ヘルシングあい便り

前の10件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13

意外な温暖化の原因? 2011.07.27

 それは先月、友人とのふとした会話からわいた疑問だった。長い付き合いになるその友人は、かつて釣りバカ一歩手前ほどの愛好家だった。早朝、仕事の前にも釣りに行くほどだったが、最近は忙しくてめっきりその腕を試す機会はないらしい。渓流釣りには数回連れて行ってもらったことがある。そこで分かったことは、こちらは釣りよりどちらかというと食べ物や温泉のほうに興味がわくため、釣りを心底楽しむ性格ではないということだ。それでもお互い気にしないため、たまに誘いが来る。話しはその友人からの誘いで近くの温泉、元気の里に行ったときのことである。時節柄でつい原発の話になった。浜岡の名前を出したとたん、顔色が変わり、その周辺の釣り場の話しが始まった。原発から出る温排水はすごいらしい。排出された温排水は湯気で一面真っ白というのだ。そしてその暖かい海水に彼らが言うGTクラスの大きな魚も群がってくるので、そこに竿を投げて釣るのが醍醐味だったという。釣り好きからしてみればその排水が止まれば、もはやその光景は見られないというため息交じりの話しで終わったのだが、その温排水とはどの程度のものなのだろう。海を容赦なく温めているのである。その疑問が頭から離れなかったのだ。
 今年は、梅雨が明けたか分からないうちに一気に真夏日となった。例年と変わらず、湿度の高いうっとおしい暑さが続いた。ところが異変が起きた。夕方になると、秋を思わせるようなやわらかい風になった。あの蒸気熱を思わせる風ではない。これは素人考えだが、すぐに浜岡原発が浮かんだ。原発が停止したからではないのだろうか。原子力発電所で生み出される熱はおよそ300万キロワットになるらしい。そのうちのわずか1/3だけを電気に変えて、残り2/3の熱は、何と海に捨てているのだという。その正体があの温排水だったのだ。なんと1秒間に70トンの海水を原子力発電所内に引き込み、温度を7度も上昇させて海に捨てているのだ。しかも配管に付着する物質を防ぐための薬剤も一緒に流しているのである。これが日本全体の54基全部で稼動してたらどうなるだろうか。生命の源の海へ、天に唾するような行為が長い間無言のまま行われてきたのである。毎年のように海水の温度上昇のため、自然災害の激発と共に生態系への影響が危惧されるとメディアは警告するが、それならどうしてこのことを指摘しないのだろうか。CO2を削減し、地球温暖化に貢献するといいながら、この一点だけ見ても温暖化と環境破壊の原因ではないのか。3月時点で稼動していた原発37基が、停止や点検もあって現時点で16基になった。これがこの夏の温度に影響していると思うのは私の思い過ごしだろうか。来年、点検も含めて全国の原発が止まる可能性がでてきたらしい。そうなれば、生まれて始めて原発のない夏が体験できるかもしれない。本当の日本の夏に出会えるのだ。
 最近、東京新聞に代える購読者が急増しているそうだ。そういえば自民党議員の72%が東京電力から政治献金を受けていた記事があった。道理で原発停止に反対のわけである。もはやこうなれば政治信条もない人間がバッジを付けただげのお役人である、それならいっそのこと党の名前も原発党に改名すればわかりがいいのではないか。国絡みで独占を許したマンモス企業に、今や手や足を縛られた状態の中、共生か強制かの攻防が、これからの日本を大きく左右することになるだろう。

