ヘルシングあい便り

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原発のない夏に・・・2012.08.01

 ちょうど昨年の今ごろお便りで書いたことを思い起こしている。まさしくそれが意外な地球温暖化の原因の一つだと今さらながら確信している。知らないこととはいえ、なぜこのようなことがことが問題にされずに放置され続けられてきたか不思議でならなかった。いや今だに放置され続けているといったほうがいい。それは友人とのひょんな会話から知ったことだった。昨年の内容を一部ご紹介させていただく。......昨年の5月に運転を停止した浜岡原発に話しが飛んだときに、釣好きな彼ゆえ浜岡という言葉に敏感に反応した。そこは絶好の釣りスポットらしい。どうしてかと聞くと、原発から出る温排水で海一面が湯気で真っ白になるそうだ。その温かい海水のおかげで越冬できたメッキでGTクラスという大きさを釣り上げるのが醍醐味のためだという。聞き流すような話しの中で、気になったのが海に捨てている排水だった................。
 原子力発電所で生み出される熱はおよそ300万キロワット。そのわずか3分の1だけを電気に変えて残りの3分の2を捨てている。その捨てているところが海である。1秒間に70トンの海水を原子炉の熱を冷ますために発電所に引き込み、海水の温度を7℃も上げて海に捨てている。しかも配管に貝などが付着しないように使用する化学物質の塩素や過酸化水素も一緒に捨られているのだ。その流量が、なんと日本全国の原発54基で換算すると、年間1000億トンにもなるという。全国の河川の流量が4000億トンというからその膨大たる量や想像するに恐ろしい数字である。そんな状況が震災が起こる昨年まで当たりまえのように行われてきたのである。これを温暖化の原因と言わずに、何を原因といえるだろうか。そしてこの構図はわが国の生活スタイルと近似している。湯水のように電気や水を使い賞味期限が過ぎたものは何の心痛もなく廃棄する。食糧廃棄などは5800万トンの食糧を輸入しながらその3分の1を捨てているというのが現状だ。まるで世界最大の廃棄国である。貴重な資源を無駄に遣い、廃棄の代償が、温暖化や海の汚染にもつながっていたと見るのが普通ではないだろうか。
 震災以降、原発への不安から1基のみが現在稼動している状態である。あれだけあった原発が一度はすべて停止してしまったのだからそれがなくてもやっていけるということを証明したのである。それも急な災時を乗り越えて達成できたことだ。努力を惜しまない国民性を少しは誇っても良いと思う。ところがそんな美談には蓋をして、電力不足の不安を煽り立てるメディアと経済界、そしてそれに便乗する邪な政治家にはあきれて物が言えない。全国で行われているデモを見ても分かるように、反原発の波はうねりを上げて広がっている。どうみてもこれ以上の再稼動は不可能だろう。ましてやこの無尽蔵に海に捨てられている温排水について、何かもっともらしい答えがあるとでもいうだろうか。
 今年も容赦のない夏の暑さが襲ってきている。我々の性根を試されているようだ。クーラーを切るなども一つの方法だが、くだらないテレビを消したほうが遥かに省エネらしい。これはいろいろな意味で
一番効果がありそうだ。原発をなくすためにまずテレビを消そう!

