ヘルシングあい便り

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台湾紀行2012.01.01

 台湾の桃園空港に着いたのは昼ごろだった。一昨年のロンドン一人旅からちょうど一年経った暮れの忙しい12月中旬のこと、また往復のエアチケットとホテルだけを予約しただけの行き当たりばったりの2泊3日の旅をした。今回も同様、彼の地で開かれるイベントに行くことが引き金となったが、そこまでの経緯にご縁を感じたのが何より気持ちを動かした。
 今回の旅行の詳細は、当店のブログにアップしておいた。というのも、始めて行く海外地では戸惑うことばかりである。言葉の不安もあるし、交通機関も行って見ないと分からないことだらけ。その最中にネット上にアップされている方々の現地情報はとても参考になった。少なからず自分が歩いた経緯もきっと誰かのお役に立つと感じたためだ。
 体調不良で出かけた旅行は過去記憶にない。実は出発する数日前から喉の具合が悪かった。異常な乾燥のせいだとたかをくくっていたのが失敗で、頻繁に咳き込むようになった。体は軽く、風邪ではなさそうだった。出発当日になって飛行機に乗り込んでも咳は出る一方。そこでようやく胃腸が原因だと気づいた。喉は胃腸の鏡という。症状即療法、すぐに断食しておけばよかったのだ。おかしいと思ったときに実行していれば、旅の最中で断食することはなかっただろう。旅行一日目は、そのまま断食。夜中まで咳き込んで寝れないほどだったが、翌朝になると症状は和らいでいた。朝食のビッフェは美味しそうな料理が所狭しと並んでいる。昔だったらこんな状態でも山ほど食べていただろう。さすがに自制心が働き、片隅にあった素食を軽く頂いた。グルテンで作られた佃煮と漬物、お粥である。昼も軽い食事で済まし、夜は一切食事を取らなかった。翌朝もホテルの素食と帰りの空港で軽い食事をとっただけである。その結果咳は止まり、帰るころには体調はほぼ万全な状態まで回復した。湿度が高くて24~5℃という気候も幸いしたが、何事も過信してはいけないこと、自分を戒める上でも教えられることの多い旅になった。
 印象に残ったことは、道中乗換えやらいろいろあって、その都度サービスセンターに駆け込んだり、駅員さんに聞いたりしたが、対応してくれた20代くらいの男性や女性は、ほとんど英語が通じた。日本語を話せる人も割りに多かった。その確率は南から北へとどの場所に行っても同じだった。年配の方は日本語が話せると聞いていたが、今回に限っては、一切お会いできなかった。20代の若い彼らは中国語、台湾語のどちらかを母国語として育ち、その上さらに2ヶ国語に通じようと努力している。この台湾の経済を支えているのは間違いなく、尽きることのない向上心だろう。過去日本の植民地となり、更にはつい最近まで同胞の中国(漢民族)に統治されていたつらい経験が支えているのだろうか。高雄から移動した台南で目にした光景が、過去歩んできた日本の風景と、妙に重なった。歩行者そっちのけで、ダンプが路上にアスファルトをひいている。それを固めているのは、年配の女性2人と男性1人。台湾はバイクの利用者が圧倒的だ。車1台に対してバイク5台は見て取れる。そんな排気ガスで煙る道路上で、もくもくと作業していた。いつか聴いた「ヨイトマケの歌」がこみあげてきた。美輪明宏が幼少時に一緒に育った友人の亡き母を回顧する歌である。この光景を見るまで忘れていた。それと同時に、なぜ美輪明宏が土方の格好で歌っていたのかよく分かった。頑張って生き抜いて、発展を遂げ、そんな地面に不自由なく立って育った我々の世代は、文句は一人前に言うが、それまで下支えした人達に感謝したことがあるだろうか。発展の影で、見失いそうになるものを見つけられるのも、海外へ出かける良さかもしれない。

「父ちゃんのためなら エンヤコラ 母ちゃんのためなら エンヤコラ もひとつおまけに エンヤコラ
今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守唄 工事現場の昼休み たばこふかして
目を閉じりゃ 聞こえてくるよ あの唄が 働く土方の あの唄が 貧しい土方の あの唄が 」