参考著書:DAYSJAPAN8月号 小出裕章の放射能の話

おかげさまで20周年 2011.07.01

 今年で開店して20年、それは大切な店を故加藤ヒロ子先生から引き継ぎ、はや15年が経ったということを意味する。正直、よく続いたと思う。子どもから大人への節目、成人になるまでの紆余曲折と同じように、多くの失敗と、周りの方々のあたたかい目に守られ、ようやく一人立ちできる年令を迎えた実感がある。経験したことないことばかりで失敗の繰り返し、あの時こうしていれば、というセリフを何度自問したことだろう。それも今になってしまえば、失敗なくして自立はありえないという簡単な言葉に行き着いてしまう。なんでも経験してみなければ身につかないのである。一通りのことを経験すると、今度はそれを教える立場になる。世の中そう回ってるんだと感じるようになるのにそれ相応の年数がかかるようである。 ヘルシングあいは、1991年、西式甲田療法を指導する店として、保健婦だった加藤ヒロ子先生が開業した。その当時はバブルが崩壊したとはいえ、空き店舗が見つからないほど好景気に沸く最中だった。グルメが主流を占める中、それとは逆行する「食べすぎが病気の元だ」という指導は、大変だったにちがいない。玄米を食べているだけで変な目で見られた時期だった。この偶然ともいえる加藤先生との出会いによって、今の私がある。そして西式という民間療法を学んだことが大きな力になったと思っている。西式は、健康法という大きな枠で捉えられているが、本来なら医学として認識されるものである。なぜならその検証は、血液循環から、血圧、骨の性質、体の姿勢から体貌まで及び、一貫して自らの主張を、膨大な世界の学説や、臨床から実証してみせたものだった。そして、その内容は、現在に至っても古さを感じさせない。それが意味するのは真の医療だからに違いない。それに引き換え体を部分しか見ない現代医学は、混迷を極める一方である。今だに新薬さえ風邪一つ治せないのである。
 3月に起きた震災から3ヶ月以上が過ぎた。今だに収束の目処がつかない原発が、復興の足かせになっている。この危険性が世界中の人々に伝わったことが唯一の救いであることは間違いないが、いつの時代も、情報はスポンサーのご都合で作られることがはっきりした。本当に知りたい情報は、お金を出してでも自ら求めないと何一つ入ってこないのである。この危険性が、少しでも認識できていれば、この小さな国土に54基も原発は作られないだろう。それが今は、地雷のように全国に散らばっているのである。その上、放射性廃棄物の行方も他人の空事である。知らないということは恐ろしいことだ。家や土地を奪われることも知らずに、信用して財布を預けているようなものだからだ。
 医療もしかりではないだろうか。B型肝炎訴訟の和解が最近合意された。国の過誤によって感染被害を受けた被害者を救済するのは当然のことであるが、医薬品の認証に携わる経緯などは、誰も知る由もない。専門的なことだからいう必要がないのだろうか。本来、自らの体に入れるものなら、余計疑ってかかった方が良いのではないか。被害者になっても後の祭りである。私自身、定期健診は20年以上受けていない。今後もするつもりはないし、外傷以外の病院にはお世話になるつもりはない。体調は、自分自身が一番よく分かっているつもりだ。
 最近分かったことは、病気に重度があるように、健康にも健やか度があるということだ。健康になればなるほど自由自在になる。その基本は、もちろん食であり、運動である。皆様の健やか度を上げることに貢献できるよう、私自身もその角度を上げて行きたいと思っている。

100,000年後の安全2011.05.26

 「おい!何かいいネタはないか~。」と、おなじみのセリフを聞いたのは4月はじめのこと。受話器の向こうから少しかすれがかった声が耳元で鳴り響いた。お便りで何度も登場している病気の問屋、K氏である。新聞社を勤め上げ、現在は持病と戦いながらも、編集局でならした腕前を、某サイトのブログで披露している。しかも3日に1回の透析以外はほぼ更新されているからすごい。自費での取材地元愛知県のみならず、岐阜や三重県など近隣地方まで及ぶ。新旧織り成す街道は、K氏の手にかかるとどれもが色彩を帯びてくるから不思議だ。それは日常に埋没してふだん忘れ去られている所に光を当てるからに違いない。少し離れたところに視点をおいて誰もが見落としそうなところ、記者の目は的確にそこにピントを合わせる。真剣に仕事をしてきた証拠だ。しかし、時折ネタに事欠くらしく、忘れたころにメールや電話でその催促をよこす。そのためこの時とばかり、ネット上で話題になった原発に関するサイトをいくつか紹介した。震災以来、情報は原発で一色でありながら、満足な情報を伝えている大手メディアは残念ながら皆無だった。それを証拠に、そのサイトの反響はK氏の予想を超えるものだったという。20年来のお付き合いになるが、共通の話題で情報の共有をしたのは今回が初めてである。しばらくして原発の問題をアップしたというメールが入った。客観的な視点から繰り出す確かな情報、これを読者は求めている。今度はこちらがネタをいただこう。
