ヘルシングあい便り

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参院選結果が語ること2013.08.02

ちょうど4年前の衆議院選挙で歴史的な政権交代が起きた。長年与党だった自民党の大敗北だった。これからようやく民意が反映されるという期待に胸が膨らんだ。しかし早々から鳩山元首相、小沢氏の献金問題をマスコミは連日あげつらえた。小沢氏に対しては検察も調査に入り、長い裁判の末の結果はご存知の通り無罪で幕を閉じた。あらゆる手を使って政権交代の立役者である二人を攻撃し、民主党の看板を地に落としたのは一体誰か。
 翌年は未曾有の東日本大震災に見舞われた。地震による津波の被害で福島の第一原子力発電所で事故が起こり、今になっても自己の収拾さえついていない。
 思い起こせば阪神淡路大震災、これも政変後の社会党の村山氏が首相の時にこの大地震は起きている。野党をまとめて政変を実行した立役者にその時も小沢一郎氏がいた。政府の対応の遅さが批判されて内閣支持率が急落し、野党はその時も結局バラバラとなった。かつてない大災害の時に限って自民党が政権にいないという不思議な状況で、自民党政権は生き長らえたといってもいいだろう。誰がやっても満足行く結果などあるはずない。だから未曾有の災害なのだ。しかし今回の原発問題に関しては自民党が長年続けてきた電力政策にある。安全で安心な原子力を謳いながら、この小さな島国に54基も原発が作られていたのだ。しかもその安全基準も曖昧なまま事故に至ったのである。この責任こそ国会で追求されなければならない問題だ。それによって被害が拡大したのは誰の目にも明らかである。
 4年前の政権交代だけではこの日本が抱えているダーティーな深い構図が見えなかった。しかし原発事故が起きてすべてが白日の前にさらされた。電力を中心とした日本の歪な権力の構図である。そしてそれらや財界がこの国を主導していたということである。あれだけの事故を起こしながらも警察不介入の場所がある。そしてマスコミや経済団体からも異論の声が起きない。電力という経済の武器を使って権力を欲しいままにしてきた。それこそが自民党の政策だったはずだ。原子力政策はまさに権力だった。その権力で長年票を獲得してきたのだ。選挙は有権者の得票数である。経済団体、労働組合、その他大きな団体が数多くある。教育関係しかり、宗教団体もその一つだ。それらの有効得票数を掴んでおけば選挙ほど楽なものはない。あらゆるところまで原子力政策の金はばら撒かれ、それに税金が当てられていたのだ。そのため金がものを言う選挙が今まで続けられてきた。志や政策が評価されて当選する人物像とは無縁の選挙、そしてそれら団体の代弁者にしか過ぎない政治家がぞくぞくと誕生したはすである。民意など聞くはずがない。震災を機に電力という利権にいよいよ問題が着火した。そのため泡食って各団体が死に物狂いになって与党に加勢したに過ぎない。
 参院選が語る選挙結果は、民意がさらに程遠いものになった。しかし浮動票とされた新しい民衆の声が芽を出そうとしていた。この大きな二つを感じた選挙だった。バラバラにされた民意をまた盛り上げていくのは相当な苦労が必要だ。演歌歌手のドサ周り。それこそが候補者はじめ我々一人一人に一番必要なときなのかもしれない。