年の瀬に2011.12.01

 かれこれ3ヶ月ほど前のことになる。一通のメールがホームページから舞い込んだ。「ずいぶん大人になったなぁ」差出人は、ケンとある。一体誰だ?。心当たりを探ったが、この名前に関連する人物が浮かんでこない。気にはなるけど思いつかないから忘れてしまっていた。それからしばらく経って、一本の電話に出た。その声を聞いてピンと来た。メールの差出人だと直感的に思った。
 その方との出会いは20年ほど前にさかのぼる。そのころハガキ道というものにはまっていた。ハガキを書くことによって人生が大きく変わったという坂田道信さんの講演を聞いたことがきっかけである。「義務教育を終えた者なら、最低三つのことは実行しなさい。一つは、あいさつ。もう一つは、お辞儀。三つめは、ハガキを書くこと。」という知多半島出身の哲学者である森信三氏の言葉を話されたのがとても印象に残っている。ハガキを書くことくらいで人生が変わるならやってみようと、簡単な気持ちで始めたのだが、いざ書こうとすると、書こうとする相手も浮かばないなら文章も出てこない。気持ちを伝えたい相手がいなければ書くことはできないのである。そんな中、ハガキ祭りがあるとの情報を聞いて参加することにした。河口湖で開かれたそのお祭りは、大勢の人でにぎわっていた。ハガキ一枚のことでどうしてこんなに盛り上がるのか、不思議でならなかったが、多くの方がハガキを通して出会い、さらにハガキを通して再会しているのだ。酒宴も催され、大いに盛り上がったのはいいが、翌日は二日酔いでふらふらになっていた。そんな最中声をかけてくれたのが先ほどの声の主であるK氏だった。健康に関する豊富な知識を持っていて、その場で呼吸法を教えていただき、吐き気が止まったのには驚いた。それからというものハガキの往来は頻繁になり、ご自宅へも招かれるなど親しいお付き合いへと発展したのだった。
 ところが10年ほど前、急に音信が途絶えた。それ以前から予兆はあった。不整脈に悩まされるようになったK氏に対して、西式健康法をお勧めしたのだが、その頃は、自分が分かっていなかったため、相談にものれなかった。良いのは分かるがなぜ良いのか伝えることができない。これは単に自分が体得していないというだけのことだ。そのことで信用を失ったのである。なぜ、親しくしていた間柄でこちらから連絡できなかったか、ハガキの一枚かけなかったのか。自分自身のそのことに対する負い目があったからだ。
 時折かすれる声の具合で、体の悲痛さが伝わってきた。それでも長年の空洞を埋めるかのように延々と話しは続いた。先に出た「ケン」という名も、氏のペンネームだと言うことがわかった。数年前、心筋梗塞をおこして死にかけたこと、不整脈は日に日にひどくなるなど、まるで10年前の再現のようである。ひとしきり今の体の状態と、どうすれば改善できるのかを話したところ、聞く耳を持っていなかった一方的な語り口がぴたっと止まった。今度で2度目だが、あなたに賭けてみるといった声には力がみなぎっていた。しかし、それからというもの毎日のように恨み節の電話がかかってきた。精神安定剤などの薬も長期にわたって飲んでいたから、止めたらそれを求める体の声は悲痛に違いない。一番驚いたのは、今生のお別れに一度会いたいといわれたことだ。自分の体は自分が一番よく知っているから、もう長くないだろうと言うのである。スタッフに店を任せて急ぎK氏宅へ向かったのが先月中旬のことだった。
 このところ音信がない。気になって電話をしたところ、「便りがないのは元気な証拠」と、切って返された。今生の別れといったのはどこの誰だか知らないが、今は毎日、3時半には起きて裸療法、西式体操、そして温冷浴をこなしているという。食事は玄米菜食である。昭和11年生まれ、私の父親と同い年のK氏は、体は労わった分だけ答えてくれることを証明して見せてくれた。労わるとは動かすことである。やっと胸の霧が晴れた瞬間だった。

喰う2011.10.29

 2年ほど前からツイッターをしている。鳥がさえずるのを英語でツイートと言い、それが「つぶやき」と意訳されたので、ネット上でつぶやく人達といった意味になるだろう。自分のつぶやきを投稿したり、個々の利用者のつぶやきを閲覧できるコミュニケーション・サービスである。自分がこの人だと思う人を探してフォローすれば、勝手にその人のつぶやきを見ることができる。ちなみに私は一時期オバマ大統領をフォローしたことがあった(笑)。逆に自分がフォローされると、相手に自分のつぶやきが公開されることになる。国境のないあらゆる言語のつぶやきが集まる情報サイトである。限られた文字数(140字)の中で繰り広げられる情報交換、そのつぶやきが、時に人を動かすこともある。
 当初は好きな外国人アーチストをフォローして半分英語の勉強と思って始めた。翻訳ソフトと検索サイトを駆使しての意訳と英文作成、始めは恐々つぶやいていた。しかしだんだん慣れてくると楽しくなるものだ。いつしか日課となっていた。フォローする人が増えていくうちに交流が始まり、アムステルダムやニュージーランド、ロンドンなどにその輪は広がっていた。普通では体験できないことが、パソコンや携帯で手軽にできる時代なのである。アメリカ全土に広がろうとしているデモや、世界各国でおこっている民主化の波が大きくうねりを上げているのも、メディアが報じない情報を、簡単に入手できることはもちろんの事、そこで交流が始まるからだろう。
 大震災の最中、メディアから流れる情報が極端に偏っている中でもインターネット上ではさまざまな情報が飛び交っていた。その中で偶然にも目を引いたのが「正しく恐れる」ための放射線知識と題した日経ビジネスオンラインの伊東乾さんの記事だった。だれにでも分かりやすく解説している原発事故の記事は、数少ない貴重な情報源となった。しかも読者に対して疑問や不安に思うことはツイッターへと導いていたので当然多く相談が寄せられていたが、それにも丁寧に答えられていた。これこそ、その時自分に一体なにができるかを考えて実践されている一つの姿だろう。その真摯な姿に共感を持ったことはもちろんのこと、驚いたのは経歴だった。当初大学の先生か研究者だと思っていたのだが、なんと音楽家!作曲家であり指揮者だった。東京大学大学院物理学専攻修士課程とあるから、原子力工学にも精通しているため、必要な情報を必要な時、しかも分かりやすく配信してくれていたのだ。この方をフォローしたのは言うまでもない。今までに何度かツイートの交換をさせていただいたり、最近出された著書を拝見しながらふと感じたこと、それは学問を修めるという意味を知ったことだ。今まで考えたこともなかった。はたして自分は自信を持って正確に人に伝えられることのできる何かを持っているだろうか。勉強しただけでは、難しい話しを理解させることは困難だろう。修めるからこそ、紐解いて話しもできれば専門的にも語れるのである。本来学問とは修めるものであり、そのために勉強するものなのだ。
 10月中旬、秋の紅葉が遠く感じられる景色を見ながら伊丹駅に降りた。伊東乾さんが音楽を担当する劇団態変の「喰う」に参席するためだ。「今ご一緒している態変は役者全員重度の身障者で動けない人、手や足がない人などいろんな人の動きを生で感じながらその場でピアノを弾いています」というツイートが脳裏から離れなかった。柔らかな音色にあわせて演技が始まると、今まで見たことのない世界に引き込まれた自分がいた。障害をさらけ出しながら、四肢を使った力強い動きが披露されて行く。自分の弱みをあけっぴろげに表現することで自身を解放しているかのようだった。誰もが大なり小なり弱みを抱えて生きている。死ぬまでそれを抱えていけるのだろうか。この人達は、大きなリスクを抱えながら、そのリスクを向き合うことで、それを解消している。四肢を精一杯動かして表現をしながら、身体のリハビリをしている。きれいごとではないのだ。不自由な手足を動かすことは並大抵のことではない。しかし辛いからといって動かさなければ体は動きを失い、鉄のオブジェのようになる。そう思わせる2つのオブジェにぶつかりながら、交わしながらも進んでいく。それが今、生きているということなんだ。そう心に響いてきた。ピアノの音色が、オレンジ色の光となってやさしく彼らに降り注いでいた。