以下は、K氏許可のもと、ブログ内容を拝借させていただく。
●放射性廃棄物の最終処分場
 日本は福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染の後遺症対策ととともに高レベルの放射性廃棄物の最終処理場建設も大きな課題だ。54基もある原発から出る放射性廃棄物はたまる一方だが、日本ではまだ最終処分場の建設場所が決まってない。将来必ず建設しなければいけない最終処分場はどうするのか。今の技術水準で将来安全といえる施設はできるのか。17日のNHK・BS1テレビ「問われる核のゴミ処理」や全国のミニシアターで現在上映されている話題の映画「100000年後の安全」などで、その実態が浮き彫りになっている。17日午前零時からNHK・BS1で放映されたのは、世界ドキュメント「終わらない悪夢(前)」。原子力発電の先進国といわれるフランスが制作したもので、放射性廃棄物・問われる核のゴミ処理問題がテーマ。放射性廃棄物の海洋投棄が1993年に禁止されるまで続けられていたことから始まり、米国や旧ソ連の問題ある放射性廃棄物処理の実態を取り上げている。米国は1943年建設された原子爆弾作成のマンハッタン計画で、プルトリウムの精製が行われたワシントン州東南にある最大の汚染地域、ハンフォードを取り上げ、放置された所から今でも汚染水が地下水を通じ、コロラド川にも及んでいる。また、旧ソ連は核兵器開発のために1948年に建設した原子炉の使用済み燃料の汚染地域、テチャ川周辺地域を取り上げ、がん発生率の多さや死亡率の高さを問題視している。さらにフランスは、日本などから放射性廃棄物を引き受け処理しているが、それが最終的にはロシアのシベリア奥地の貯蔵コンテナに入れられたままで放棄されている。世界に今安全な最終処分場は無いのだ。原爆被害を受けた日本以外にも60年以上前から米国やロシアで放射能廃棄物汚染が起こっている。非常にショッキングな内容だった。18日午前零時から後編がNHK・BS1で放映される。夜中だが、ぜひ見ていただきたい。
 全国のミニシアターで上映中の「100000年後の安全」はフィンランドのオルキルオトに建設中の原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場「オンカロ(隠された場所)」と呼ばれる施設に、世界で初めてカメラが潜入したドキュメンタリー作品。高レベル放射性廃棄物は安全な状態になるまで、10万年間かかる想定でフィンランドでは、かたい岩盤を掘削し地下500㍍に巨大な施設を造るプロジェクトを進めている。10万年もの耐久性がある放射性廃棄物の最終処分場をはたしてつくることが可能なのか。後世の人類に悪影響はないのか、興味深い。福島第一原発の放射能汚染事故で予定を早めての上映。まだ、私は見ていないが、かなりの人が押し掛けているようだ。 
名古屋地区は千種区今池の名古屋シネマテークで5月28日から6月11日まで時間を変更しながら上映予定。ぜひ見てみたいと思っている。
 日本では最終処分場は決まってないものの現在、地下坑道を掘った高レベルの放射性廃棄物を埋蔵処理する調査研究は、岐阜県瑞浪市と北海道で行っている。そのうちの一つ、瑞浪市に昨年4月に行き、地下300㍍の水平坑道を体感してきた。正式名称は「日本原子力研究開発機構東濃地科学センター・瑞浪超深地層研究所」で、月1回の一般公開に参加してみてきたもの。
 同研究所は、2002年に開所、翌年から立坑の掘削作業を開始し、その時の話では主立坑(内径6.5㍍)、換気立坑(内径4.5㍍)とも地下460㍍まで掘り進んでいる。将来は1000㍍まで掘る計画。地下水平坑道は2008年、研究アクセス坑道として深度300㍍のところに完成した。水平坑道の高さは3㍍、幅4㍍、全長100㍍。この水平坑道では①断層や岩盤の割れ目②地下水の化学的性質の変化③坑道掘削の影響や湧き水抑制対策技術などの調査研究を行っている。放射性廃棄物の瑞浪市への持ち込みは、日本原子力研究開発機構と瑞浪市との覚書で一切禁止になっている。いずれ日本はどこかに高レベル放射性廃棄物処分場を設けなくてはいけないが、果たして賛成してくれる自治体があるのか、大きな問題になるだろう。地下300㍍のトンネル内の岩盤がむき出しになっている所を見ながらその時思った。
 以上、K氏の記事である。近くで密かに行われている調査研究と題した工事。結局行き着くところは廃棄物の墓場を作る発想でしかない。次世代に大きなツケを遺してでも現在の生活を守りたいのかを問われている。原発事故がおきてはじめて、世界が共通して抱えている大きな問題を知ることができたのだ。問題の先送りが許されるはずはない。
 「100,000年後の安全」は、5月28日から名古屋シネマテークで上映される。この映画のほかにも、ミニシアターならではの作品が上映されているようだ。正しい情報を知ることによって、一人一人が将来の選択をすることができる。その良い機会になることを願っている。