参考資料:DAYSJAPAN2011年8月号「小出裕章の放射能の話」

反骨のコツ2012.06.30

 東京大学の准教授で音楽家そして指揮者でもある伊東乾氏を知ったのは昨年の震災後のこと、ネット上に掲載されていたコラムに目がとまったのがきっかけだった。以前もこの経緯について書いたことがあるが繰り返すと、当時の原発の状況を、知りうる限りの情報の中から精査して、正しく怖がることの大切さを伝えていた。メディアではえせな学者をとっかえひっかえ使って、なるべく安心させようをしたため、かえって見る側の不安をあおる結果となった。混乱する中で一番必要なことは何か。現在の状況を、できるかぎり正しく知ることだ。その簡単そうで難しいことを、ネット上で、そしてリアルタイムでツイッターで、許す限りの時間を使って発信していたのがこの方だ。それ以来、親しみと尊敬をもって記事を拝見している。また、その方の著書も取り寄せては読んでいた。その中で、とても人事ではないと感じたのが「反骨のコツ」という本にある内容だった。刑訴法生みの親である団藤重光氏との会話形式で書き下ろされたその本は、裁判員制度から死刑制度まで、刑法を軽くあしらうことのできないとても重い責任があることに気づかされた。先月、98歳で亡くなられた団藤氏を偲んだ記事が中日新聞にも大きく掲載されていた。中から少し抜粋させていただく。
  「人殺し!」という叫びが、「刑法の父」と呼ばれた法律家の生き方を変えた。一九七六年に開かれた殺人事件の上告審判決。二審の死刑を支持する判決を最高裁小法廷が言い渡し、五人の判事が退廷する時に傍聴席から声が上がった▼直接証拠はなく一貫して否認だった。状況証拠は犯人を示しているように思えたが、陪席判事だった団藤重光さんは「本当にやったのだろうか」と引っ掛かっていた▼傍聴席からの罵声ぐらいでは驚かないが、確信を持てなかっただけに胸に突き刺さった。この経験が、立法で死刑を廃止するしかないと考える転機になった。
 人間は人間に「死になさい」とは言えない。その単純な事実に、自分が死刑宣告をする立場になって、初めてはっきり気がついたという。とても重い話しだが、裁判員制度がある以上、この重い宣告を一般の国民にも負わせることになるのだ。元最高裁判事も人間、そして裁くのも人間なのである。 それに引き換え今行われている裁判はどうだろうか。警察から送られてきた事件を起訴するかしないかを決定する検察が勝手に事件を作って犯人に仕立てたり、名張毒ぶどう酒事件では、審理は無罪から死刑、再審開始決定から取り消しへと司法判断が大きく揺れて半世紀に及んでいる。それでも名古屋高裁は、奥西死刑囚の再審開始決定を取り消した。本来、証拠を示す立場の検察が、それを隠して公表しないなど、税金を使った詐欺行為と思われてもおかしくないことが平然と行われている。そんな非正義が横行する中で、人が人を裁くということは本当に大変なことである。それが他人事ではなくなってきたのだ。一度じっくり一人一人が考えるときがきている。反骨のコツを学ぶのに今が良い機会だと思う。おすすめの一冊である。

参考著書 「反骨のコツ」朝日新書 團藤重光 伊東乾著  中日新聞 中日春秋

慈慈の邸のオープンに寄せて2012.06.01

  ゴールデンウィーク始め、2日間の連休を使って千葉県にあるブラウンズフィールドに行ってきた。交通機関を使ってもけっこう時間がかかる場所のため、あまり長距離運転は好きではないが車で行くことに決めていた。行く数日前、たまたま一緒に食事をした友人にこの話しをしたところ、是非行きたいという。不思議なもので、そこ行くときは必ずサポーターが現れる。前回も当店のレジシステムを担当している方との酒の席で、何の関係もないのに急に運転手を買って出てくれた。なぜそうなったか本人も良く分かってなかったようだから不思議なご縁はあるものだ。
 今回行こうと思ったのは、自分の思い込みから生じたものだった。4月中旬のこと、久しぶりに中島デコさんにお会いできる機会が持て、新しくブラウンズフィールドの近くにオープンする宿泊施設「慈慈の邸」のことについていろいろとお話しを伺っているうち、これはオープンまでに人手がいるに違いないと感じた。デコさんから、来なくてEメールを送ってきたが、行ったもん勝ちで乗り込んでしまった。
 大きな古民家には、たくさんの業者さんが入り込んで完成を急いでいた。幸いやることが結構あったため、男の2人工は少しは役に立ったと思う。一日中ウグイスの声を聞きながらの滞在は、至福のひと時だった。あるのは庭師さんが切るはさみの音や、大工さんの木を切る音で、電子音から開放された空間だ。埃の染み付いた廊下は、拭けば拭くほど木のつやが現れてきて味わいのある色となった。手伝いに行ったのか癒されに行ったのかそのうち分からなくなってしまった。
 慈慈の邸がオープンする日は、デコさんの長女である子嶺麻さんの初の料理本出版日でもあった。そんな繋がりから、以前デコさんが話していたことが頭に蘇った。自然な自由な暮らしがブラウンフィールドにありながら、普通の暮らしがしたいといって、子嶺麻さんが家を飛び出した時の話しだ。人間誰しもないものねだりのところがある。隣の芝生は良く見える。彼女もその都会暮らしにあこがれて、晴れてOL暮らしをしていたことがあったそうだ。全く相反する世界に飛び込んだときにどう感じただろう。あこがれや夢が広がっただろうか。普通なら当然そうだと思うのだが、彼女の場合はそう感じなかったのかもしれない。束縛されるストッキングやスカートを脱ぎ捨てて、またブラウンズフィールドに戻ってきたそうだ。その彼女が今、その聖地を切り盛りしている。
 戻れる場所があるというのはなんと素敵なことだろう。昔はそんな場所が山ほどあった。私も毎年長野に帰るのが楽しみだった。いつ行っても変わらない風景、時間がその場所だけ止まっている。だから人間は幼い時の自分に戻れるのではないだろうか。そんな心の故郷を、平気で壊してしまうことをずっとやってきた。もはや自分達が戻れる場所もなくそうとしているのだ。心の平安まで金勘定と引き換えにして、ほんとうの安らぎが得れるのだろうか。毎朝NHKの世界遺産を見ながら、その地で誇りを持って今までの暮らしを受け継いでいる映像に、世界も大事だが、日本の風景を守っているところにも光を与えてもいいのではないかと感じる。自由という厳しい世界を手に入れたブラウンズフィールドに、もう一つ夢の空間がオープンした。皆さんも、童話の世界に入ってみませんか。きっと入った瞬間に、そう感じるはずですよ。