もう一つの中日巨人戦2011.09.27

 過去に巨人の連覇をことごとく阻んだチームと言えば、地元の中日ドラゴンズだ。先日、落合監督の退団が発表されたが、今年も堂々2位につけている。辞めるのを惜しむ声が方々から聞こえるのも無理はない。思えば私はいつから中日のファンになったのだろう。きっと物心がついたときからに違いない。狂ったような父親の応援の影響以外には考えられないのだ。でもなぜ、だれもがあこがれた王や長島率いる巨人が好きにならなかったのか。もっと言うと、巨人さえ負ければ良いと思うほどアンチになっていたことが不思議でならない。憎いほど強いという言葉があるが、きっとかつての巨人は、子どもがそう思うくらい強かったのかもしれない。幼い頃の記憶を辿っていくと、違った意味で現在の現象が当てはまっているのを感じる、
 なぜ、巨人は憎いほど強かったのか。子どもの頃、テレビで釘付けだったアニメと言えば、巨人の星である。だれもが一度は将来野球選手になりたいと思ったに違いない。それも巨人のユニフォームを着る夢だ。自由競争で勝ち取った選手を揃えて9連覇を成し遂げた強いチームに憧れを持つのは当然である。強いチームにはファンがつく。周りは巨人ファンが多かった。それに拍車をかけたのがこのマンガだろう。当時、週間読売に連載され、さらに読売テレビでテレビアニメ化され、その映像は十分すぎるほど誰の目にも焼きついたのだ。それに対する反発は、きっと自然の作用に違いない。ドラフト制度ができて戦力が均衡になった。ところが、強者は永遠に強者でいなければならない事情があるらしい。そのドラフト制度という約束事を犯してまで選手を獲得しようとした江川事件である。この交渉権が認められなければ新リーグを作ると子どものようにダダをこねた話しは有名だ。その人物こそ、原発を日本に持ち込んだとされる正力松太郎氏を父に持つ、当時の巨人のオーナーで、氏の長男である。ここまで話しが進んでくると、何が言いたいのか分かっていただけるかもしれない。誇張が入るのをお許し願いたい。巨人は、強くなければいけなかったのである。それが読売新聞の発行部数につながり、テレビの視聴率につながっていったのだ。高度経済成長期の経済の強さと巨人は一体だったのだ。現在の読売新聞の発行部数は、約一千万部、その強さをバックに、原発推進を公然と言い始めた。ようやく正体を現したのだ。永田町を取り巻く記者クラブやメディアは、大臣の失言一つで攻め立てて辞めさせることなどわけのないことを明らかにした。電力をめぐっての仁義なき戦いは、国民に選ばれた大臣をこけ落とすことを厭わないのである。それも日本人がマスコミの報道に対して60%以上の信頼を置いているという数字に基づいているからやれるのである。一方、アメリカではマスコミへの信頼度は30%程度だと聞く。日本では、マスコミがひと言、「悪」といったら、そうかな?と思ってしまう人が単純に過半数に及ぶのだから、やるせないが民主主義では仕方がないのである。
  9月19日、震災6ヶ月目の節目に、大江健三郎氏が中心となって「さようなら原発5万人集会」が東京の明治公園で開かれ、約6万人が参加したという。このニュースを大きく取り上げたのは、地元中日新聞、そして東京本社(東京新聞)である(読売は一切掲載がなかったらしい)。脱原発を早々に掲げた数少ない新聞社だ。発行部数約350万部は、読売、朝日に次ぐ。地元の根強いファンに守られているがゆえ、スポンサーの影響も少ないのだろう。購読者が本当に知りたい情報を提供していると感じる。それでも読売の購読者の半分にも満たないのである。食べ物しかり、電化製品しかり、新聞もしかり、企業を買い支えているのは、私たち一人一人なのである。その一人一人の選択が、私たちの未来を決めていく。もう一つの中日巨人戦はすでに始まっている。正直者が馬鹿を見ない世の中のために、もう一度身の周りのものを見渡してみる数少ない機会を私たちは与えられていると感じる。
 先日、「降りて行く行き方」を一年ぶりに見た。「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから始まる」という言葉が深く胸に刻まれた。