 上映時間
5/28(土)~6/3(金)18:30~6/2(木)・3(金)は追加上映あり。
6/4(土)~6/10(金)10:30~ 16:00~
6/11(土)~6/17金)10:30~名古屋シネマテーク
名古屋市千種区今池1-6-13今池スタービル2F

新しい時代の幕開けに 2011.04.29

 この一大事にとるさまざまな動き一つ一つ。そのことでいろいろなことを気づかされる。なるべく遠くに避難する人やいち早く現地に駆けつける人、情報を提供する国やメディアの姿勢、能書きをいう御用学者やそれに右往左往する政治家、何が良い悪いの問題ではなく、明らかに分かったのは、この国には既得権益という特権にぶら下がって、こんな事態になっても自分のことしか考えることができない面々がそれでも多くいるということだ。地震直後、多くの帰宅難民が出る中、百貨店などが売り場を開放したことはニュースで広く報じられた。都電もメトロも私鉄も都バスも懸命に使命を果たす中、早々と運行を見合わせ、構内から帰宅できない人たちを締め出したのはJRである。隣国、北朝鮮からは震災見舞いとして10万ドルの支援があったにもかかわらず、そのことをホームページに載せない外務省。その理由について、赤十字社を通じた支援であり、外務省に通知がなかったとしている。世界各国の外交を司っているいわば国の顔である。通知がなかったから載せないという小学生以下の回答をおくびにもださずに言えるとはどこまで高慢な態度だろう。そういう役人が一人一人の税金で当たり前のような顔で職務に当たっているのが現状である。東京電力にしてもJRにしても、もともとは国営企業である。既得権益で独占状態のまま今日に至った殿様商売と官僚組織、その慢心さゆえ、国家の屋台骨が揺らいでいるときでさえ他人事なのだろうか。 32カ国の在京大使館が地震発生後に閉鎖や避難する中、韓国大使館は、東京にとどまり、大使や大使館員の家族も一時帰国しなかったそうである。厳しい状況下に置かれている隣人を助けなければ本当の隣人ではないと考えて、自ら募金や救済活動に当たっているという。この違いは何だろう。せめてメディアがこのことを広く取り上げ、敬意を表すべきではないだろうか。これらいくつかの情報は、一日遅れで届く東京新聞のこちら特報部からの抜粋である。震災以来特に連日熱い報道が続く。しかし、この東京中日新聞にしても、地元名古屋の中日新聞にこの情報が掲載されるのは逆に数日遅い。しかも掲載されないものも多々ある。情報の震源から遠ざかれば遠ざかるほど、その密度は荒くなるのか、それとも知らなくても良いということなのか。割愛された一つに、原子力関連法人に巨額積立金の記事がある。何と3兆円も眠っているとうたった紙面だ。だったらすみやかにそのお金を救済に当てるべきと考えるのが普通だが、法律で使途が決まっているので目的外の使用はできないというつれない回答が帰ってきたらしい。その目的とは、放射性廃棄物の再処理と、最終処分のために積み立てられたもの。しかし、使用済み核燃料の処分方法も定まっていない状態なのだから、福島の損害賠償にこの積立金を使うように改正するよう今こそ政治の出番だと訴えている自民党の河野議員の声を載せていた。まさにその通りではないか。発電・送電・電力販売にかかわるすべての費用を「総括原価」としてコストに計上し、その上一定の報酬率を上乗せした金額を電気料金として私たちから徴収しているのである。会社を経営するすべての費用をコストに転嫁することができる上に、一定の利益率まで保証されているのだから決して赤字にならないシステムで利益を上げてきたのだ。こんなうまい商売があるだろうか。その挙句にいざ想定外のリスクは、使用者である国民に負わせようなどという道理が通るほうがおかしい。本当に現地の人に謝罪したい気持ちがあるなら、すぐ資産を売却してでも避難生活を強いられている多くの人を救済すべきだでろう。それでも足りなくなってはじめて国が関与する話しが出てきて普通ではないだろうか。ここにも、国としての顔が見えてこない。政治家もお役人も責任を取りたくないのだ。そういう面々が高い給料を搾取しながら現場に責任を転嫁し続けている。
 頼りにならない国に変わって、ソフトバンクの孫氏が個人資産10億円を拠出して自然エネルギー財団を立ち上げた。原発を40年経っても使い続けている国は日本ぐらいで、世界的には稀らしい。減価償却が終わった原発は、発電すればするほど儲かるからだ。しかし、中性子を浴び続けると圧力容器はもろくなる。世界平均では22年で廃炉にしているのだ。それを40年以上使い続けるということがどれだけ危険か認識する必要がある。そこで40年経ったものから順次廃炉し、不足するエネルギーは代替の自然エネルギーでまかなうようにしようというのが、大きな主旨である。40年使っていたことすら知らなかったが、現在も古くなった原発が日本全国で稼動しているのである。本来、国や電力会社が考えなければならないことを、民間企業が取り組もうとしているのだ。すばらしいことである。さらに、放射能の測定を、ソフトバンクが全国SBショップで定点観測を積極的に行う意思を表明している。これほど尽力しているにもかかわらず、メディアの取り上げ方はおつまみ程度、こんな事態なってもお国のご意向を伺っているのだろう。それほどこの国のエネルギー政策に異論を唱えることが大変なのは既得権益に触れるからに違いない。しかし、もはやメディアも国や政治家もあてにはならない。市民一人一人の力で作り上げていかなくては到底この大惨事を乗り切れないことを訴えるために孫氏は大きな花火を打ち上げた気がする。それを理由に、その声に賛同する多くの声がネット上にはあふれている。そこに、新しい国づくりの幕開けを感じる。

