ヘルシングあい便り

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3・11から一年2012.03.30

 時折同封させていただいている商品案内とは無関係な時事問題のチラシは、当店の会員様を通じてお願いされているものだ。毎月さまざまな問題を取り上げて勉強している会で、私も何度か参加させていただいたことがある。そこで偶然お会いしたのが当店会員の方だった。その会のボランティアもしているということで、特に関心の高いものを選んでその内容を知らせてくれる。今月も2枚、そのチラシを同封させていただいた。
 送られてきたチラシに主催者の方からの手紙が添えられていた。前回同封した「幸せの経済学」映画上映会に、当店から送られてきたチラシを見たといって参加してくださった方が何名かいたそうだ。高齢者ばかりだった会場に、最近は若い女性の方がたくさん参加してくれるようになったそうである。しかし会場がだんだん若返ってきたのは、原発をはじめとして、問題の本質がなんであるかがだんだん分かってきたからではないだろうか。本当のことをメディアは語ってくれない。それもそのはずである。原発の問題しかりTPPしかり消費税問題も、すべては国とスポンサー企業の意向で動いている。その意向を無視して真を問う報道をする魂のあるメディアがこの国にあるだろうか。だから情報は洪水のようにあっても役に立たない粕ばかりなのだ。マイナーな番組、インターネットや、もしくは足を運んで会場に真実を求めに行かなければ何も得られない世の中なのである。3・11以来ようやくそのからくりが白日の下にさらされることとなり、多くの方が矛盾に気がついたのだと思う。
 まだ幼い頃、両親の実家である長野の在所にしばらく預けられていたことがあった。夏の記憶があるから夏休みだったのだろうか、定かではない。子供向けの楽しい番組がやっていたはずが、毎日必ず祖母と見ていたのが水戸黄門だった。毎回お決まりのパターン、この印籠が!と言えば一件落着となるのにもかかわらず、祖母はその場面になると毎回お上がござったと言いながら涙を浮かべて見入っていた。水戸黄門といえば水戸光圀公。将軍様ではない。歴史に深い関心をいだき、全国から優れた学者を集めて編纂された「大日本史」は、やがて倒幕につながる維新の原動力となる。きっとその書物の中に答えが隠されているのだろう。その偉業が一般市民への正義の旗印になったのかもしれない。ともかく昨年その幕を閉じるまで、何と42年間放映されたのである。そして不思議なことに同じ時期始まったもう一つの高視聴率番組が「巨人の星」。この二つの番組が、どうも頭の中で磁石のように絡み合っている。キーワードは「お上」と「スポーツ」だ。別にスポーツが悪いといっているわけではない。片方でお上は正義であるという洗脳に黄門様を利用し、もう一方で強引に強い球団巨人を作り、スポーツを奨励して世情に関する関心事を「知らしめず寄らしめよ」の言葉どおり軽薄にするとしたらどうだろう。こんな詮索をしたくなるのも、道理が曲がることばかりが行われているからだ。死者が出ても警察が動かないあの福島の原子力発電所内は治外法権なのか。すぐに繰り返される健康に直ちに問題のある数値ではないとはだれが責任を持って言っているのか。責任のない連中や御用学者がしゃしゃり出てメディアですき放題しゃべっているが、誰が許可しているのか。そして責任追及すべきマスコミの対応はどうだっただろう。もはや黄門様を利用した洗脳は終わったのだ。はっと、我に気がつくと、もはやお上やら原発やらが何だったか。玉手箱のフタを開けられたのが、3・11だったのではないだろうか。
 「私どもは3・11以来、ずっと原発のことだけをやってきました。私はあと2ヶ月で75才になります。元気なうちに何としても原発を終わらせたいとあせっています。」力強く書かれていたお手紙を拝見しながら、真実を追究する気持ちに年齢は関係ないとつくづく感じた。5月には広瀬隆氏の講演会も企画されているようだ。思えば20年以上前に拝見したこの人の記事が、きょうまでずっと頭の片隅にあった。不思議なめぐり合わせである。 