ハイオクのすすめ2013.07.03

 新車で購入して今年で10年目、最近23万キロを超えてもまだ順調に走行してくれているわが愛車に先月からハイオクを入れている。これについては数年前に技術系に明るい取引先の方からススメらた。燃費は向上するしエンジン内部の懸濁物も減少するからレギュラーに比べて値段が多少高くても損することはないという話しだった。その方と最近また会っため、またその話しになり、以前はレギュラーとの価格差があったために断念したが、今ではその差も10円程度のため早速実験することにした。
 レギュラーガソリンがまだタンクに残っていた中に、早速ハイオクを満タンにして実験開始。開始早々走りの快適なことに驚いた。トルクが上がったのかアクセルを踏みこまなくてもスムーズに進む。以前なら運転開始時や、エアコンをかける時などすぐノッキングのような現象がおきてアクセルを踏んでもなかなかスピードが乗らなかったが、ハイオクでは全く普通に走れてしまう。結果、給油までの走行距離は564km。給油ランプが点灯する480km前後を大幅に上回り、リッター12kmをゆうに超えた。2度目では何と618kmでリッター13.8kmを記録。南知多へ行くために長距離を走ったり、高速道路を頻繁に走ったにしても今まではありえない数字だ。今も3度目の実験中だが、3回とも普通にエアコンを付けて走っている。今までだったら大幅に燃費は下がるはずが今回もどうやら走行距離は前回に近い値が出そうである。
 そこでハイオクについて調べてみた----- 高オクタン価ガソリン(こうオクタンかガソリン)とは、レギュラーガソリンより高いオクタン価を持つガソリンのことである。このガソリンは、「ハイオク」、「プレミアムガソリン」などいくつかの異なる名称で呼ばれ、ガソリンスタンドでも独自の商品名で呼ばれることが多い。高オクタン価とは、石油燃料を内燃機関で燃やしたときにノッキングと呼ばれる障害の起こしにくさ(アンチノッキング性)の度合いが高いことを示しており、揮発性の有無や燃焼カロリーとは関係がない。一般的に高性能エンジンはハイオクガソリン仕様である上に、かつて盛んに行われたハイオクガソリンの広告宣伝活動の影響もあり、レギュラーガソリン仕様でもハイオクガソリンを入れれば出力が向上すると思っている消費者は多いが、それは正しいとはいえない。ハイオクガソリンは燃料そのものの熱量がわずかながら高いだけであり、高出力を得るために圧縮比を高く設定したエンジンにおいて、高温になり自然発火(ノッキング)することを防ぐためにオクタン価を高めた燃料だからである。もともとレギュラーガソリンを使用する前提のエンジンは、レギュラーガソリンでノッキングが起こらない設計になっており、更に2000年以降の多くのエンジンはノッキングの発生を感知し、それを最小限に抑えるように補正する装置が装備されているためハイオクガソリンを入れることはほとんどなく、燃費が2-5%向上することも考えられるがハイオクガソリン自体がそれ以上に割高であったり無意味のケースが多い。[ウィキペディア]。
 ネット上ではネガティブな意見が多く見られた。しかし実際にこれだけ変わったのだから一理はあるはず。燃費が向上し、使用燃料が減り、しかもよりクリーンな排ガスになれば地球環境にも言うこと
ない。是非試してみる価値あり。えっもともとハイオク?失礼しました。