下記には、聞いてうんざりする「直ちに人体に影響を与える値ではありません」という国の安全基準がいかにその場しのぎかを記したい。
電子版DAYS DAYS Internationalより抜粋
●一年間に1mSv(ミリシーベルト)以上浴びては危険だ!という事故前基準が、いきなり年間20mSv(ミリシーベルト)という、とてつもなく高い水準に変えられ、20倍の濃度の放射線量被ばくまで児童生徒に「我慢させる」という暴挙を言い出したのは、一体誰なのか?文部科学省自身が今まで言ってきた安全基準値の20倍もの濃度基準値へ、いきなり変更したことは異常である。児童生徒の健康安全生命を守るべき文部科学省に、そういう権限が一体あるのか?とんでもない話しである。今回文部科学省は、ICRPのこの基準値、1mSv/y(ミリシーベルト/年)=0.114μSv/h(マイクロシーベルト/時)の安全基準値さえ無視し、ICRPの定めた基準値の、実に33倍のも高濃度の3.8μSv/h(マイクロシーベルト毎時)以下なら安全である!と宣告したのだ!国会審議も経ず文部科学省通達という省令で断行した。
●子どもの安全基準、根拠不透明~市民の追及で明らかに
福島老朽原発を考える会をはじめ3団体の呼びかけで21日、文部科学省が児童の放射線許容量を年間20ミリシーベルトとする安全基準を出したことに関して、その数値を撤回するよう交渉を行った。出席した文部科学省と内閣府原子力安全委員会の担当者は、ほとんどの質問に対して回答することができず、子どもの安全基準の根拠が不透明であり、きちんとしたプロセスがとられていない可能性があることが明らかとなった。
●「福島県放射線モニタリング小・中学校等実施結果」の集計結果
放射線管理区域」(0.6~2.2μSv/h)相当の学校が55.5%、「個別被ばく管理」が必要な学校が20.4%、これら2つを合わせると、福島県下の小中学校等の実に75.9%(75%以上)が「放射線管理区域」以上のレベルにまで放射線汚染が深刻化しています。東京電力福島第1原発から60キロ以遠の福島市内の全学校52校の運動場など校舎外の地面から50cmの高さの空間線量(すなわち外部被ばく線量)の平均値が3.5μSv/h(マイクロシーベルト/時)の高い値が4月19日の文部科学省調査結果からも計測されている。人体への放射線障害は一定度はやむを得ないとする放射線被ばくを大前提として設定されている国際放射線防護委員会(ICRP)の基準値でさえ、1990年の改訂基準に従えば、職業人の場合は20mSv/y(ミリシーベルト/年)、一般人の場合は1mSv/y(ミリシーベルト/年)、厳密には250μSv(マイクロシーベルト/3ヶ月)と勧告している。
★下記は東京都が実施している調査。東京都独自で行っている。猪瀬直樹tweetより掲載。都内の環境放射線量調査

日本の一大事だ 2011.03.25

 うす気味の悪い横揺れは、何分も続いたような気がした。目まいでもおこしたのかと錯覚するほどだった。まさにその時、三陸沖を震源とした地震は、マグミチュード9.0という途方もないエネルギーで東日本を襲っていたのだ。その上、地震の影響による津波はあっという間に家々をはじめあらゆるものを飲み込んでいった。画面に映し出された映像は、天災を記憶に刻むには十分すぎるものだった。しかし、事態はもっと深刻な問題をはらんでいた。福島原発の事故である。日常の営みが途絶えた瞬間だった。
 被災した人たちの救出だけでも困難を極める中での原発事故である。毎日繰り返される政府発表やメディアの情報は、不安をさらにあおるものにした。その中で、海外のメディアや、専門サイトを手引きしていただいた一人のお客様のおかげで、今の日本の現状を、少しは理解することができた。聞けば何でも答えてくれるその人の職業を聞いたことがないが、私は、先生か博士だと想像している。混乱が続いている中、電力会社は、大手新聞一面に謝罪広告のせた。まるで力で情報をねじ伏せようとしているかのようだった。国営企業と政府間の、この手の古いやり方には、飽き飽きしていると思うのだが、世代の違いなのだろうか。金をばら撒けばすむと思っている。自民党崩壊時も、こういう最中も、全く反省の色がない。他人事なのだ。そんな広告費を出すくらいなら、少しでも被災地に回すことを考えるのが人の道ではないだろうか。もう一つ、こんな大事件になっても、朝ずばっと吼える司会者のトーンが低いらしい。所詮スポンサーには何もいえない面々ばかりが茶の間を騒がしていたのだ。真実が表に出るはずがないわけだ。
 世界で唯一被爆国の日本。何という因果だろうか。今度は、自らの手で作り上げた原子力で被爆の危険にさらされている。原子力の安全利用によって、今まで確かに電力という恩恵を受け続けてきた。当たり前のように、それも過剰すぎるくらいに電気を使い続けてきた。しかし、その恩恵とは裏腹に、あまりにも大きなリスクがあることを、今回はじめて認識した事故だった。昨年のもんじゅの重量物の原子炉内での落下事故や、中越地震での柏崎刈羽原発事故、そして駿河湾沖地震で浜岡原発では日本最大の原子炉が、想定内の震度で停止したことなど、事故続きの中で、幸運にも大事にならなかった。これは天からの警告だったに違いない。電力は、今や経済活動にはもちろんのこと、生活にはなくてはならないものである。しかし、一人一人の節電や、現在東京周辺で行われている計画停電などで、原発の利用をしなくてすむなら、喜んで協力したいと思う人がほとんどではないだろうか。
 今は日本の一大事である。原発の事故現場には、被爆という恐怖にさらされながらも多くの社員の方々が、復旧に全力を上げている。持ち場を離れず、任務に当たる責任感の強さは、世界一である。そんな責任感の強さが、国際社会で認められる信頼を作り上げてきたに違いない。
どうか、無事任務を終えられることを心から願っている。
 「自分は今、何をすべきか」一人一人の思いが、被災地の復興のカギを握っている。