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テレパシー2012.05.01

 今年のちょうど書き初めの日に、何を思ってかこれから毎日ブログを更新することを決意した。その時は無性に内側に溜まっているものを吐き出したかったのかもしれない。何でも出すことは良いとして、一ヶ月に一度のお便りでも事欠くのによくもまあそんな気になったものだと今さらながら自分の無謀さに呆れている。いよいよ5ヶ月目に突入だがネタがない。ネタにするネタもないから困ったものである。そこで姑息だが今月は、ある日のブログと同じテーマで逃げることをお許し願いたい。
 テレパシーとは、超感覚的知覚 (ESP) の一種で、特別な道具を使うことなく遠隔の者と言葉を交わさずに通信する能力のことをいう。ESPによって他人の心を読んだり、識別したりすることを指す。とフリー百科事典で紹介されていたがここまでおおげさな話しではない。これも今年の正月のこと、店は休みでも、いつものように猫のあいちゃんのおさんどんに来た時、何かの拍子に猫に意識を向けてみた。こちらで頭のどこかに集中して問いかけると不思議とこちらを向く。さらに少し感情を込めると、ニャ~と相槌を打つ。ひょっとしてこれってテレパシーではないのか。ふだん何気なく考えていること、それは意識せずに頭のどこかに存在している無意識だ。よくふと頭に浮かんだ人から電話があったなどということはだれしも少なからず経験があるはずだ。意識せずに思い浮かんだり、考えたり悩んだり腹が立ったりと、頭に浮かんだことは、ある種の電波となって存在しているのではないか。そう考えるとその電波を受信する能力があれば、だれでもその電波を使って送受信できるはずではないのか。そう思うと、猫にしても犬にしても人の気持ちを察する感覚を特に強く持っているということになる。
 今まで不思議なことが多々あった。避妊手術をするときに、イヤだったら逃げて行きなさいといったら、本当に逃げ出して3日ほど帰ってこなかった。スタッフの鈴木さんが孫のようにあいちゃんをかわいがるので、家につれて飼いたいというから、きっとあいちゃんも喜ぶでしょうと言ったら、翌週鈴木さんが出勤する時間に姿を消して、帰ったころ姿を現した。冬は寒いからあまりかまったりしない。特に面倒くさいという気を察するのが一番強いのか、こちらがそんな態度を示そうものなら数日帰って来い。こんなことは何度も繰り返された。すべて気のせいと思っていたことが、以心伝心というように相手には伝わっていると考えたほうがどうも無難な気が最近している。それを身をもって教えてくれたが、愛猫あいちゃんだったというわけである。
 そんなことをふとスタッフに話したことから面白い話しに発展した。彼女の姉の赤ちゃんのこと、お姉さんは日頃あまり赤ちゃんを構わないそうだ。反対にご主人はよく構って一緒に遊ぶらしい。するとご主人には嬉しそうに抱っこされているのに、普段構わない母親のお姉さんが抱っこしようとすると泣き出すという。これこそまさしく普段の気持ちが子どもに伝わっている証明ではないだろうか。気は心で、すべてが相通じているということだろう。特に赤ちゃんや小さなお子さんのように純粋な年令であればあるほどその能力を強く持っていると考えたほうが自然ではないだろうか。生きるために値引きなしで母親の感情を受信しているはずだからだ。生きるための能力が生まれながらに培われている相手には自分の気持ちが伝わっている。そう考えると、誰に対しても悪いことは考えられないものである。この年になってそれに気づいただけでも幸いなことだと思っている。