意外な関係?2012.02.27

 今年に入って三日目の朝のこと、起きて歩き出したときに右足の股関節あたりが何か少し浮いたような気がした。いつものようにジョギングに出掛けようと歩き始めると、やはりその辺りに細い棒でもつっかえたような違和感を感じる。しかしさほど支障がないので変に思いながらも毎日の日課であるジョギングをこなしていた。ところが一週間もするとその部分に痛みが伴いはじめた。右足に力が入らず走ることができなくなったのだ。これはまずいと思ってしばらく様子を見ることにした。三日ほど経って、痛みがひいたためにまた軽いジョギングを再開したが、やはり徐々にその部分が痛み出す。どうもおかしいので整体など心当たりのことを行ったりしてみたが、一時的に良くなるだけで元の状態に戻ってしまった。原因は一体何だろう。頭にもこの問題がつっかえる様になり始めた一月の終わりごろ、昼食をとっている時に、硬いものが口の中を転がった。いやな予感。治療した歯の詰め物が取れたのだ。悪いことは重なるものだ。観念して一番嫌いな歯医者に行かなければならない。というのも昨年の夏ごろ、今回詰め物が取れた隣の歯、これも過去に治療したところの歯茎が膨れて痛み出し、炎症を起こしているようだったので、歯医者に行かなければと思いながら、痛みが治まったので忘れてしまっていた。
 その翌日さっそく歯医者に伺った。レントゲンの結果は、過去に治療した奥歯3本の根に異常が見られるということだった。歯茎が痛かったのはやはりその炎症のためだった。こうなったらまな板の鯉である。治療2回目はちょうど節分の日、一番悪化している歯の治療から始まった。しかし途中で手が止まって説明が始まった。ブリッジの土台にしてあったこの歯は、根まで真っ二つに裂けている可能性があり抜かなければならない。急に言われても心の整理があるだろうから次回にしても良いという。ここまで来たら付き合うしかない。早速始めてほしいとお願いした。局部麻酔を打たれてだんだん感覚が麻痺してきた。あごはガクガクしてくるし舌はどこにいるのか分からない。そうしている間にあっさりと抜かれた歯は、先生の言うとおり真ん中にひびが入って裂けていた。
 麻酔が切れてくると同時に、患部の鈍い痛みが右半身に響いてきた。一本でも歯がなくなるというのは不便である。特に奥歯は咀嚼に一番負荷がかかる。ましてや玄米食だとそれがなくなる辛さは耐え難いものがある。しばらく左側でゆっくり噛んで食べることが習慣となりそうだ。だんだん早食いの癖が戻りつつあったのでちょうど良かったかもしれない。患部の鈍痛がだんだんひいて来ると、思わぬことに気がついた。股関節のあの痛みが治まっているのだ。少し筋が張っているような感覚はあるが、歩いたり走ったりすることに、さほど支障がなくなったのだ。しかもその筋の張りは治療するごとに楽になっているように感じられる。注意して約1ヶ月ほど観察した状況である。
 体にはこのような思いもよらぬ意外な関係が山のようにあるはずだ。インターネットでは顎関節と股関節の関係が多く紹介されていた。さすがに歯を抜いたら痛みがとれた話しはなかったが、痛みのあところばかりに囚われる危険性をつくづく感じた。痛みは結果であり、もとを辿って原因がどこにあるのかを知るために、もっと自分の体との対話が必要だろう。今回はたまたま被せた歯が取れたこときっかけで、その原因を知らしてくれた。しかしこれも自分が腫れの症状を放置していたがために症状を悪化させたに過ぎない。症状即療法でその時すばやく対処をしていれば、新年早々足を引きずるようなことはなかったはずである。旧暦の新年から始まった治療が、体の警告を無視することが、結局後になって自分に帰ってくることを教えてくれるものになった。人間いつかは苦手を克服しなければならないということだろう。

生物と無生物のあいだ2012.01.27

この本の著者は、ロックフェラー大学や、ハーバード大学の医学部博士研究員という経験を持ち、そこで行われた研究や、さまざまな他の研究機関が人体の解明に迫る様子だけでなく、それを評価するノーベル賞の舞台裏にも疑問を投げかけていた。評価する側もその道の専門家なわけで、少なからず研究機関との関係があるからだ。彼らのさじ加減で、賞の行方が左右することも十分考えられる溝を残しているという。研究がもたらす恩恵と弊害、それらをさまざまな角度から問題提示してくれる内容だった。顕微鏡を通したもっともミクロな視点、そこから感じた生命という計り知れないものを、美しい旋律で表現している部分があった。そこを少しご紹介したい。
 「ちょうど波が寄せてはかえす接線ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造を持つその城はある。ときに波は、深く掌を伸ばして城壁の足元に達し、石組を模した砂粒を奪い去る。吹き付ける海風は、城の望楼の表面の乾いた砂を、薄く、しかし絶え間なく削り取っていく。ところが奇妙なことに、時間が経過しても城は姿を変えてはいない。同じ形を保ったままじっとそこにある。いや、正確にいえば、姿を変えていないように見えるだけなのだ。砂の城がその形を保っていることには理由がある。目には見えない小さな海の精霊たちが、たゆまずそして休むことなく、削れた壁に新しい砂を積み、開いた穴を埋め、崩れた場所を直しているのである。それだけではない。海の精霊たちは、むしろ波や風の先回りをして、壊れそうな場所をあえて壊し、修復と補強を率先して行っている。・・」
 この一つ一つの砂粒が一瞬たりとも同じ場所にとどまっていないように、私たちの細胞も日々生と死を繰り返されながら命を運んでいる。自然のもたらす造形が、生命と同じ事象を育んでいることを語っているのだ。食べ過ぎようが、飲みすぎようが、生の営みのために、寝ている間でも細胞は文句も言わず休む間もなく働いている。そして新しい細胞のために、役目を終える古い細胞は、自ら分解消滅し、その場所を譲るという。この人体の不思議を垣間見るだけでも生きる知恵が十分詰まっている。それを教えてくれる反面、研究は機械的に行われていく。この命の営みに対して、一つの仮説を解き明かすのに、膨大な動物達の命が捧げられているのも忘れてはならないということも付け加えられていた。
 それらの研究を踏まえ、著者は、食べ物が大きく人体形成に関係していることの重要性を説いている。身近にある食べ物を分解したたんぱく質が人体を作るからだ。日頃食べている食品が、いつの間にか遺伝子組み換えにとって代わり、さらに食品添加物などが添加されている。それが一つ一つの細胞に影響を及ぼすとどうなるだろうか。狂牛病の異型たんぱくが人に感染したヤコブ病はまだ最近の話である。この問題も解決されぬまま、遺伝子を無理やりいじくった食品が食卓を占領しつつあるのだ。これまで食べ物を単なるモノとして扱ってきたしわ寄せが、ついに私たちの命まで脅かし始めたのである。 「食物とはすべての他の生物の体の一部であり、食物を通して私たちは環境と直接つながり、交換しあっています。だから健康を考えるということは、環境のことを考えることであり、環境のことを考えるということは、自分の生命を考えるということでもあるわけです。」この短い言葉の中に、あらゆる問題の答えが凝縮されている。