下記内容は、「死の同心円 長崎被爆医師の記録」から、食べ物が被爆者を救った実話を記します。長崎の被爆地から1.4kmのところにあった浦上第一病院。そこで出されていた食事は、一日2回の玄米菜食だった。石塚式や、桜沢式の食養学を学んだ院長だった秋月辰一郎氏の強い進めによるもので、被爆後は、塩を多めにつけた玄米、カボチャなどを入れた味噌汁の食事で、病院の患者さんやスタッフ全員、被爆の犠牲者を出さなかったのだ。被爆の症状をレントゲンカッター(全身の倦怠やうつなどの症状)に似たものと推理し、それを改善させるため、生理食塩水より多くの塩分を含んだ水を飲ませることは、レントゲン教室で働いているものの常識だったという。また、食塩のナトリウムイオンは造血細胞に賦活活性力を与えるが、砂糖は、造血細胞に対する毒素として厳しく甘味を禁止したという。この日本の食養学が、世界を救うカギを握っている気がしてならない。

参考著書:DAYS JAPAN  死の同心円 長崎被爆医師の記録 秋月辰一郎 長崎文献社
考サイト:原子力資料情報室 http://www.cnic.jp/
参考サイト:日系ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20101118/217152/
              :広瀬隆さんの朝日ニュースターBSのテレビ番組のインタビュー


東北関東大震災の被災地に「自分は今、何がなにができるか」2011.03.25

この度の地震で被害を受けられた多くの方々に心からお見舞い申し上げるとともに、行方不明者の生存が一人でも多くの確認できますことを心よりお祈り申し上げます。

 「自分は今、何がなにができるか」皆様一人一人の思いを、少しでも現地の被災のもとへ届けることができるよう、今月の当店の店頭売上の5%を義援金として日本赤十字社に寄付させていただくことに致しました。なお、店内でも義援金も受け付けさせていただきます。
た、J-WAVE Heart to Heart つなげる、ココロ プロジェクトさんでは救援物資を運んでくれます。
当店も、東北地方の有機米を80kgお送りさせていただきました。
現地の皆様が、一日も早く普通の日常生活に戻れるように応援したいですね。

エコ・ブランチ 鶴田様からメールをいただきました。
救援活動をしている方々のブログ等を紹介していただいてますので、転記いたします。

イチローとの共通点 2011.02.27

 10年連続200本安打の大リーグ記録の更新が期待されている、マリナーズのイチロー選手が今年もキャンプインした。軽く10年というが、プロの世界で10年続けるのも至難の業である。ケガに泣かされる選手も多い。しかし彼はその中でほぼフル出場し、前人未到の記録に望んでいるのだから本当にスゴイという言葉しか見つからない。そんな人物と共通点があるのかという声が聞こえてきそうだが、後述させていただくことをお許しを願いたい。
 ここ西区で店をオープンして来月で丸4年を迎える。以前は、北区のオフィス街に店を構えていたので日祝日休みにしていたのだが、新店舗は住宅街のため、当初は水曜日を定休日と決めた。しかし、業務を始めると、すぐに平日の真ん中を休みにすることの弊害が出てきた。一番の頭痛の種は生鮮食品だった。新鮮な野菜が月曜日の夕方に入ってくる。しかしそれを火曜日にはすべて売り切らなといけないのである。入荷も水曜日は避けないといけない。多くの矛盾が噴出して、開店3ヵ月後には定休日をなくして無休とした。思い切ったことをしたものであるが、一番のしわ寄せは、自分の体に来た。なかなか疲れが取れない。熟睡できない。しかも移転してオープンするまでの心労も引きずっていた。健康を売りにする店の主が、自分の健康に気をもむ事態になってきたのだ。これでは本末転倒である。しかし、不健康の真っ只中にいるとそれが気がつかないものである。
 好転の兆しは体を動かすことによって訪れた。以前改装疲れで腰を傷めたとき、それを西式の体操で治したことを思い出したのだ。毎日やればいいことを分かっていても、ついつい疎かにしてしまっていた体操である。毛管運動、金魚運動、合掌合蹠運動、本当は6つある体操のうち、長続きしそうなこの3つ動きを毎朝毎夜、寝る前と起床後行った。といっても3つの体操あわせてもわずか5分程度のことである。このささやかな運動を始めてしばらくすると、以前のように熟睡できるようになり、朝の目覚めがよくなった。店では、マクロビオティック料理を提供できるスタッフに恵まれて、毎日その食事を食べるようになった。そうするとどうだろう。相乗効果か毎朝4時ごろには目が覚める。時間が余るので運動にストレッチを加えて、柔軟を入念に行うようになった。体はどんどん軽くなった。そのうちウォーキングがしたくなって始めた。今ではそれに加えてジョギングを約3kmするようになった。ライフスタイルは完全に無休のリズムに合わせられたのだ。盆正月を除いてほぼフル出場である。
 「小さいことを積み重ねることでしか、とんでもないところへは行けないんです。」とある時語ったイチローのひと言は、妙に私の実感と重なった。彼は毎日、他の選手の3倍の時間をかけてストレッチやマッサージを行っているそうだ。それが何を意味するのかが痛いほど分かる。動かさなければ日に日に体は退化していくのである。体を鍛錬するとは、労わることである。そして自分自身を大切にすることを伝えているのだ。だから試合に望む前から、彼は他の選手を圧倒している。なぜなら彼は、健康で他の選手を圧倒している自信からだ。
「健康であることが、こんなに気持ちがいいものなのか。」BSでつぶやいた彼のひと言が、今の私
との共通点である。