3・11から一年2012.03.30

 時折同封させていただいている商品案内とは無関係な時事問題のチラシは、当店の会員様を通じてお願いされているものだ。毎月さまざまな問題を取り上げて勉強している会で、私も何度か参加させていただいたことがある。そこで偶然お会いしたのが当店会員の方だった。その会のボランティアもしているということで、特に関心の高いものを選んでその内容を知らせてくれる。今月も2枚、そのチラシを同封させていただいた。
 送られてきたチラシに主催者の方からの手紙が添えられていた。前回同封した「幸せの経済学」映画上映会に、当店から送られてきたチラシを見たといって参加してくださった方が何名かいたそうだ。高齢者ばかりだった会場に、最近は若い女性の方がたくさん参加してくれるようになったそうである。しかし会場がだんだん若返ってきたのは、原発をはじめとして、問題の本質がなんであるかがだんだん分かってきたからではないだろうか。本当のことをメディアは語ってくれない。それもそのはずである。原発の問題しかりTPPしかり消費税問題も、すべては国とスポンサー企業の意向で動いている。その意向を無視して真を問う報道をする魂のあるメディアがこの国にあるだろうか。だから情報は洪水のようにあっても役に立たない粕ばかりなのだ。マイナーな番組、インターネットや、もしくは足を運んで会場に真実を求めに行かなければ何も得られない世の中なのである。3・11以来ようやくそのからくりが白日の下にさらされることとなり、多くの方が矛盾に気がついたのだと思う。
 まだ幼い頃、両親の実家である長野の在所にしばらく預けられていたことがあった。夏の記憶があるから夏休みだったのだろうか、定かではない。子供向けの楽しい番組がやっていたはずが、毎日必ず祖母と見ていたのが水戸黄門だった。毎回お決まりのパターン、この印籠が!と言えば一件落着となるのにもかかわらず、祖母はその場面になると毎回お上がござったと言いながら涙を浮かべて見入っていた。水戸黄門といえば水戸光圀公。将軍様ではない。歴史に深い関心をいだき、全国から優れた学者を集めて編纂された「大日本史」は、やがて倒幕につながる維新の原動力となる。きっとその書物の中に答えが隠されているのだろう。その偉業が一般市民への正義の旗印になったのかもしれない。ともかく昨年その幕を閉じるまで、何と42年間放映されたのである。そして不思議なことに同じ時期始まったもう一つの高視聴率番組が「巨人の星」。この二つの番組が、どうも頭の中で磁石のように絡み合っている。キーワードは「お上」と「スポーツ」だ。別にスポーツが悪いといっているわけではない。片方でお上は正義であるという洗脳に黄門様を利用し、もう一方で強引に強い球団巨人を作り、スポーツを奨励して世情に関する関心事を「知らしめず寄らしめよ」の言葉どおり軽薄にするとしたらどうだろう。こんな詮索をしたくなるのも、道理が曲がることばかりが行われているからだ。死者が出ても警察が動かないあの福島の原子力発電所内は治外法権なのか。すぐに繰り返される健康に直ちに問題のある数値ではないとはだれが責任を持って言っているのか。責任のない連中や御用学者がしゃしゃり出てメディアですき放題しゃべっているが、誰が許可しているのか。そして責任追及すべきマスコミの対応はどうだっただろう。もはや黄門様を利用した洗脳は終わったのだ。はっと、我に気がつくと、もはやお上やら原発やらが何だったか。玉手箱のフタを開けられたのが、3・11だったのではないだろうか。
 「私どもは3・11以来、ずっと原発のことだけをやってきました。私はあと2ヶ月で75才になります。元気なうちに何としても原発を終わらせたいとあせっています。」力強く書かれていたお手紙を拝見しながら、真実を追究する気持ちに年齢は関係ないとつくづく感じた。5月には広瀬隆氏の講演会も企画されているようだ。思えば20年以上前に拝見したこの人の記事が、きょうまでずっと頭の片隅にあった。不思議なめぐり合わせである。 