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一著 講談社現代新書 「生命と食」岩波書店 福岡伸一氏講演録

台湾紀行2012.01.01

 台湾の桃園空港に着いたのは昼ごろだった。一昨年のロンドン一人旅からちょうど一年経った暮れの忙しい12月中旬のこと、また往復のエアチケットとホテルだけを予約しただけの行き当たりばったりの2泊3日の旅をした。今回も同様、彼の地で開かれるイベントに行くことが引き金となったが、そこまでの経緯にご縁を感じたのが何より気持ちを動かした。
 今回の旅行の詳細は、当店のブログにアップしておいた。というのも、始めて行く海外地では戸惑うことばかりである。言葉の不安もあるし、交通機関も行って見ないと分からないことだらけ。その最中にネット上にアップされている方々の現地情報はとても参考になった。少なからず自分が歩いた経緯もきっと誰かのお役に立つと感じたためだ。
 体調不良で出かけた旅行は過去記憶にない。実は出発する数日前から喉の具合が悪かった。異常な乾燥のせいだとたかをくくっていたのが失敗で、頻繁に咳き込むようになった。体は軽く、風邪ではなさそうだった。出発当日になって飛行機に乗り込んでも咳は出る一方。そこでようやく胃腸が原因だと気づいた。喉は胃腸の鏡という。症状即療法、すぐに断食しておけばよかったのだ。おかしいと思ったときに実行していれば、旅の最中で断食することはなかっただろう。旅行一日目は、そのまま断食。夜中まで咳き込んで寝れないほどだったが、翌朝になると症状は和らいでいた。朝食のビッフェは美味しそうな料理が所狭しと並んでいる。昔だったらこんな状態でも山ほど食べていただろう。さすがに自制心が働き、片隅にあった素食を軽く頂いた。グルテンで作られた佃煮と漬物、お粥である。昼も軽い食事で済まし、夜は一切食事を取らなかった。翌朝もホテルの素食と帰りの空港で軽い食事をとっただけである。その結果咳は止まり、帰るころには体調はほぼ万全な状態まで回復した。湿度が高くて24~5℃という気候も幸いしたが、何事も過信してはいけないこと、自分を戒める上でも教えられることの多い旅になった。
 印象に残ったことは、道中乗換えやらいろいろあって、その都度サービスセンターに駆け込んだり、駅員さんに聞いたりしたが、対応してくれた20代くらいの男性や女性は、ほとんど英語が通じた。日本語を話せる人も割りに多かった。その確率は南から北へとどの場所に行っても同じだった。年配の方は日本語が話せると聞いていたが、今回に限っては、一切お会いできなかった。20代の若い彼らは中国語、台湾語のどちらかを母国語として育ち、その上さらに2ヶ国語に通じようと努力している。この台湾の経済を支えているのは間違いなく、尽きることのない向上心だろう。過去日本の植民地となり、更にはつい最近まで同胞の中国(漢民族)に統治されていたつらい経験が支えているのだろうか。高雄から移動した台南で目にした光景が、過去歩んできた日本の風景と、妙に重なった。歩行者そっちのけで、ダンプが路上にアスファルトをひいている。それを固めているのは、年配の女性2人と男性1人。台湾はバイクの利用者が圧倒的だ。車1台に対してバイク5台は見て取れる。そんな排気ガスで煙る道路上で、もくもくと作業していた。いつか聴いた「ヨイトマケの歌」がこみあげてきた。美輪明宏が幼少時に一緒に育った友人の亡き母を回顧する歌である。この光景を見るまで忘れていた。それと同時に、なぜ美輪明宏が土方の格好で歌っていたのかよく分かった。頑張って生き抜いて、発展を遂げ、そんな地面に不自由なく立って育った我々の世代は、文句は一人前に言うが、それまで下支えした人達に感謝したことがあるだろうか。発展の影で、見失いそうになるものを見つけられるのも、海外へ出かける良さかもしれない。