統計学的思考術 2011.01.30

 最近めっきり新聞を見なくなった。当店のカフェにおいてあるのは一日遅れの東京新聞である。な
ぜまた東京なのと聞かれるのは当然のこと、読む人にとっては一日でも過去のニュースだからこれほど失礼なことはない。しかしそれは見なくなった理由からそうさせていただいた。ニュースはもは
や携帯やインターネットでいつでも手に取れる。それに一般紙は見ているはずだ。だから読み応えのあるものを探したのだが、どれもさほど面白みがない。よく学生時代、担任の先生が口をすっぱくして言っていた「見出しに惑わされるな!真実は新聞の片隅に小さく書いてあるものだ」という文句もその頃はわからずも、年とともに言葉の重みは感じてはいたが、最近はそれさえも探すことができない気がするのだ。そんなことから、一番汗をかいて取材していると感じるこの新聞を置くことにした。
 週に何度か送られてくるメールに日経ビジネスオンラインがある。その中に目をひくものがあった。それは統計学的思考術という硬い言葉だったが、それとは裏腹に、現在の社会や経済問題にあてはまる有意義な内容だった。少し興味が出たので統計学について調べてみると、その源流は、国家または社会全体における人口あるいは経済に関する調査とある。社会科学、医学、工学、計量経済学、統計物理学、バイオテクノロジー、疫学、機械学習、制御理論、インターネットなど幅広い。もうひとつ、統計や理論を使って人間にまつわるさまざまな事柄を説明し予測する易・占いもそういえる。
 今回の記事の著者である吉田耕作氏は、トヨタを例に挙げて統計学的思考術でその問題にせまっていた。日本の製造業で、アメリカ人の統計学者デミング博士を知らない人はいないらしい。氏が日本の経営者に教えた統計的品質管理=TQM(Total Quality Managementの略で、組織全体として統一した品質管理目標への取り組みを経営戦略へ適用したこと)は、消費者が生産システムの一部に入った画期的なもので、特に製造業に大きな影響を与え、品質第一のモノ造り、モノ造り日本といわれた所以だという。今日の日本があると言っても過言ではない。その中でトヨタグループが最も世界で進んでいた企業だったそうだ。カイゼンという言葉が生まれたのもその取り組みの一環にすぎない。徹底的な品質管理と日々の改善により、世界の頂点まで視野が入った昨年、信頼を失墜するリコール問題がおきた。その問題点を著者は、質への究極点指向を忘れた結果であり、それはトヨタの品質の高さは、法的に要求される基準値に入っていればそれで良いという合格点指向ではなかったこと。そして消費者からのフィードバックという最も大事な部分が欠落してしまったこと。これによって起こるべくして起こったことであると語っている。この言葉の重みは、あらゆることに通じるものではないだろうか。何か問題がおきたときに、この「基準値内」という文句はニュースで耳にする都合の良い言葉だ。そこに消費者の姿はない。基準値内であれば命の品質管理ができるのだろうか。衣食住にまつわるさまざまな問題は、この部分につきる気がするのである。
 ちなみにデミング博士の日本の活動は、日本が世界を席巻するようになってから米国でも知られるようになり、それから結果としてコンサルティングの依頼が劇的に増え、93歳で亡くなるまで世界
中で企業のコンサルティングを行ったという。圧巻は、アメリカの経済を立ち直らせ、公務員の改善
改革で16兆円のコスト削減に成功し、クリントン政権時代に大きな黒字を出すのに成功させたとい
う。まさに小さな毎日の取り組みが、さざ波となり、結果大きなうねりとなった証拠だろう。こんな有益な情報を知らせることも、活字文化の仕事のはずだ。さもなくば、こんな情報を無料で直接ユーザー(消費者)に届けてくれるネット社会に飲み込まれてしまうだろう。