意外な関係?2012.02.27

 今年に入って三日目の朝のこと、起きて歩き出したときに右足の股関節あたりが何か少し浮いたような気がした。いつものようにジョギングに出掛けようと歩き始めると、やはりその辺りに細い棒でもつっかえたような違和感を感じる。しかしさほど支障がないので変に思いながらも毎日の日課であるジョギングをこなしていた。ところが一週間もするとその部分に痛みが伴いはじめた。右足に力が入らず走ることができなくなったのだ。これはまずいと思ってしばらく様子を見ることにした。三日ほど経って、痛みがひいたためにまた軽いジョギングを再開したが、やはり徐々にその部分が痛み出す。どうもおかしいので整体など心当たりのことを行ったりしてみたが、一時的に良くなるだけで元の状態に戻ってしまった。原因は一体何だろう。頭にもこの問題がつっかえる様になり始めた一月の終わりごろ、昼食をとっている時に、硬いものが口の中を転がった。いやな予感。治療した歯の詰め物が取れたのだ。悪いことは重なるものだ。観念して一番嫌いな歯医者に行かなければならない。というのも昨年の夏ごろ、今回詰め物が取れた隣の歯、これも過去に治療したところの歯茎が膨れて痛み出し、炎症を起こしているようだったので、歯医者に行かなければと思いながら、痛みが治まったので忘れてしまっていた。
 その翌日さっそく歯医者に伺った。レントゲンの結果は、過去に治療した奥歯3本の根に異常が見られるということだった。歯茎が痛かったのはやはりその炎症のためだった。こうなったらまな板の鯉である。治療2回目はちょうど節分の日、一番悪化している歯の治療から始まった。しかし途中で手が止まって説明が始まった。ブリッジの土台にしてあったこの歯は、根まで真っ二つに裂けている可能性があり抜かなければならない。急に言われても心の整理があるだろうから次回にしても良いという。ここまで来たら付き合うしかない。早速始めてほしいとお願いした。局部麻酔を打たれてだんだん感覚が麻痺してきた。あごはガクガクしてくるし舌はどこにいるのか分からない。そうしている間にあっさりと抜かれた歯は、先生の言うとおり真ん中にひびが入って裂けていた。
 麻酔が切れてくると同時に、患部の鈍い痛みが右半身に響いてきた。一本でも歯がなくなるというのは不便である。特に奥歯は咀嚼に一番負荷がかかる。ましてや玄米食だとそれがなくなる辛さは耐え難いものがある。しばらく左側でゆっくり噛んで食べることが習慣となりそうだ。だんだん早食いの癖が戻りつつあったのでちょうど良かったかもしれない。患部の鈍痛がだんだんひいて来ると、思わぬことに気がついた。股関節のあの痛みが治まっているのだ。少し筋が張っているような感覚はあるが、歩いたり走ったりすることに、さほど支障がなくなったのだ。しかもその筋の張りは治療するごとに楽になっているように感じられる。注意して約1ヶ月ほど観察した状況である。
 体にはこのような思いもよらぬ意外な関係が山のようにあるはずだ。インターネットでは顎関節と股関節の関係が多く紹介されていた。さすがに歯を抜いたら痛みがとれた話しはなかったが、痛みのあところばかりに囚われる危険性をつくづく感じた。痛みは結果であり、もとを辿って原因がどこにあるのかを知るために、もっと自分の体との対話が必要だろう。今回はたまたま被せた歯が取れたこときっかけで、その原因を知らしてくれた。しかしこれも自分が腫れの症状を放置していたがために症状を悪化させたに過ぎない。症状即療法でその時すばやく対処をしていれば、新年早々足を引きずるようなことはなかったはずである。旧暦の新年から始まった治療が、体の警告を無視することが、結局後になって自分に帰ってくることを教えてくれるものになった。人間いつかは苦手を克服しなければならないということだろう。

生物と無生物のあいだ2012.01.27

この本の著者は、ロックフェラー大学や、ハーバード大学の医学部博士研究員という経験を持ち、そこで行われた研究や、さまざまな他の研究機関が人体の解明に迫る様子だけでなく、それを評価するノーベル賞の舞台裏にも疑問を投げかけていた。評価する側もその道の専門家なわけで、少なからず研究機関との関係があるからだ。彼らのさじ加減で、賞の行方が左右することも十分考えられる溝を残しているという。研究がもたらす恩恵と弊害、それらをさまざまな角度から問題提示してくれる内容だった。顕微鏡を通したもっともミクロな視点、そこから感じた生命という計り知れないものを、美しい旋律で表現している部分があった。そこを少しご紹介したい。
 「ちょうど波が寄せてはかえす接線ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造を持つその城はある。ときに波は、深く掌を伸ばして城壁の足元に達し、石組を模した砂粒を奪い去る。吹き付ける海風は、城の望楼の表面の乾いた砂を、薄く、しかし絶え間なく削り取っていく。ところが奇妙なことに、時間が経過しても城は姿を変えてはいない。同じ形を保ったままじっとそこにある。いや、正確にいえば、姿を変えていないように見えるだけなのだ。砂の城がその形を保っていることには理由がある。目には見えない小さな海の精霊たちが、たゆまずそして休むことなく、削れた壁に新しい砂を積み、開いた穴を埋め、崩れた場所を直しているのである。それだけではない。海の精霊たちは、むしろ波や風の先回りをして、壊れそうな場所をあえて壊し、修復と補強を率先して行っている。・・」
 この一つ一つの砂粒が一瞬たりとも同じ場所にとどまっていないように、私たちの細胞も日々生と死を繰り返されながら命を運んでいる。自然のもたらす造形が、生命と同じ事象を育んでいることを語っているのだ。食べ過ぎようが、飲みすぎようが、生の営みのために、寝ている間でも細胞は文句も言わず休む間もなく働いている。そして新しい細胞のために、役目を終える古い細胞は、自ら分解消滅し、その場所を譲るという。この人体の不思議を垣間見るだけでも生きる知恵が十分詰まっている。それを教えてくれる反面、研究は機械的に行われていく。この命の営みに対して、一つの仮説を解き明かすのに、膨大な動物達の命が捧げられているのも忘れてはならないということも付け加えられていた。
 それらの研究を踏まえ、著者は、食べ物が大きく人体形成に関係していることの重要性を説いている。身近にある食べ物を分解したたんぱく質が人体を作るからだ。日頃食べている食品が、いつの間にか遺伝子組み換えにとって代わり、さらに食品添加物などが添加されている。それが一つ一つの細胞に影響を及ぼすとどうなるだろうか。狂牛病の異型たんぱくが人に感染したヤコブ病はまだ最近の話である。この問題も解決されぬまま、遺伝子を無理やりいじくった食品が食卓を占領しつつあるのだ。これまで食べ物を単なるモノとして扱ってきたしわ寄せが、ついに私たちの命まで脅かし始めたのである。 「食物とはすべての他の生物の体の一部であり、食物を通して私たちは環境と直接つながり、交換しあっています。だから健康を考えるということは、環境のことを考えることであり、環境のことを考えるということは、自分の生命を考えるということでもあるわけです。」この短い言葉の中に、あらゆる問題の答えが凝縮されている。