「父ちゃんのためなら エンヤコラ 母ちゃんのためなら エンヤコラ もひとつおまけに エンヤコラ
今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守唄 工事現場の昼休み たばこふかして
目を閉じりゃ 聞こえてくるよ あの唄が 働く土方の あの唄が 貧しい土方の あの唄が 」

年の瀬に2011.12.01

 かれこれ3ヶ月ほど前のことになる。一通のメールがホームページから舞い込んだ。「ずいぶん大人になったなぁ」差出人は、ケンとある。一体誰だ?。心当たりを探ったが、この名前に関連する人物が浮かんでこない。気にはなるけど思いつかないから忘れてしまっていた。それからしばらく経って、一本の電話に出た。その声を聞いてピンと来た。メールの差出人だと直感的に思った。
 その方との出会いは20年ほど前にさかのぼる。そのころハガキ道というものにはまっていた。ハガキを書くことによって人生が大きく変わったという坂田道信さんの講演を聞いたことがきっかけである。「義務教育を終えた者なら、最低三つのことは実行しなさい。一つは、あいさつ。もう一つは、お辞儀。三つめは、ハガキを書くこと。」という知多半島出身の哲学者である森信三氏の言葉を話されたのがとても印象に残っている。ハガキを書くことくらいで人生が変わるならやってみようと、簡単な気持ちで始めたのだが、いざ書こうとすると、書こうとする相手も浮かばないなら文章も出てこない。気持ちを伝えたい相手がいなければ書くことはできないのである。そんな中、ハガキ祭りがあるとの情報を聞いて参加することにした。河口湖で開かれたそのお祭りは、大勢の人でにぎわっていた。ハガキ一枚のことでどうしてこんなに盛り上がるのか、不思議でならなかったが、多くの方がハガキを通して出会い、さらにハガキを通して再会しているのだ。酒宴も催され、大いに盛り上がったのはいいが、翌日は二日酔いでふらふらになっていた。そんな最中声をかけてくれたのが先ほどの声の主であるK氏だった。健康に関する豊富な知識を持っていて、その場で呼吸法を教えていただき、吐き気が止まったのには驚いた。それからというものハガキの往来は頻繁になり、ご自宅へも招かれるなど親しいお付き合いへと発展したのだった。
 ところが10年ほど前、急に音信が途絶えた。それ以前から予兆はあった。不整脈に悩まされるようになったK氏に対して、西式健康法をお勧めしたのだが、その頃は、自分が分かっていなかったため、相談にものれなかった。良いのは分かるがなぜ良いのか伝えることができない。これは単に自分が体得していないというだけのことだ。そのことで信用を失ったのである。なぜ、親しくしていた間柄でこちらから連絡できなかったか、ハガキの一枚かけなかったのか。自分自身のそのことに対する負い目があったからだ。
 時折かすれる声の具合で、体の悲痛さが伝わってきた。それでも長年の空洞を埋めるかのように延々と話しは続いた。先に出た「ケン」という名も、氏のペンネームだと言うことがわかった。数年前、心筋梗塞をおこして死にかけたこと、不整脈は日に日にひどくなるなど、まるで10年前の再現のようである。ひとしきり今の体の状態と、どうすれば改善できるのかを話したところ、聞く耳を持っていなかった一方的な語り口がぴたっと止まった。今度で2度目だが、あなたに賭けてみるといった声には力がみなぎっていた。しかし、それからというもの毎日のように恨み節の電話がかかってきた。精神安定剤などの薬も長期にわたって飲んでいたから、止めたらそれを求める体の声は悲痛に違いない。一番驚いたのは、今生のお別れに一度会いたいといわれたことだ。自分の体は自分が一番よく知っているから、もう長くないだろうと言うのである。スタッフに店を任せて急ぎK氏宅へ向かったのが先月中旬のことだった。
 このところ音信がない。気になって電話をしたところ、「便りがないのは元気な証拠」と、切って返された。今生の別れといったのはどこの誰だか知らないが、今は毎日、3時半には起きて裸療法、西式体操、そして温冷浴をこなしているという。食事は玄米菜食である。昭和11年生まれ、私の父親と同い年のK氏は、体は労わった分だけ答えてくれることを証明して見せてくれた。労わるとは動かすことである。やっと胸の霧が晴れた瞬間だった。