リマクッキングスクール(初級講座)へ2011.08.28

 去年から頭をかすめていたことがある。ここ数年で、自分の味覚ははっきり変わった。その味覚を変えさせたのは、カフェで作るスタッフの料理だ。15年もほぼ同じ食材や調味料を使ってきて、今更ながらに思うのだから間違いない。そこで、これほど体調が良くなる料理法があるなら一度学んでみたいという思いが強くなってきたことである。実際に作ることで体感することは沢山ある気がするのだ。しかし、思いはあってもこればかりは状況が許さない限り難しいと思っていた。ところが、お盆をはさんで約1週間の初級料理講座が大阪で開かれるという。店を留守するにするのは4日間だが、心温かいスタッフ皆の協力もあって、開店以来始めて長期の休みをとって参加することができた。
  「人間一生の吉凶は皆ただその人の飲食による。恐るべきは飲食である。慎むべきは飲食である。」この端的に真理をあらわす言葉は食養家であり日本一の観相家といわれた水野南北が語ったとされている。出来そうでできない重々しい言葉だが、飲食というまさにこの単純作業の繰り返しが、人に与えられた唯一の自由なのではないだろうかとつくづく思うのだ。お金を持っている人でもそうでない人でも、美食しようが、粗食にしようが、食事だけは誰にとやかく言われることはない。自らの選択で自分の身を養っているのである。しかし一生にすると膨大になるその日の一食一食が、健康な生活を送れるかどうかの大きなカギを握っているとしたらどうだろう。この平等にある自由な権利のふるまいで、一生の吉凶が決まるのは当然であり、運命など、誰恨むことない自分自身が決めていることになる。
 集中して勉強するのは何年ぶりだろうか。さすがに慣れないことに体がついていけないのか、もしくは学生時代の癖が残っているのか、初日から頻繁に襲われた睡魔には閉口した。しかしこれも意味のあることだったことに後で気づいた。圧力釜、土鍋、電気釜による玄米の炊き方や、穀物7:副菜3の割合で作る一汁一菜。そして食材と向き合うことは、食材が持つ香り、味、変化、音、無意識、という五感を使う。そうすると、今までにない感覚が、体に芽生えてくるのが分かった。生きることに一番直結する感覚を体験してるのである。基本を2日間しっかり体験したことで、体の変化に気づき始めた。特に変化を増長させたのは、よく噛むことだった。早食いの私には特に耳に痛い話だったが、講師の先生に、一口100回を毎食1回だけでも、一年続ければ大変な回数になると言われて、その大切さを痛感したのだ。それを毎食実践していると、自然に噛む癖がついてきた。そしてそれぞれの食材が持つ甘味を感じられるようになった。今までのようにあまり噛まないで食べていると大雑把な味しか分からない。そのため脳の満腹中枢がなかなか満足しないので、どうしても必要とする量より多く食べてしまう。しかも雑に噛んだ食べ物は、十分な唾液が出ないために消化不良をおこし、吸収が細胞に行き渡らない。それが空腹を呼ぶのだと体の感覚で感じた。それを証拠に3日目になると、眠くならないし腹はすかない。俄然物事に集中できるようになったのだ。味覚をはじめとして五感が感覚が鋭敏になった。何より調理をすることで、食材が持つ香りの変化を楽しめた。調理とは、調味料で味を付けることではない。食材が持っている命を最大限活かして頂くための方法なのだ。それを証拠に台所の語源は、平安時代の台盤(食物を載せるための脚付きの台)とも、人間の根幹たる胎盤ともいわれたそうである。そして江戸時代まで、御台所(みだいどころ)が、大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称に使われていたことも、いかに命を産み出す場と考えていたことが伺える。それを認識できた貴重な6日間だった。

意外な温暖化の原因? 2011.07.27

 それは先月、友人とのふとした会話からわいた疑問だった。長い付き合いになるその友人は、かつて釣りバカ一歩手前ほどの愛好家だった。早朝、仕事の前にも釣りに行くほどだったが、最近は忙しくてめっきりその腕を試す機会はないらしい。渓流釣りには数回連れて行ってもらったことがある。そこで分かったことは、こちらは釣りよりどちらかというと食べ物や温泉のほうに興味がわくため、釣りを心底楽しむ性格ではないということだ。それでもお互い気にしないため、たまに誘いが来る。話しはその友人からの誘いで近くの温泉、元気の里に行ったときのことである。時節柄でつい原発の話になった。浜岡の名前を出したとたん、顔色が変わり、その周辺の釣り場の話しが始まった。原発から出る温排水はすごいらしい。排出された温排水は湯気で一面真っ白というのだ。そしてその暖かい海水に彼らが言うGTクラスの大きな魚も群がってくるので、そこに竿を投げて釣るのが醍醐味だったという。釣り好きからしてみればその排水が止まれば、もはやその光景は見られないというため息交じりの話しで終わったのだが、その温排水とはどの程度のものなのだろう。海を容赦なく温めているのである。その疑問が頭から離れなかったのだ。
 今年は、梅雨が明けたか分からないうちに一気に真夏日となった。例年と変わらず、湿度の高いうっとおしい暑さが続いた。ところが異変が起きた。夕方になると、秋を思わせるようなやわらかい風になった。あの蒸気熱を思わせる風ではない。これは素人考えだが、すぐに浜岡原発が浮かんだ。原発が停止したからではないのだろうか。原子力発電所で生み出される熱はおよそ300万キロワットになるらしい。そのうちのわずか1/3だけを電気に変えて、残り2/3の熱は、何と海に捨てているのだという。その正体があの温排水だったのだ。なんと1秒間に70トンの海水を原子力発電所内に引き込み、温度を7度も上昇させて海に捨てているのだ。しかも配管に付着する物質を防ぐための薬剤も一緒に流しているのである。これが日本全体の54基全部で稼動してたらどうなるだろうか。生命の源の海へ、天に唾するような行為が長い間無言のまま行われてきたのである。毎年のように海水の温度上昇のため、自然災害の激発と共に生態系への影響が危惧されるとメディアは警告するが、それならどうしてこのことを指摘しないのだろうか。CO2を削減し、地球温暖化に貢献するといいながら、この一点だけ見ても温暖化と環境破壊の原因ではないのか。3月時点で稼動していた原発37基が、停止や点検もあって現時点で16基になった。これがこの夏の温度に影響していると思うのは私の思い過ごしだろうか。来年、点検も含めて全国の原発が止まる可能性がでてきたらしい。そうなれば、生まれて始めて原発のない夏が体験できるかもしれない。本当の日本の夏に出会えるのだ。
 最近、東京新聞に代える購読者が急増しているそうだ。そういえば自民党議員の72%が東京電力から政治献金を受けていた記事があった。道理で原発停止に反対のわけである。もはやこうなれば政治信条もない人間がバッジを付けただげのお役人である、それならいっそのこと党の名前も原発党に改名すればわかりがいいのではないか。国絡みで独占を許したマンモス企業に、今や手や足を縛られた状態の中、共生か強制かの攻防が、これからの日本を大きく左右することになるだろう。

