川区で年に一度、ハッピーな事が
大集合する「オーガニック縁日・ハッピーナカガワ村」

今年は48店が出店するというからすごい!
もちろん当店も出店します。
是非、皆様もハッピーナカガワ村でハッピーな一日を!



花小路 http://www.hanakouji.net/site/home.html

ハッピーナカガワ村 http://www.hanakouji.net/site/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%82%AC%E3%83%AF%E6%9D%91%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%90.html

生きる Ⅱ2010.10.01

  先月ご紹介した野良の子猫に名前をつけた。その名は『あい』。店の名前そのままである。ここに来たのも何かのご縁。そう思うとペットショップで買ってきた離乳食用の餌がやけに気になる。そこで思いついたのが玄米粉、それをクリーム状にして餌に混ぜて与えている。離乳食から人間と同じ食べ物でいいのかどうか少し不安はあったが、顔じゅうベタベタにしながら食べている姿を見て安心した。お客さんに話すと、それは贅沢すぎるという。しかし、手間はかかるが、あきらかに市販の餌よりはるかに安くすむ。それでなおかつ健康に良いなら言うことない。かれこれ1ヶ月、今は庭を走り回るようになり、離乳食から普通食に移行している最中である。       それにしても今までご縁がなかった。ペットショップには驚いた。大型店で買い物をしたのだが、その広さだ。餌のコーナーだけで、当店の売り場と同じくらいのスペースはある。当然のことながら猫より犬のほうがはるかに広い。買う側にしてみたら種類の多さにうんざりしそうなのだが。昔を振り返れば、犬を飼っていたころ、餌といったら猫飯、要は残飯だった。ペットブームの今とは比較にならないが、人間様同様の至れり尽くせりの品揃え。そこに、現在抱える病根を垣間見た気がした。
 先月5日の西日本新聞の記事をNPO法人大地といのちの会の吉田俊道さんが送ってくださった。その記事とは、4年前から吉田さんの指導を受けて長崎県のマミー保育園が、自園の給食を、白米から三分づき、野菜を皮付きに変えたところ、インフルエンザによる欠席者が激減するなど、子ども達が元気になったという内容だ。さらにその中で、安価な一般的な調味料と皮むき野菜を使用したものと、皮付き野菜をこだわった調味料で調理したもの、調理法と調味料の違いでどこまで栄養素が変化するかを調べている。亜鉛や葉酸など7種類のビタミン・ミネラルの分析結果は、約5倍の違いがあったカルシウムを筆頭に、すべて後者が上回ったことが、しっかりしたデータで示されていた。脳の複雑で繊細な機能を順調に動かすためには、たくさんの脳内伝達物質が消費されている。体の中では、生命活動の一環で、常に化学反応が起きている。それらにはすべてビタミン、ミネラル、アミノ酸、酵素など微量栄養素がかかわっている。それが手間をかければかけた分だけ多くなり、おいしくなり、体に良いことを明らかにした貴重な記事だった。生きることは、食べることの繰り返しである。それが健康に大きく左右することを、この記事で昼食だけ食べた園児が雄弁に語っているのだ。
「功の多少を計り、彼の来処を量る」(目の前にある食事が、作られてここに来るまでにかけられた多くの手間と労力を考えなさい)食の崩壊と戦った道元禅師の言葉が浮かんでくる。そして、どういただくかという心持まで踏み込んだ教えが後世まで伝わった「いただきます」「ごちそうさま」。
普段何気なく使っているが、その言葉の意味をかみしめてみる必要があるのではないだろうか。
(五観の偈(ごかんのげ))
一には、功の多少を計り彼の来処を量る。二には、己が徳行の全けつをはかって、供に応ず。(自分は食を受けるに足りる正しい行いをしただろうか?と思い考え反省しよう)
三には、心を防ぎ、過るを離るる事は貪等を宗とす。(迷いや過ちを犯さないように、貪り・怒り・愚かさ、の3つをなくすように心がけなさい)
四には、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。(食事というものは良薬である。身を維持し痩せて衰弱するのを防ぐ。ゆえに大切にして良薬と思っていただきなさい)
五には、道業(成道)を成ぜんが為に当にこの食を受くべし。(仏道を成就するという目標の為にも、身を養うこの食事をいただきなさい)