喰う2011.10.29

 2年ほど前からツイッターをしている。鳥がさえずるのを英語でツイートと言い、それが「つぶやき」と意訳されたので、ネット上でつぶやく人達といった意味になるだろう。自分のつぶやきを投稿したり、個々の利用者のつぶやきを閲覧できるコミュニケーション・サービスである。自分がこの人だと思う人を探してフォローすれば、勝手にその人のつぶやきを見ることができる。ちなみに私は一時期オバマ大統領をフォローしたことがあった(笑)。逆に自分がフォローされると、相手に自分のつぶやきが公開されることになる。国境のないあらゆる言語のつぶやきが集まる情報サイトである。限られた文字数(140字)の中で繰り広げられる情報交換、そのつぶやきが、時に人を動かすこともある。
 当初は好きな外国人アーチストをフォローして半分英語の勉強と思って始めた。翻訳ソフトと検索サイトを駆使しての意訳と英文作成、始めは恐々つぶやいていた。しかしだんだん慣れてくると楽しくなるものだ。いつしか日課となっていた。フォローする人が増えていくうちに交流が始まり、アムステルダムやニュージーランド、ロンドンなどにその輪は広がっていた。普通では体験できないことが、パソコンや携帯で手軽にできる時代なのである。アメリカ全土に広がろうとしているデモや、世界各国でおこっている民主化の波が大きくうねりを上げているのも、メディアが報じない情報を、簡単に入手できることはもちろんの事、そこで交流が始まるからだろう。
 大震災の最中、メディアから流れる情報が極端に偏っている中でもインターネット上ではさまざまな情報が飛び交っていた。その中で偶然にも目を引いたのが「正しく恐れる」ための放射線知識と題した日経ビジネスオンラインの伊東乾さんの記事だった。だれにでも分かりやすく解説している原発事故の記事は、数少ない貴重な情報源となった。しかも読者に対して疑問や不安に思うことはツイッターへと導いていたので当然多く相談が寄せられていたが、それにも丁寧に答えられていた。これこそ、その時自分に一体なにができるかを考えて実践されている一つの姿だろう。その真摯な姿に共感を持ったことはもちろんのこと、驚いたのは経歴だった。当初大学の先生か研究者だと思っていたのだが、なんと音楽家!作曲家であり指揮者だった。東京大学大学院物理学専攻修士課程とあるから、原子力工学にも精通しているため、必要な情報を必要な時、しかも分かりやすく配信してくれていたのだ。この方をフォローしたのは言うまでもない。今までに何度かツイートの交換をさせていただいたり、最近出された著書を拝見しながらふと感じたこと、それは学問を修めるという意味を知ったことだ。今まで考えたこともなかった。はたして自分は自信を持って正確に人に伝えられることのできる何かを持っているだろうか。勉強しただけでは、難しい話しを理解させることは困難だろう。修めるからこそ、紐解いて話しもできれば専門的にも語れるのである。本来学問とは修めるものであり、そのために勉強するものなのだ。
 10月中旬、秋の紅葉が遠く感じられる景色を見ながら伊丹駅に降りた。伊東乾さんが音楽を担当する劇団態変の「喰う」に参席するためだ。「今ご一緒している態変は役者全員重度の身障者で動けない人、手や足がない人などいろんな人の動きを生で感じながらその場でピアノを弾いています」というツイートが脳裏から離れなかった。柔らかな音色にあわせて演技が始まると、今まで見たことのない世界に引き込まれた自分がいた。障害をさらけ出しながら、四肢を使った力強い動きが披露されて行く。自分の弱みをあけっぴろげに表現することで自身を解放しているかのようだった。誰もが大なり小なり弱みを抱えて生きている。死ぬまでそれを抱えていけるのだろうか。この人達は、大きなリスクを抱えながら、そのリスクを向き合うことで、それを解消している。四肢を精一杯動かして表現をしながら、身体のリハビリをしている。きれいごとではないのだ。不自由な手足を動かすことは並大抵のことではない。しかし辛いからといって動かさなければ体は動きを失い、鉄のオブジェのようになる。そう思わせる2つのオブジェにぶつかりながら、交わしながらも進んでいく。それが今、生きているということなんだ。そう心に響いてきた。ピアノの音色が、オレンジ色の光となってやさしく彼らに降り注いでいた。