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一著 講談社現代新書 「生命と食」岩波書店 福岡伸一氏講演録

台湾紀行2012.01.01

 台湾の桃園空港に着いたのは昼ごろだった。一昨年のロンドン一人旅からちょうど一年経った暮れの忙しい12月中旬のこと、また往復のエアチケットとホテルだけを予約しただけの行き当たりばったりの2泊3日の旅をした。今回も同様、彼の地で開かれるイベントに行くことが引き金となったが、そこまでの経緯にご縁を感じたのが何より気持ちを動かした。
 今回の旅行の詳細は、当店のブログにアップしておいた。というのも、始めて行く海外地では戸惑うことばかりである。言葉の不安もあるし、交通機関も行って見ないと分からないことだらけ。その最中にネット上にアップされている方々の現地情報はとても参考になった。少なからず自分が歩いた経緯もきっと誰かのお役に立つと感じたためだ。
 体調不良で出かけた旅行は過去記憶にない。実は出発する数日前から喉の具合が悪かった。異常な乾燥のせいだとたかをくくっていたのが失敗で、頻繁に咳き込むようになった。体は軽く、風邪ではなさそうだった。出発当日になって飛行機に乗り込んでも咳は出る一方。そこでようやく胃腸が原因だと気づいた。喉は胃腸の鏡という。症状即療法、すぐに断食しておけばよかったのだ。おかしいと思ったときに実行していれば、旅の最中で断食することはなかっただろう。旅行一日目は、そのまま断食。夜中まで咳き込んで寝れないほどだったが、翌朝になると症状は和らいでいた。朝食のビッフェは美味しそうな料理が所狭しと並んでいる。昔だったらこんな状態でも山ほど食べていただろう。さすがに自制心が働き、片隅にあった素食を軽く頂いた。グルテンで作られた佃煮と漬物、お粥である。昼も軽い食事で済まし、夜は一切食事を取らなかった。翌朝もホテルの素食と帰りの空港で軽い食事をとっただけである。その結果咳は止まり、帰るころには体調はほぼ万全な状態まで回復した。湿度が高くて24~5℃という気候も幸いしたが、何事も過信してはいけないこと、自分を戒める上でも教えられることの多い旅になった。
 印象に残ったことは、道中乗換えやらいろいろあって、その都度サービスセンターに駆け込んだり、駅員さんに聞いたりしたが、対応してくれた20代くらいの男性や女性は、ほとんど英語が通じた。日本語を話せる人も割りに多かった。その確率は南から北へとどの場所に行っても同じだった。年配の方は日本語が話せると聞いていたが、今回に限っては、一切お会いできなかった。20代の若い彼らは中国語、台湾語のどちらかを母国語として育ち、その上さらに2ヶ国語に通じようと努力している。この台湾の経済を支えているのは間違いなく、尽きることのない向上心だろう。過去日本の植民地となり、更にはつい最近まで同胞の中国(漢民族)に統治されていたつらい経験が支えているのだろうか。高雄から移動した台南で目にした光景が、過去歩んできた日本の風景と、妙に重なった。歩行者そっちのけで、ダンプが路上にアスファルトをひいている。それを固めているのは、年配の女性2人と男性1人。台湾はバイクの利用者が圧倒的だ。車1台に対してバイク5台は見て取れる。そんな排気ガスで煙る道路上で、もくもくと作業していた。いつか聴いた「ヨイトマケの歌」がこみあげてきた。美輪明宏が幼少時に一緒に育った友人の亡き母を回顧する歌である。この光景を見るまで忘れていた。それと同時に、なぜ美輪明宏が土方の格好で歌っていたのかよく分かった。頑張って生き抜いて、発展を遂げ、そんな地面に不自由なく立って育った我々の世代は、文句は一人前に言うが、それまで下支えした人達に感謝したことがあるだろうか。発展の影で、見失いそうになるものを見つけられるのも、海外へ出かける良さかもしれない。