西日本新聞の記事 
http://9021.teacup.com/x4322eaa/bbs
この9月9日のところに掲載されています。



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生きる2010.09.01

残暑が身に堪える日が続いている。先月と多少変わったといえば、日が短くなったことと、夜の寝苦しさが幾分かおさまったことだろう。今年は湿度の高い日が特に多い。それが暑さをいっそう不快なものにしている。植物への水遣りも、早い時間にしないと一汗かいてしまう。毎日の日課は自然と早くなる。そんな早朝のある日のこと、いつものように水遣りをしようと裏庭に出ると、大きなゴミ箱の隙間から、2匹の、まだヨチヨチ歩きの子猫が鳴きながらこちらに向かってくる。意味が分からなくてもう一度よく見た。やはり子猫が足元で鳴いている。ところが、ホースから出始めた水に驚いて、2匹ともすごすごとゴミ箱の隙間に逃げていった。内心これは大変なことになったと思った。捨て猫だろう。母猫が運んできたのか?猫の世界も人間の世界と一緒か?そう思うと怒りがこみ上げてきた。そして、5月の連休前の出来事と重なって憤懣やるかたなくなった。その出来事も、突然のことだった。店の入口のシャッターを開けようとすると異臭がする。足元を見ると、猫の臭い糞が数箇所に渡ってしてある。呆然としたが、鼻が曲がるような臭いに我に返り、せっせと汚れを拭いた。何が起こったのか?予期せぬことが起こると、うまく思考回路は働かないものらしい。効果的な手を打たぬまま、翌日も、そのまた翌日も、同じ場所に糞をされてしまった。どうやら猫から言わせれば、その場所がトイレと思われているらしい。そうじゃないことを分からせないといけないということが調べて分かった。その方法もいろいろだったが、断固として意識を変えさせなければいけない。植木の配置を代え、柑橘系の臭いを嫌うことからレモンのスライスを一面に置き、レモン果汁まで入念に周辺にまいた。こんなことで、せっかくのゴールデンウィークが過ぎようとしている。祝日最終日の朝、恐る恐る近づいてみると、糞がしてない。妙に嬉しくなった瞬間だった。そして今度は子猫である。頭を保健所がちらついた。一連のことから猫アレルギーになっていたのである。母猫が連れて帰っているかもしれないと期待をしながら裏庭に出た次の日、鳴き声は聞こえない。ほっとしながらゴミ箱の隙間を覗き込むと、身震いしながら子猫1匹が足元に向かって進んでくる。ひょっとしてもう1匹いるのかと思って探してみたが、どうやら母猫は1匹だけを連れてどこかへいってしまったようだ。かわいそうに一人ぼっちになってしまったのか、それとも迎えに来るのだろうか。その翌日も、この子猫だけが、今にも枯れそうな声を思いっきり出しながら向かってきた。まだ、目もよく見えていないようなのに、生きる表現を精一杯しながら音のするこちらに向かってきたのである。その瞬間アレルギーはなくなっていた。この小さな命を守ろうという思いに変わっていたのだ。孤児になって悲しんでいられない。だれかに寄りかからないと死んでしまうことを、つい生まれて間もないこの子猫は本能で知っているのである。その日からスタッフと交代で、えさやりが始まった。動物病院にも連れて行き、生後約1ヶ月ということが分かった。虚弱だか、元気がいいので大丈夫と先生に言われて胸をなでおろした。
終業時間、シャッターを閉めるために裏庭に出ると、いつものように、それを察して一目散に寝床へ帰っていく。ごみ箱の脇の小さな隙間にである。覗き込んでも姿が見えない。これから朝までの時間は、ひとりぼっちだ。なのに自分だけが頼りといわんばかりである。「今日もお疲れさん。今に見てろよ。もうすこし大きくなったら、この場所ともおさらばしてやるからな。それまでは、お宅らが頼りなんだ。それまでよろしく頼む。」そんな逞しい声が聞こえるようだ。晩夏の珍事は、生きるという大仕事を、小さな命が気づかせてくれる出来事になった。

猛暑対策2010.08.02

世界の各地で猛暑が記録されている。日本でも全国的に連日それは続いた。思えば、昨年の夏があまりにも過ごしやすかったため、今年のこの昼夜の暑さは体にこたえそうである。寒さをしのぐには厚着で対応できるが、暑さは体から汗となって、水分や、塩、ビタミンなどが奪われるから大変だ。特にその補給をしっかりすることと、冷房や扇風機のお世話になりがちなので、冷えには十分気をつけたい。私自身、学生時代に水泳部だったせいなのか、不思議と夏場に体調を崩すことはない。逆に食欲が増すほうで、一番太るといえばこの季節である。今年も今のところ順調である。その好調な原因は、やはり毎日の日課となった温冷浴のような気がする。水温が高いため、冷水本来の気持ちよさが感じられないのは残念だが、冷水、温水を交互に繰り返していると、体の芯にたまっている熱が発散されるように、風呂から上がるころには体の火照りがまったくなくなっている。
熱中症が年々増えている原因は、エアコンなどの快適さの普及で、汗をかくことや、寒さに耐えるといった「緊張と弛緩」という自律神経の働きが弱くなったことだといわれている。確かにそのとおりだと思う。機能は使わなければ衰えていくからだ。そう思って振り返ってみると、昔と今では生活環境は激変したように思う。われわれの子供時分に、エアコンなどの空調機器は、さほど日常的に使われていなかった。通った学校でもそうだった。せめてあったのは、職員室か校長室くらいだっただろう。夏は暑い暑いといいながらでも、汗をかいてまで授業中寝ていたものである。今はどうだろうか。年中快適な空調温度で生活してはいないだろうか。そうなれば当然、本来持っている機能は衰え、あらゆる急激な変化に体が耐えられなくなるのも当然である。かわいい子には旅をさせよ。という言葉があるが、厳しさを教えることは、早ければ早いほどいい。健やかな健康を願ったこの言葉の持つ本来の意味が感じられはしないだろうか。猛暑対策に、この温冷浴は、一石二鳥である。
次に、水分補給には十分気をつけたい。特に女性は、水分摂取の少ない方が多い。水が入っていかないという人をよく見かけるが、水の飲み方の大きな誤解である。最良の飲み方は、水を口に含ませる程度である。これならこまめに飲めるはずである。私も昔はスポーツの後は水をがぶ飲みしていたが、それでは胃腸機能が弱まってしまう。これが証拠に、水が体に吸収されず、胃の中で踊っていることがよくある。体は重たくなり、動けなくなる。低ナトリウム血症といわれ、最近、問題となっている現象である。こまめな水分補給を何より心がけたい。特に野外でスポーツをする場合などは、柿茶がおすすめである。柿茶はビタミンC(緑茶の約20倍の天然ビタミンCを含む)を多く含んでいる。水分補給とともに、有効成分を摂取できるからだ。 今年の夏は、長くなりそうである。備えあれば憂いなし。以上の話しが体の備えに、お役に立てば幸いである。

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