参考著書:DAYSJAPAN8月号 小出裕章の放射能の話

おかげさまで20周年 2011.07.01

 今年で開店して20年、それは大切な店を故加藤ヒロ子先生から引き継ぎ、はや15年が経ったということを意味する。正直、よく続いたと思う。子どもから大人への節目、成人になるまでの紆余曲折と同じように、多くの失敗と、周りの方々のあたたかい目に守られ、ようやく一人立ちできる年令を迎えた実感がある。経験したことないことばかりで失敗の繰り返し、あの時こうしていれば、というセリフを何度自問したことだろう。それも今になってしまえば、失敗なくして自立はありえないという簡単な言葉に行き着いてしまう。なんでも経験してみなければ身につかないのである。一通りのことを経験すると、今度はそれを教える立場になる。世の中そう回ってるんだと感じるようになるのにそれ相応の年数がかかるようである。 ヘルシングあいは、1991年、西式甲田療法を指導する店として、保健婦だった加藤ヒロ子先生が開業した。その当時はバブルが崩壊したとはいえ、空き店舗が見つからないほど好景気に沸く最中だった。グルメが主流を占める中、それとは逆行する「食べすぎが病気の元だ」という指導は、大変だったにちがいない。玄米を食べているだけで変な目で見られた時期だった。この偶然ともいえる加藤先生との出会いによって、今の私がある。そして西式という民間療法を学んだことが大きな力になったと思っている。西式は、健康法という大きな枠で捉えられているが、本来なら医学として認識されるものである。なぜならその検証は、血液循環から、血圧、骨の性質、体の姿勢から体貌まで及び、一貫して自らの主張を、膨大な世界の学説や、臨床から実証してみせたものだった。そして、その内容は、現在に至っても古さを感じさせない。それが意味するのは真の医療だからに違いない。それに引き換え体を部分しか見ない現代医学は、混迷を極める一方である。今だに新薬さえ風邪一つ治せないのである。
 3月に起きた震災から3ヶ月以上が過ぎた。今だに収束の目処がつかない原発が、復興の足かせになっている。この危険性が世界中の人々に伝わったことが唯一の救いであることは間違いないが、いつの時代も、情報はスポンサーのご都合で作られることがはっきりした。本当に知りたい情報は、お金を出してでも自ら求めないと何一つ入ってこないのである。この危険性が、少しでも認識できていれば、この小さな国土に54基も原発は作られないだろう。それが今は、地雷のように全国に散らばっているのである。その上、放射性廃棄物の行方も他人の空事である。知らないということは恐ろしいことだ。家や土地を奪われることも知らずに、信用して財布を預けているようなものだからだ。
 医療もしかりではないだろうか。B型肝炎訴訟の和解が最近合意された。国の過誤によって感染被害を受けた被害者を救済するのは当然のことであるが、医薬品の認証に携わる経緯などは、誰も知る由もない。専門的なことだからいう必要がないのだろうか。本来、自らの体に入れるものなら、余計疑ってかかった方が良いのではないか。被害者になっても後の祭りである。私自身、定期健診は20年以上受けていない。今後もするつもりはないし、外傷以外の病院にはお世話になるつもりはない。体調は、自分自身が一番よく分かっているつもりだ。
 最近分かったことは、病気に重度があるように、健康にも健やか度があるということだ。健康になればなるほど自由自在になる。その基本は、もちろん食であり、運動である。皆様の健やか度を上げることに貢献できるよう、私自身もその角度を上げて行きたいと思っている。