「父ちゃんのためなら エンヤコラ 母ちゃんのためなら エンヤコラ もひとつおまけに エンヤコラ
今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守唄 工事現場の昼休み たばこふかして
目を閉じりゃ 聞こえてくるよ あの唄が 働く土方の あの唄が 貧しい土方の あの唄が 」

年の瀬に2011.12.01

 かれこれ3ヶ月ほど前のことになる。一通のメールがホームページから舞い込んだ。「ずいぶん大人になったなぁ」差出人は、ケンとある。一体誰だ?。心当たりを探ったが、この名前に関連する人物が浮かんでこない。気にはなるけど思いつかないから忘れてしまっていた。それからしばらく経って、一本の電話に出た。その声を聞いてピンと来た。メールの差出人だと直感的に思った。
 その方との出会いは20年ほど前にさかのぼる。そのころハガキ道というものにはまっていた。ハガキを書くことによって人生が大きく変わったという坂田道信さんの講演を聞いたことがきっかけである。「義務教育を終えた者なら、最低三つのことは実行しなさい。一つは、あいさつ。もう一つは、お辞儀。三つめは、ハガキを書くこと。」という知多半島出身の哲学者である森信三氏の言葉を話されたのがとても印象に残っている。ハガキを書くことくらいで人生が変わるならやってみようと、簡単な気持ちで始めたのだが、いざ書こうとすると、書こうとする相手も浮かばないなら文章も出てこない。気持ちを伝えたい相手がいなければ書くことはできないのである。そんな中、ハガキ祭りがあるとの情報を聞いて参加することにした。河口湖で開かれたそのお祭りは、大勢の人でにぎわっていた。ハガキ一枚のことでどうしてこんなに盛り上がるのか、不思議でならなかったが、多くの方がハガキを通して出会い、さらにハガキを通して再会しているのだ。酒宴も催され、大いに盛り上がったのはいいが、翌日は二日酔いでふらふらになっていた。そんな最中声をかけてくれたのが先ほどの声の主であるK氏だった。健康に関する豊富な知識を持っていて、その場で呼吸法を教えていただき、吐き気が止まったのには驚いた。それからというものハガキの往来は頻繁になり、ご自宅へも招かれるなど親しいお付き合いへと発展したのだった。
 ところが10年ほど前、急に音信が途絶えた。それ以前から予兆はあった。不整脈に悩まされるようになったK氏に対して、西式健康法をお勧めしたのだが、その頃は、自分が分かっていなかったため、相談にものれなかった。良いのは分かるがなぜ良いのか伝えることができない。これは単に自分が体得していないというだけのことだ。そのことで信用を失ったのである。なぜ、親しくしていた間柄でこちらから連絡できなかったか、ハガキの一枚かけなかったのか。自分自身のそのことに対する負い目があったからだ。
 時折かすれる声の具合で、体の悲痛さが伝わってきた。それでも長年の空洞を埋めるかのように延々と話しは続いた。先に出た「ケン」という名も、氏のペンネームだと言うことがわかった。数年前、心筋梗塞をおこして死にかけたこと、不整脈は日に日にひどくなるなど、まるで10年前の再現のようである。ひとしきり今の体の状態と、どうすれば改善できるのかを話したところ、聞く耳を持っていなかった一方的な語り口がぴたっと止まった。今度で2度目だが、あなたに賭けてみるといった声には力がみなぎっていた。しかし、それからというもの毎日のように恨み節の電話がかかってきた。精神安定剤などの薬も長期にわたって飲んでいたから、止めたらそれを求める体の声は悲痛に違いない。一番驚いたのは、今生のお別れに一度会いたいといわれたことだ。自分の体は自分が一番よく知っているから、もう長くないだろうと言うのである。スタッフに店を任せて急ぎK氏宅へ向かったのが先月中旬のことだった。
 このところ音信がない。気になって電話をしたところ、「便りがないのは元気な証拠」と、切って返された。今生の別れといったのはどこの誰だか知らないが、今は毎日、3時半には起きて裸療法、西式体操、そして温冷浴をこなしているという。食事は玄米菜食である。昭和11年生まれ、私の父親と同い年のK氏は、体は労わった分だけ答えてくれることを証明して見せてくれた。労わるとは動かすことである。やっと胸の霧が晴れた瞬間だった。