もう一つの中日巨人戦2011.09.27

 過去に巨人の連覇をことごとく阻んだチームと言えば、地元の中日ドラゴンズだ。先日、落合監督の退団が発表されたが、今年も堂々2位につけている。辞めるのを惜しむ声が方々から聞こえるのも無理はない。思えば私はいつから中日のファンになったのだろう。きっと物心がついたときからに違いない。狂ったような父親の応援の影響以外には考えられないのだ。でもなぜ、だれもがあこがれた王や長島率いる巨人が好きにならなかったのか。もっと言うと、巨人さえ負ければ良いと思うほどアンチになっていたことが不思議でならない。憎いほど強いという言葉があるが、きっとかつての巨人は、子どもがそう思うくらい強かったのかもしれない。幼い頃の記憶を辿っていくと、違った意味で現在の現象が当てはまっているのを感じる、
 なぜ、巨人は憎いほど強かったのか。子どもの頃、テレビで釘付けだったアニメと言えば、巨人の星である。だれもが一度は将来野球選手になりたいと思ったに違いない。それも巨人のユニフォームを着る夢だ。自由競争で勝ち取った選手を揃えて9連覇を成し遂げた強いチームに憧れを持つのは当然である。強いチームにはファンがつく。周りは巨人ファンが多かった。それに拍車をかけたのがこのマンガだろう。当時、週間読売に連載され、さらに読売テレビでテレビアニメ化され、その映像は十分すぎるほど誰の目にも焼きついたのだ。それに対する反発は、きっと自然の作用に違いない。ドラフト制度ができて戦力が均衡になった。ところが、強者は永遠に強者でいなければならない事情があるらしい。そのドラフト制度という約束事を犯してまで選手を獲得しようとした江川事件である。この交渉権が認められなければ新リーグを作ると子どものようにダダをこねた話しは有名だ。その人物こそ、原発を日本に持ち込んだとされる正力松太郎氏を父に持つ、当時の巨人のオーナーで、氏の長男である。ここまで話しが進んでくると、何が言いたいのか分かっていただけるかもしれない。誇張が入るのをお許し願いたい。巨人は、強くなければいけなかったのである。それが読売新聞の発行部数につながり、テレビの視聴率につながっていったのだ。高度経済成長期の経済の強さと巨人は一体だったのだ。現在の読売新聞の発行部数は、約一千万部、その強さをバックに、原発推進を公然と言い始めた。ようやく正体を現したのだ。永田町を取り巻く記者クラブやメディアは、大臣の失言一つで攻め立てて辞めさせることなどわけのないことを明らかにした。電力をめぐっての仁義なき戦いは、国民に選ばれた大臣をこけ落とすことを厭わないのである。それも日本人がマスコミの報道に対して60%以上の信頼を置いているという数字に基づいているからやれるのである。一方、アメリカではマスコミへの信頼度は30%程度だと聞く。日本では、マスコミがひと言、「悪」といったら、そうかな?と思ってしまう人が単純に過半数に及ぶのだから、やるせないが民主主義では仕方がないのである。
  9月19日、震災6ヶ月目の節目に、大江健三郎氏が中心となって「さようなら原発5万人集会」が東京の明治公園で開かれ、約6万人が参加したという。このニュースを大きく取り上げたのは、地元中日新聞、そして東京本社(東京新聞)である(読売は一切掲載がなかったらしい)。脱原発を早々に掲げた数少ない新聞社だ。発行部数約350万部は、読売、朝日に次ぐ。地元の根強いファンに守られているがゆえ、スポンサーの影響も少ないのだろう。購読者が本当に知りたい情報を提供していると感じる。それでも読売の購読者の半分にも満たないのである。食べ物しかり、電化製品しかり、新聞もしかり、企業を買い支えているのは、私たち一人一人なのである。その一人一人の選択が、私たちの未来を決めていく。もう一つの中日巨人戦はすでに始まっている。正直者が馬鹿を見ない世の中のために、もう一度身の周りのものを見渡してみる数少ない機会を私たちは与えられていると感じる。
 先日、「降りて行く行き方」を一年ぶりに見た。「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから始まる」という言葉が深く胸に刻まれた。