100,000年後の安全2011.05.26

 「おい!何かいいネタはないか~。」と、おなじみのセリフを聞いたのは4月はじめのこと。受話器の向こうから少しかすれがかった声が耳元で鳴り響いた。お便りで何度も登場している病気の問屋、K氏である。新聞社を勤め上げ、現在は持病と戦いながらも、編集局でならした腕前を、某サイトのブログで披露している。しかも3日に1回の透析以外はほぼ更新されているからすごい。自費での取材地元愛知県のみならず、岐阜や三重県など近隣地方まで及ぶ。新旧織り成す街道は、K氏の手にかかるとどれもが色彩を帯びてくるから不思議だ。それは日常に埋没してふだん忘れ去られている所に光を当てるからに違いない。少し離れたところに視点をおいて誰もが見落としそうなところ、記者の目は的確にそこにピントを合わせる。真剣に仕事をしてきた証拠だ。しかし、時折ネタに事欠くらしく、忘れたころにメールや電話でその催促をよこす。そのためこの時とばかり、ネット上で話題になった原発に関するサイトをいくつか紹介した。震災以来、情報は原発で一色でありながら、満足な情報を伝えている大手メディアは残念ながら皆無だった。それを証拠に、そのサイトの反響はK氏の予想を超えるものだったという。20年来のお付き合いになるが、共通の話題で情報の共有をしたのは今回が初めてである。しばらくして原発の問題をアップしたというメールが入った。客観的な視点から繰り出す確かな情報、これを読者は求めている。今度はこちらがネタをいただこう。
以下は、K氏許可のもと、ブログ内容を拝借させていただく。
●放射性廃棄物の最終処分場
 日本は福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染の後遺症対策ととともに高レベルの放射性廃棄物の最終処理場建設も大きな課題だ。54基もある原発から出る放射性廃棄物はたまる一方だが、日本ではまだ最終処分場の建設場所が決まってない。将来必ず建設しなければいけない最終処分場はどうするのか。今の技術水準で将来安全といえる施設はできるのか。17日のNHK・BS1テレビ「問われる核のゴミ処理」や全国のミニシアターで現在上映されている話題の映画「100000年後の安全」などで、その実態が浮き彫りになっている。17日午前零時からNHK・BS1で放映されたのは、世界ドキュメント「終わらない悪夢(前)」。原子力発電の先進国といわれるフランスが制作したもので、放射性廃棄物・問われる核のゴミ処理問題がテーマ。放射性廃棄物の海洋投棄が1993年に禁止されるまで続けられていたことから始まり、米国や旧ソ連の問題ある放射性廃棄物処理の実態を取り上げている。米国は1943年建設された原子爆弾作成のマンハッタン計画で、プルトリウムの精製が行われたワシントン州東南にある最大の汚染地域、ハンフォードを取り上げ、放置された所から今でも汚染水が地下水を通じ、コロラド川にも及んでいる。また、旧ソ連は核兵器開発のために1948年に建設した原子炉の使用済み燃料の汚染地域、テチャ川周辺地域を取り上げ、がん発生率の多さや死亡率の高さを問題視している。さらにフランスは、日本などから放射性廃棄物を引き受け処理しているが、それが最終的にはロシアのシベリア奥地の貯蔵コンテナに入れられたままで放棄されている。世界に今安全な最終処分場は無いのだ。原爆被害を受けた日本以外にも60年以上前から米国やロシアで放射能廃棄物汚染が起こっている。非常にショッキングな内容だった。18日午前零時から後編がNHK・BS1で放映される。夜中だが、ぜひ見ていただきたい。
 全国のミニシアターで上映中の「100000年後の安全」はフィンランドのオルキルオトに建設中の原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場「オンカロ(隠された場所)」と呼ばれる施設に、世界で初めてカメラが潜入したドキュメンタリー作品。高レベル放射性廃棄物は安全な状態になるまで、10万年間かかる想定でフィンランドでは、かたい岩盤を掘削し地下500㍍に巨大な施設を造るプロジェクトを進めている。10万年もの耐久性がある放射性廃棄物の最終処分場をはたしてつくることが可能なのか。後世の人類に悪影響はないのか、興味深い。福島第一原発の放射能汚染事故で予定を早めての上映。まだ、私は見ていないが、かなりの人が押し掛けているようだ。 
名古屋地区は千種区今池の名古屋シネマテークで5月28日から6月11日まで時間を変更しながら上映予定。ぜひ見てみたいと思っている。
 日本では最終処分場は決まってないものの現在、地下坑道を掘った高レベルの放射性廃棄物を埋蔵処理する調査研究は、岐阜県瑞浪市と北海道で行っている。そのうちの一つ、瑞浪市に昨年4月に行き、地下300㍍の水平坑道を体感してきた。正式名称は「日本原子力研究開発機構東濃地科学センター・瑞浪超深地層研究所」で、月1回の一般公開に参加してみてきたもの。
 同研究所は、2002年に開所、翌年から立坑の掘削作業を開始し、その時の話では主立坑(内径6.5㍍)、換気立坑(内径4.5㍍)とも地下460㍍まで掘り進んでいる。将来は1000㍍まで掘る計画。地下水平坑道は2008年、研究アクセス坑道として深度300㍍のところに完成した。水平坑道の高さは3㍍、幅4㍍、全長100㍍。この水平坑道では①断層や岩盤の割れ目②地下水の化学的性質の変化③坑道掘削の影響や湧き水抑制対策技術などの調査研究を行っている。放射性廃棄物の瑞浪市への持ち込みは、日本原子力研究開発機構と瑞浪市との覚書で一切禁止になっている。いずれ日本はどこかに高レベル放射性廃棄物処分場を設けなくてはいけないが、果たして賛成してくれる自治体があるのか、大きな問題になるだろう。地下300㍍のトンネル内の岩盤がむき出しになっている所を見ながらその時思った。
 以上、K氏の記事である。近くで密かに行われている調査研究と題した工事。結局行き着くところは廃棄物の墓場を作る発想でしかない。次世代に大きなツケを遺してでも現在の生活を守りたいのかを問われている。原発事故がおきてはじめて、世界が共通して抱えている大きな問題を知ることができたのだ。問題の先送りが許されるはずはない。
 「100,000年後の安全」は、5月28日から名古屋シネマテークで上映される。この映画のほかにも、ミニシアターならではの作品が上映されているようだ。正しい情報を知ることによって、一人一人が将来の選択をすることができる。その良い機会になることを願っている。

 上映時間
5/28(土)~6/3(金)18:30~6/2(木)・3(金)は追加上映あり。
6/4(土)~6/10(金)10:30~ 16:00~
6/11(土)~6/17金)10:30~名古屋シネマテーク
名古屋市千種区今池1-6-13今池スタービル2F