喰う2011.10.29

 2年ほど前からツイッターをしている。鳥がさえずるのを英語でツイートと言い、それが「つぶやき」と意訳されたので、ネット上でつぶやく人達といった意味になるだろう。自分のつぶやきを投稿したり、個々の利用者のつぶやきを閲覧できるコミュニケーション・サービスである。自分がこの人だと思う人を探してフォローすれば、勝手にその人のつぶやきを見ることができる。ちなみに私は一時期オバマ大統領をフォローしたことがあった(笑)。逆に自分がフォローされると、相手に自分のつぶやきが公開されることになる。国境のないあらゆる言語のつぶやきが集まる情報サイトである。限られた文字数(140字)の中で繰り広げられる情報交換、そのつぶやきが、時に人を動かすこともある。
 当初は好きな外国人アーチストをフォローして半分英語の勉強と思って始めた。翻訳ソフトと検索サイトを駆使しての意訳と英文作成、始めは恐々つぶやいていた。しかしだんだん慣れてくると楽しくなるものだ。いつしか日課となっていた。フォローする人が増えていくうちに交流が始まり、アムステルダムやニュージーランド、ロンドンなどにその輪は広がっていた。普通では体験できないことが、パソコンや携帯で手軽にできる時代なのである。アメリカ全土に広がろうとしているデモや、世界各国でおこっている民主化の波が大きくうねりを上げているのも、メディアが報じない情報を、簡単に入手できることはもちろんの事、そこで交流が始まるからだろう。
 大震災の最中、メディアから流れる情報が極端に偏っている中でもインターネット上ではさまざまな情報が飛び交っていた。その中で偶然にも目を引いたのが「正しく恐れる」ための放射線知識と題した日経ビジネスオンラインの伊東乾さんの記事だった。だれにでも分かりやすく解説している原発事故の記事は、数少ない貴重な情報源となった。しかも読者に対して疑問や不安に思うことはツイッターへと導いていたので当然多く相談が寄せられていたが、それにも丁寧に答えられていた。これこそ、その時自分に一体なにができるかを考えて実践されている一つの姿だろう。その真摯な姿に共感を持ったことはもちろんのこと、驚いたのは経歴だった。当初大学の先生か研究者だと思っていたのだが、なんと音楽家!作曲家であり指揮者だった。東京大学大学院物理学専攻修士課程とあるから、原子力工学にも精通しているため、必要な情報を必要な時、しかも分かりやすく配信してくれていたのだ。この方をフォローしたのは言うまでもない。今までに何度かツイートの交換をさせていただいたり、最近出された著書を拝見しながらふと感じたこと、それは学問を修めるという意味を知ったことだ。今まで考えたこともなかった。はたして自分は自信を持って正確に人に伝えられることのできる何かを持っているだろうか。勉強しただけでは、難しい話しを理解させることは困難だろう。修めるからこそ、紐解いて話しもできれば専門的にも語れるのである。本来学問とは修めるものであり、そのために勉強するものなのだ。
 10月中旬、秋の紅葉が遠く感じられる景色を見ながら伊丹駅に降りた。伊東乾さんが音楽を担当する劇団態変の「喰う」に参席するためだ。「今ご一緒している態変は役者全員重度の身障者で動けない人、手や足がない人などいろんな人の動きを生で感じながらその場でピアノを弾いています」というツイートが脳裏から離れなかった。柔らかな音色にあわせて演技が始まると、今まで見たことのない世界に引き込まれた自分がいた。障害をさらけ出しながら、四肢を使った力強い動きが披露されて行く。自分の弱みをあけっぴろげに表現することで自身を解放しているかのようだった。誰もが大なり小なり弱みを抱えて生きている。死ぬまでそれを抱えていけるのだろうか。この人達は、大きなリスクを抱えながら、そのリスクを向き合うことで、それを解消している。四肢を精一杯動かして表現をしながら、身体のリハビリをしている。きれいごとではないのだ。不自由な手足を動かすことは並大抵のことではない。しかし辛いからといって動かさなければ体は動きを失い、鉄のオブジェのようになる。そう思わせる2つのオブジェにぶつかりながら、交わしながらも進んでいく。それが今、生きているということなんだ。そう心に響いてきた。ピアノの音色が、オレンジ色の光となってやさしく彼らに降り注いでいた。


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