リマクッキングスクール(初級講座)へ2011.08.28

 去年から頭をかすめていたことがある。ここ数年で、自分の味覚ははっきり変わった。その味覚を変えさせたのは、カフェで作るスタッフの料理だ。15年もほぼ同じ食材や調味料を使ってきて、今更ながらに思うのだから間違いない。そこで、これほど体調が良くなる料理法があるなら一度学んでみたいという思いが強くなってきたことである。実際に作ることで体感することは沢山ある気がするのだ。しかし、思いはあってもこればかりは状況が許さない限り難しいと思っていた。ところが、お盆をはさんで約1週間の初級料理講座が大阪で開かれるという。店を留守するにするのは4日間だが、心温かいスタッフ皆の協力もあって、開店以来始めて長期の休みをとって参加することができた。
  「人間一生の吉凶は皆ただその人の飲食による。恐るべきは飲食である。慎むべきは飲食である。」この端的に真理をあらわす言葉は食養家であり日本一の観相家といわれた水野南北が語ったとされている。出来そうでできない重々しい言葉だが、飲食というまさにこの単純作業の繰り返しが、人に与えられた唯一の自由なのではないだろうかとつくづく思うのだ。お金を持っている人でもそうでない人でも、美食しようが、粗食にしようが、食事だけは誰にとやかく言われることはない。自らの選択で自分の身を養っているのである。しかし一生にすると膨大になるその日の一食一食が、健康な生活を送れるかどうかの大きなカギを握っているとしたらどうだろう。この平等にある自由な権利のふるまいで、一生の吉凶が決まるのは当然であり、運命など、誰恨むことない自分自身が決めていることになる。
 集中して勉強するのは何年ぶりだろうか。さすがに慣れないことに体がついていけないのか、もしくは学生時代の癖が残っているのか、初日から頻繁に襲われた睡魔には閉口した。しかしこれも意味のあることだったことに後で気づいた。圧力釜、土鍋、電気釜による玄米の炊き方や、穀物7:副菜3の割合で作る一汁一菜。そして食材と向き合うことは、食材が持つ香り、味、変化、音、無意識、という五感を使う。そうすると、今までにない感覚が、体に芽生えてくるのが分かった。生きることに一番直結する感覚を体験してるのである。基本を2日間しっかり体験したことで、体の変化に気づき始めた。特に変化を増長させたのは、よく噛むことだった。早食いの私には特に耳に痛い話だったが、講師の先生に、一口100回を毎食1回だけでも、一年続ければ大変な回数になると言われて、その大切さを痛感したのだ。それを毎食実践していると、自然に噛む癖がついてきた。そしてそれぞれの食材が持つ甘味を感じられるようになった。今までのようにあまり噛まないで食べていると大雑把な味しか分からない。そのため脳の満腹中枢がなかなか満足しないので、どうしても必要とする量より多く食べてしまう。しかも雑に噛んだ食べ物は、十分な唾液が出ないために消化不良をおこし、吸収が細胞に行き渡らない。それが空腹を呼ぶのだと体の感覚で感じた。それを証拠に3日目になると、眠くならないし腹はすかない。俄然物事に集中できるようになったのだ。味覚をはじめとして五感が感覚が鋭敏になった。何より調理をすることで、食材が持つ香りの変化を楽しめた。調理とは、調味料で味を付けることではない。食材が持っている命を最大限活かして頂くための方法なのだ。それを証拠に台所の語源は、平安時代の台盤(食物を載せるための脚付きの台)とも、人間の根幹たる胎盤ともいわれたそうである。そして江戸時代まで、御台所(みだいどころ)が、大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称に使われていたことも、いかに命を産み出す場と考えていたことが伺える。それを認識できた貴重な6日間だった。

意外な温暖化の原因? 2011.07.27

 それは先月、友人とのふとした会話からわいた疑問だった。長い付き合いになるその友人は、かつて釣りバカ一歩手前ほどの愛好家だった。早朝、仕事の前にも釣りに行くほどだったが、最近は忙しくてめっきりその腕を試す機会はないらしい。渓流釣りには数回連れて行ってもらったことがある。そこで分かったことは、こちらは釣りよりどちらかというと食べ物や温泉のほうに興味がわくため、釣りを心底楽しむ性格ではないということだ。それでもお互い気にしないため、たまに誘いが来る。話しはその友人からの誘いで近くの温泉、元気の里に行ったときのことである。時節柄でつい原発の話になった。浜岡の名前を出したとたん、顔色が変わり、その周辺の釣り場の話しが始まった。原発から出る温排水はすごいらしい。排出された温排水は湯気で一面真っ白というのだ。そしてその暖かい海水に彼らが言うGTクラスの大きな魚も群がってくるので、そこに竿を投げて釣るのが醍醐味だったという。釣り好きからしてみればその排水が止まれば、もはやその光景は見られないというため息交じりの話しで終わったのだが、その温排水とはどの程度のものなのだろう。海を容赦なく温めているのである。その疑問が頭から離れなかったのだ。
 今年は、梅雨が明けたか分からないうちに一気に真夏日となった。例年と変わらず、湿度の高いうっとおしい暑さが続いた。ところが異変が起きた。夕方になると、秋を思わせるようなやわらかい風になった。あの蒸気熱を思わせる風ではない。これは素人考えだが、すぐに浜岡原発が浮かんだ。原発が停止したからではないのだろうか。原子力発電所で生み出される熱はおよそ300万キロワットになるらしい。そのうちのわずか1/3だけを電気に変えて、残り2/3の熱は、何と海に捨てているのだという。その正体があの温排水だったのだ。なんと1秒間に70トンの海水を原子力発電所内に引き込み、温度を7度も上昇させて海に捨てているのだ。しかも配管に付着する物質を防ぐための薬剤も一緒に流しているのである。これが日本全体の54基全部で稼動してたらどうなるだろうか。生命の源の海へ、天に唾するような行為が長い間無言のまま行われてきたのである。毎年のように海水の温度上昇のため、自然災害の激発と共に生態系への影響が危惧されるとメディアは警告するが、それならどうしてこのことを指摘しないのだろうか。CO2を削減し、地球温暖化に貢献するといいながら、この一点だけ見ても温暖化と環境破壊の原因ではないのか。3月時点で稼動していた原発37基が、停止や点検もあって現時点で16基になった。これがこの夏の温度に影響していると思うのは私の思い過ごしだろうか。来年、点検も含めて全国の原発が止まる可能性がでてきたらしい。そうなれば、生まれて始めて原発のない夏が体験できるかもしれない。本当の日本の夏に出会えるのだ。
 最近、東京新聞に代える購読者が急増しているそうだ。そういえば自民党議員の72%が東京電力から政治献金を受けていた記事があった。道理で原発停止に反対のわけである。もはやこうなれば政治信条もない人間がバッジを付けただげのお役人である、それならいっそのこと党の名前も原発党に改名すればわかりがいいのではないか。国絡みで独占を許したマンモス企業に、今や手や足を縛られた状態の中、共生か強制かの攻防が、これからの日本を大きく左右することになるだろう。