参考 日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/welcome.html

KAIZEN2011.01.01

 暮れも押し迫った現地時間20日の午後4時すぎ、無事ヒュースロー空港に着いた。一日早く発っていれば大雪の影響で成田に戻されていたので運が良かった。気温は氷点下と聞いていたが、着込んでいたこともあってあまり寒さを感じなかった。想像していた灰色の空が上空を覆っていた。
 イギリスへ行くことを決めたのは、それほど前のことではなかった。彼の地のあるイベントへ行きたいという思いと、重なるように坂の上の雲がNHKで放映されたことで、かつてこの小説を読んだときの想いがそれを後押ししただけのことだった。10年のパスポートは8月で切れていた。そう考えると10年に1回の突発性の病気なのかもしれない。その一方で、日頃ラジオで聞いている基礎英語がどれくらい身になっているのか試したい気持ちもあった。
 空港へは着いたがホテルまでの行き方が分からない。困り果ててインフォメーションセンターへ行くと、高齢の方が大きな地図を広げながら丁寧に教えてくれた。話しの内容は半分以上理解不能だった。ヒヤリング能力のなさにがっかりした。地下鉄の最寄り駅があると言うので切符の買い方も戸惑いながらようやく車両に乗り込むと、車内は驚くほど狭い。大きさは日本の2/3ほどではないだろうか。しかも車高が低いため背の高い人はかがんでいる。そして車内の蛍光灯は、所々切れかかっている。おまけに車体は傷だらけだった。しかし、誰一人文句を言う人はいない。乗り換えの長い階段の途中で、乳母車を引いた女性に若い男性が声をかけた。彼はそれを階上まで抱えていった。お礼を言われると、メリークリスマスと言って笑顔で去っていった。また、次の車内でどっしり腰を落した熟年女性が小さい子どもに声をかけた。その瞬間その子どもにその席を譲っていた。ロンドン市内まで約1時間、地下鉄を降りて高架下、ここでも相変わらず蛍光灯の何本かは切れていた。
 翌日、ロンドンの朝は暗いが最寄のスーパーは7時にはもう開いていた。店員が忙しく商品を陳列していた。2日目になるとだんだん耳が慣れてきて、片言英語も自然と口をついて出てくるようになった。こうなるとだんだん面白くなってくる。地下鉄もオイスターカードという便利なカードの存在を発見し、早速購入した。日本でいうTOICAやSUICAと同じ使い方だが、大きな違いは運賃が安くなることだ。運賃がピーク時に変動するから金額が分からない私には特に便利だった。ピカデリーサーカスで有名な駅を降りると、四方に劇場がそびえ立っていた。その中の大改装している一つが目に飛び込んできた。看板になにやらローマ字が書いてある。「KAIZEN」。胸が熱くなった。 気づいたことは山ほどあるが、改めて感じたのは、世界を知ることの大切さだ。小さな島国に閉じ
こもって内弁慶になってみても何も始まらない。過去に世界を席巻した大英帝国でさえ、謙虚な生活をしていると思えないか。そして、文句を言えば自分に跳ね返ってくることをよく知っている。温故知新や吾唯知足とは一体どこの国の言葉だっただろう。日々の見直しで無駄を省き、求めている結果を得るためのより効果的方法を見つけていくというこの改善こそが今の日本にとって一番必要なことではないだろうか。
私自身もKAIZENを、今年一年のテーマにしたい。

london2.jpglondon.jpg

今年を振り返って2010.12.01

早くも一年が過ぎようとしている。思えば昨年暮れの政変からなだれこむように新年が始まった。沖縄問題から、検察の不祥事、検察審議会、裁判員制度、周辺国との確執など、たまりにたまったツケを清算しようにも、もはや平和ボケに浸りきった面々では、修復不可能に思える。その中でも一点の光を見出せたとすれば、一人のサムライの存在だろう。マスコミ騒動の中でブログにアップした内容を以下に掲載させていただく。
「大海原を職業とする海上保安庁。その仕事を広く知らしめたのは、今も放映中で大ヒットシリーズとなった「海猿」にちがいない。映画はその中でもエリート中もエリートの潜水士にスポットが当てられているが、どちらにせよ、あたり一面海また海の自然相手の一方で、海上の安全および治安の
確保を図ることを任務とする命がけの仕事だ。その海上保安庁が、別の意味で注目されている。尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突の映像流出事件である。それが連日のようにマスコミを騒がせている。しかし、どのメディアも核心の部分には何一つ触れず、犯人探しのオンパレードだ。本来ならば内部
告発にも似たスクープである。犯人は誰だという言う前に、各社寄ってたかって情報を奪い合い、流出した情報を精査し、確かな情報ならば、広く国民に問うのがメディアの役割ではないのか。いつから政権と一緒になって情報を隠蔽するようになったのか。まるで大本営発表を毎日聞いているようである。大きな見出しで書けないストレスを、系列の週刊誌で小出しに暴露するような姑息なやり方ばかりが目に付きはしないだろうか。そう思うと、辞職覚悟で国民に知らしめる行動をとったこの一件は、胸のすく思いがするのである。
江戸幕府の瓦解がつい頭をよぎる。長い安泰の時代の末の姿だ。知らしめず、寄らしめよ。国民は何も知らなくてもいいという支配構造である。お上の威厳で、よきに計らうはずが、一国を崩壊へと導いたのである。世界のあらゆる情報がインターネットで配信される時代に、それをいいように編集して、雁首そろえて国会で討議している姿はあまりにも滑稽すぎるではないか。この行き着くところが結局、幕末最期の姿と重なるのである」
もはや修復不可能とは、寄らば大樹の陰、みんなで渡れば怖くないの責任転嫁の体質である。ここ名古屋の民意46万票も、どこからともなく現れた委員会が無効と裁判所のように裁定を下すのも、変化を望まない力の大きな象徴ではないだろうか。そして、民意を代表して運営に携わる代表者面々である。本来ならその声に耳を傾け、意見をすり寄せるのが当然の役割であろうに、まさに他人の空ごとである。その小さな縮図が、国という大きな縮図そのものになっている。
そんな中で、海猿のあたえた大きな一撃である。職務を超えた、人としてどうあるべきかという思いから発したこの行動に敬意を表したい。そして、そのことが、高杉晋作の騎兵隊ように、一般人の一人一人の心に伝染し、維新の幕開けになる新年になることを期待したい。

前の10件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13