新しい時代の幕開けに 2011.04.29

 この一大事にとるさまざまな動き一つ一つ。そのことでいろいろなことを気づかされる。なるべく遠くに避難する人やいち早く現地に駆けつける人、情報を提供する国やメディアの姿勢、能書きをいう御用学者やそれに右往左往する政治家、何が良い悪いの問題ではなく、明らかに分かったのは、この国には既得権益という特権にぶら下がって、こんな事態になっても自分のことしか考えることができない面々がそれでも多くいるということだ。地震直後、多くの帰宅難民が出る中、百貨店などが売り場を開放したことはニュースで広く報じられた。都電もメトロも私鉄も都バスも懸命に使命を果たす中、早々と運行を見合わせ、構内から帰宅できない人たちを締め出したのはJRである。隣国、北朝鮮からは震災見舞いとして10万ドルの支援があったにもかかわらず、そのことをホームページに載せない外務省。その理由について、赤十字社を通じた支援であり、外務省に通知がなかったとしている。世界各国の外交を司っているいわば国の顔である。通知がなかったから載せないという小学生以下の回答をおくびにもださずに言えるとはどこまで高慢な態度だろう。そういう役人が一人一人の税金で当たり前のような顔で職務に当たっているのが現状である。東京電力にしてもJRにしても、もともとは国営企業である。既得権益で独占状態のまま今日に至った殿様商売と官僚組織、その慢心さゆえ、国家の屋台骨が揺らいでいるときでさえ他人事なのだろうか。 32カ国の在京大使館が地震発生後に閉鎖や避難する中、韓国大使館は、東京にとどまり、大使や大使館員の家族も一時帰国しなかったそうである。厳しい状況下に置かれている隣人を助けなければ本当の隣人ではないと考えて、自ら募金や救済活動に当たっているという。この違いは何だろう。せめてメディアがこのことを広く取り上げ、敬意を表すべきではないだろうか。これらいくつかの情報は、一日遅れで届く東京新聞のこちら特報部からの抜粋である。震災以来特に連日熱い報道が続く。しかし、この東京中日新聞にしても、地元名古屋の中日新聞にこの情報が掲載されるのは逆に数日遅い。しかも掲載されないものも多々ある。情報の震源から遠ざかれば遠ざかるほど、その密度は荒くなるのか、それとも知らなくても良いということなのか。割愛された一つに、原子力関連法人に巨額積立金の記事がある。何と3兆円も眠っているとうたった紙面だ。だったらすみやかにそのお金を救済に当てるべきと考えるのが普通だが、法律で使途が決まっているので目的外の使用はできないというつれない回答が帰ってきたらしい。その目的とは、放射性廃棄物の再処理と、最終処分のために積み立てられたもの。しかし、使用済み核燃料の処分方法も定まっていない状態なのだから、福島の損害賠償にこの積立金を使うように改正するよう今こそ政治の出番だと訴えている自民党の河野議員の声を載せていた。まさにその通りではないか。発電・送電・電力販売にかかわるすべての費用を「総括原価」としてコストに計上し、その上一定の報酬率を上乗せした金額を電気料金として私たちから徴収しているのである。会社を経営するすべての費用をコストに転嫁することができる上に、一定の利益率まで保証されているのだから決して赤字にならないシステムで利益を上げてきたのだ。こんなうまい商売があるだろうか。その挙句にいざ想定外のリスクは、使用者である国民に負わせようなどという道理が通るほうがおかしい。本当に現地の人に謝罪したい気持ちがあるなら、すぐ資産を売却してでも避難生活を強いられている多くの人を救済すべきだでろう。それでも足りなくなってはじめて国が関与する話しが出てきて普通ではないだろうか。ここにも、国としての顔が見えてこない。政治家もお役人も責任を取りたくないのだ。そういう面々が高い給料を搾取しながら現場に責任を転嫁し続けている。
 頼りにならない国に変わって、ソフトバンクの孫氏が個人資産10億円を拠出して自然エネルギー財団を立ち上げた。原発を40年経っても使い続けている国は日本ぐらいで、世界的には稀らしい。減価償却が終わった原発は、発電すればするほど儲かるからだ。しかし、中性子を浴び続けると圧力容器はもろくなる。世界平均では22年で廃炉にしているのだ。それを40年以上使い続けるということがどれだけ危険か認識する必要がある。そこで40年経ったものから順次廃炉し、不足するエネルギーは代替の自然エネルギーでまかなうようにしようというのが、大きな主旨である。40年使っていたことすら知らなかったが、現在も古くなった原発が日本全国で稼動しているのである。本来、国や電力会社が考えなければならないことを、民間企業が取り組もうとしているのだ。すばらしいことである。さらに、放射能の測定を、ソフトバンクが全国SBショップで定点観測を積極的に行う意思を表明している。これほど尽力しているにもかかわらず、メディアの取り上げ方はおつまみ程度、こんな事態なってもお国のご意向を伺っているのだろう。それほどこの国のエネルギー政策に異論を唱えることが大変なのは既得権益に触れるからに違いない。しかし、もはやメディアも国や政治家もあてにはならない。市民一人一人の力で作り上げていかなくては到底この大惨事を乗り切れないことを訴えるために孫氏は大きな花火を打ち上げた気がする。それを理由に、その声に賛同する多くの声がネット上にはあふれている。そこに、新しい国づくりの幕開けを感じる。

下記には、聞いてうんざりする「直ちに人体に影響を与える値ではありません」という国の安全基準がいかにその場しのぎかを記したい。
電子版DAYS DAYS Internationalより抜粋
●一年間に1mSv(ミリシーベルト)以上浴びては危険だ!という事故前基準が、いきなり年間20mSv(ミリシーベルト)という、とてつもなく高い水準に変えられ、20倍の濃度の放射線量被ばくまで児童生徒に「我慢させる」という暴挙を言い出したのは、一体誰なのか?文部科学省自身が今まで言ってきた安全基準値の20倍もの濃度基準値へ、いきなり変更したことは異常である。児童生徒の健康安全生命を守るべき文部科学省に、そういう権限が一体あるのか?とんでもない話しである。今回文部科学省は、ICRPのこの基準値、1mSv/y(ミリシーベルト/年)=0.114μSv/h(マイクロシーベルト/時)の安全基準値さえ無視し、ICRPの定めた基準値の、実に33倍のも高濃度の3.8μSv/h(マイクロシーベルト毎時)以下なら安全である!と宣告したのだ!国会審議も経ず文部科学省通達という省令で断行した。
●子どもの安全基準、根拠不透明~市民の追及で明らかに
福島老朽原発を考える会をはじめ3団体の呼びかけで21日、文部科学省が児童の放射線許容量を年間20ミリシーベルトとする安全基準を出したことに関して、その数値を撤回するよう交渉を行った。出席した文部科学省と内閣府原子力安全委員会の担当者は、ほとんどの質問に対して回答することができず、子どもの安全基準の根拠が不透明であり、きちんとしたプロセスがとられていない可能性があることが明らかとなった。
●「福島県放射線モニタリング小・中学校等実施結果」の集計結果
放射線管理区域」(0.6~2.2μSv/h)相当の学校が55.5%、「個別被ばく管理」が必要な学校が20.4%、これら2つを合わせると、福島県下の小中学校等の実に75.9%(75%以上)が「放射線管理区域」以上のレベルにまで放射線汚染が深刻化しています。東京電力福島第1原発から60キロ以遠の福島市内の全学校52校の運動場など校舎外の地面から50cmの高さの空間線量(すなわち外部被ばく線量)の平均値が3.5μSv/h(マイクロシーベルト/時)の高い値が4月19日の文部科学省調査結果からも計測されている。人体への放射線障害は一定度はやむを得ないとする放射線被ばくを大前提として設定されている国際放射線防護委員会(ICRP)の基準値でさえ、1990年の改訂基準に従えば、職業人の場合は20mSv/y(ミリシーベルト/年)、一般人の場合は1mSv/y(ミリシーベルト/年)、厳密には250μSv(マイクロシーベルト/3ヶ月)と勧告している。
★下記は東京都が実施している調査。東京都独自で行っている。猪瀬直樹tweetより掲載。都内の環境放射線量調査