参考著書:DAYSJAPAN8月号 小出裕章の放射能の話

おかげさまで20周年 2011.07.01

 今年で開店して20年、それは大切な店を故加藤ヒロ子先生から引き継ぎ、はや15年が経ったということを意味する。正直、よく続いたと思う。子どもから大人への節目、成人になるまでの紆余曲折と同じように、多くの失敗と、周りの方々のあたたかい目に守られ、ようやく一人立ちできる年令を迎えた実感がある。経験したことないことばかりで失敗の繰り返し、あの時こうしていれば、というセリフを何度自問したことだろう。それも今になってしまえば、失敗なくして自立はありえないという簡単な言葉に行き着いてしまう。なんでも経験してみなければ身につかないのである。一通りのことを経験すると、今度はそれを教える立場になる。世の中そう回ってるんだと感じるようになるのにそれ相応の年数がかかるようである。 ヘルシングあいは、1991年、西式甲田療法を指導する店として、保健婦だった加藤ヒロ子先生が開業した。その当時はバブルが崩壊したとはいえ、空き店舗が見つからないほど好景気に沸く最中だった。グルメが主流を占める中、それとは逆行する「食べすぎが病気の元だ」という指導は、大変だったにちがいない。玄米を食べているだけで変な目で見られた時期だった。この偶然ともいえる加藤先生との出会いによって、今の私がある。そして西式という民間療法を学んだことが大きな力になったと思っている。西式は、健康法という大きな枠で捉えられているが、本来なら医学として認識されるものである。なぜならその検証は、血液循環から、血圧、骨の性質、体の姿勢から体貌まで及び、一貫して自らの主張を、膨大な世界の学説や、臨床から実証してみせたものだった。そして、その内容は、現在に至っても古さを感じさせない。それが意味するのは真の医療だからに違いない。それに引き換え体を部分しか見ない現代医学は、混迷を極める一方である。今だに新薬さえ風邪一つ治せないのである。
 3月に起きた震災から3ヶ月以上が過ぎた。今だに収束の目処がつかない原発が、復興の足かせになっている。この危険性が世界中の人々に伝わったことが唯一の救いであることは間違いないが、いつの時代も、情報はスポンサーのご都合で作られることがはっきりした。本当に知りたい情報は、お金を出してでも自ら求めないと何一つ入ってこないのである。この危険性が、少しでも認識できていれば、この小さな国土に54基も原発は作られないだろう。それが今は、地雷のように全国に散らばっているのである。その上、放射性廃棄物の行方も他人の空事である。知らないということは恐ろしいことだ。家や土地を奪われることも知らずに、信用して財布を預けているようなものだからだ。
 医療もしかりではないだろうか。B型肝炎訴訟の和解が最近合意された。国の過誤によって感染被害を受けた被害者を救済するのは当然のことであるが、医薬品の認証に携わる経緯などは、誰も知る由もない。専門的なことだからいう必要がないのだろうか。本来、自らの体に入れるものなら、余計疑ってかかった方が良いのではないか。被害者になっても後の祭りである。私自身、定期健診は20年以上受けていない。今後もするつもりはないし、外傷以外の病院にはお世話になるつもりはない。体調は、自分自身が一番よく分かっているつもりだ。
 最近分かったことは、病気に重度があるように、健康にも健やか度があるということだ。健康になればなるほど自由自在になる。その基本は、もちろん食であり、運動である。皆様の健やか度を上げることに貢献できるよう、私自身もその角度を上げて行きたいと思っている。
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