日本の一大事だ 2011.03.25

 うす気味の悪い横揺れは、何分も続いたような気がした。目まいでもおこしたのかと錯覚するほどだった。まさにその時、三陸沖を震源とした地震は、マグミチュード9.0という途方もないエネルギーで東日本を襲っていたのだ。その上、地震の影響による津波はあっという間に家々をはじめあらゆるものを飲み込んでいった。画面に映し出された映像は、天災を記憶に刻むには十分すぎるものだった。しかし、事態はもっと深刻な問題をはらんでいた。福島原発の事故である。日常の営みが途絶えた瞬間だった。
 被災した人たちの救出だけでも困難を極める中での原発事故である。毎日繰り返される政府発表やメディアの情報は、不安をさらにあおるものにした。その中で、海外のメディアや、専門サイトを手引きしていただいた一人のお客様のおかげで、今の日本の現状を、少しは理解することができた。聞けば何でも答えてくれるその人の職業を聞いたことがないが、私は、先生か博士だと想像している。混乱が続いている中、電力会社は、大手新聞一面に謝罪広告のせた。まるで力で情報をねじ伏せようとしているかのようだった。国営企業と政府間の、この手の古いやり方には、飽き飽きしていると思うのだが、世代の違いなのだろうか。金をばら撒けばすむと思っている。自民党崩壊時も、こういう最中も、全く反省の色がない。他人事なのだ。そんな広告費を出すくらいなら、少しでも被災地に回すことを考えるのが人の道ではないだろうか。もう一つ、こんな大事件になっても、朝ずばっと吼える司会者のトーンが低いらしい。所詮スポンサーには何もいえない面々ばかりが茶の間を騒がしていたのだ。真実が表に出るはずがないわけだ。
 世界で唯一被爆国の日本。何という因果だろうか。今度は、自らの手で作り上げた原子力で被爆の危険にさらされている。原子力の安全利用によって、今まで確かに電力という恩恵を受け続けてきた。当たり前のように、それも過剰すぎるくらいに電気を使い続けてきた。しかし、その恩恵とは裏腹に、あまりにも大きなリスクがあることを、今回はじめて認識した事故だった。昨年のもんじゅの重量物の原子炉内での落下事故や、中越地震での柏崎刈羽原発事故、そして駿河湾沖地震で浜岡原発では日本最大の原子炉が、想定内の震度で停止したことなど、事故続きの中で、幸運にも大事にならなかった。これは天からの警告だったに違いない。電力は、今や経済活動にはもちろんのこと、生活にはなくてはならないものである。しかし、一人一人の節電や、現在東京周辺で行われている計画停電などで、原発の利用をしなくてすむなら、喜んで協力したいと思う人がほとんどではないだろうか。
 今は日本の一大事である。原発の事故現場には、被爆という恐怖にさらされながらも多くの社員の方々が、復旧に全力を上げている。持ち場を離れず、任務に当たる責任感の強さは、世界一である。そんな責任感の強さが、国際社会で認められる信頼を作り上げてきたに違いない。
どうか、無事任務を終えられることを心から願っている。
 「自分は今、何をすべきか」一人一人の思いが、被災地の復興のカギを握っている。

下記内容は、「死の同心円 長崎被爆医師の記録」から、食べ物が被爆者を救った実話を記します。長崎の被爆地から1.4kmのところにあった浦上第一病院。そこで出されていた食事は、一日2回の玄米菜食だった。石塚式や、桜沢式の食養学を学んだ院長だった秋月辰一郎氏の強い進めによるもので、被爆後は、塩を多めにつけた玄米、カボチャなどを入れた味噌汁の食事で、病院の患者さんやスタッフ全員、被爆の犠牲者を出さなかったのだ。被爆の症状をレントゲンカッター(全身の倦怠やうつなどの症状)に似たものと推理し、それを改善させるため、生理食塩水より多くの塩分を含んだ水を飲ませることは、レントゲン教室で働いているものの常識だったという。また、食塩のナトリウムイオンは造血細胞に賦活活性力を与えるが、砂糖は、造血細胞に対する毒素として厳しく甘味を禁止したという。この日本の食養学が、世界を救うカギを握っている気がしてならない。

参考著書:DAYS JAPAN  死の同心円 長崎被爆医師の記録 秋月辰一郎 長崎文献社
考サイト:原子力資料情報室 http://www.cnic.jp/
参考サイト:日系ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20101118/217152/
              :広瀬隆さんの朝日ニュースターBSのテレビ番組のインタビュー


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