参考資料:ウィキペディア(フリー百科事典)http://ja.wikipedia.org/wiki/

革命家に触れて2013.05.30

  世の中にはすごい人がいる。しかもそれをこんなに間近で感じたのは初めてだった。先月始めに行われた南山大学での講演会「アフリカ独立革命~援助に頼らない自立と真の独立を目指して~」と題した島岡強氏の話しに、かつてない衝撃を覚えた。誘っていただいた方にあらためてお礼をいいたい。 
 両親から革命家になるよう育てられた。そして17歳の高校生の時に自分の生きる志を証明をするために、登山経験もないのに一人で八甲田山に登ったという。死にふさわしい場所を探して実行したのだ。行きこそ天候にも恵まれて頂上までたどり着けたが、下山するときになって猛吹雪となり、動くことも困難になったため雪洞を掘ってその中で何日もじっと耐え、猛烈な睡魔に襲われるのを自分の腕にナイフを突き立てて何度もえぐることで意識を繋ぎ止めたというから壮絶である。これらは講演の話しではなく、その時購入した本の中から抜粋している。9日目にようやく生還した彼が語った言葉を、当時の救助隊員が覚えているのでご紹介したい。
  「俺は、自分がこれから本物の革命家として生きていくんためには、一度死に行かねばならない。それで死ねば、天が俺を必要としないということであり、生きて帰れたなら、天が俺を革命家として生きろと言っているのだと思いそれを八甲田山にかけたのです。八甲田山を心から愛する皆さんにとって、自分の存在意義を天に問うために、死を覚悟して山に登るというのは、山を冒涜していると思われるかもしれませんが、自分としてはこれしかやり方が見つかりませんでした。天と皆様によって生かされたこの新しい俺の命を、必ず世界中の人々のために生かすことを誓います。(1980年1月のこと)」 
 その志が、その時からアフリカ独立革命にあったことに何よりも驚かされる。そして 生まれ変わってからの考え方がまたユニークで筋が通っている。好物や肉食も一切やめ、嫌いな野菜だけをそれも一日一食と決めたこと。その理由こそこれからアフリカに渡って飢えた十億の民を何とかしようと志しているものが飽食に慣れてはならないということからきている。
 島岡さんの講演は、何も後ろ盾のない一人の男が、ただ志があるというだけで物事は必ず動いていくという実話の発表の場だった。アフリカに渡って間もなく、タンザニアのザンジバルに腰をすえたが早いかそこで最初に出会った元漁師の人物と意気投合し、懇願されて船を作ることになる。全くやったことのない漁業に乗り出すが困難の連続。その一つがビザで、社会主義のザンジバルで労働ビザがおりるのは当時考えられなかったことらしい。しかし彼の熱意に市長まで彼の後見人になって後押ししたことや、周りの協力があってようやく1年4ヶ月後に発給されることになる。しかしその間にもスパイ容疑をかけられて国外追放になったり、4年もの間秘密警察が近辺を張り付いていたそうである。悪いことを一つもしてないんだからどうこうしようがない。いつしかそんな警察もいなくなっていたそうだ。その後も物資を運ぶために必要になって運送業をおこした。またある時日本で学んだ柔道を教えてほしいと懇願されて作った彼の道場は、今では国際試合で活躍するまで発展している。そして今回来日したのは毎年行われているアフリカの現代アート「ティンガティンガ」の原画展のためだ。これにしても全く絵に興味はないが、絵を世界に紹介ればこれも彼らの収入源になる。だから貿易を始めた。
 「どんなそんな境遇の中でも、金のために仕事をした事など一度もない。人のために真剣にやっていれば周りがほっておかなくなるものだ」と淡々と話すその言葉に重みがあった。金のためにやるのか人様の役にたつと思ってやるのか、心持ちで仕事は大きく変わる。確かにそのとおりである。
 「皆さんも志をもって生きて下さい。政治や国のせい、人のせいにしても何も変わりません。自分一人からまわりを変えてやろうという意気込みで取り組んでください」・締めの言葉が心に響いた。
 志とは、心に決めた目標、目的、信念。相手を思う気持ち。人に対する厚意(語源由来辞典より)
我が国で死後になりつつある「志」という言葉。その言葉をこの日ほど新鮮に聞けたことはない。
33年も前の八甲田山で語った島岡さんの言葉は今も生き続け、より光り輝いていたに違いない。

参考著書「我が志アフリカにあり」島岡由美子著 

米作りに挑戦2013.04.30

 昨年の秋ごろ、身近な方のお声かけから米作りの現場を見てきた。その場所はすでに放置されて何年にもなるとのことだったが、4年ほど前から名城大学の農学部の先生が生徒と米作りをしているため、一緒にやられたらどうかという話しだった。これは渡りに船ということで、早速訪ねたのがちょうど収穫が終わった頃だった。稲架掛けがすんで藁を近所の人達がもらいに来ていた。この辺り土地は窒素成分も十分あるので、農薬も化学肥料も一切使用することなく作ることができるというお話しをその先生に伺い、来年はお手伝いさせてもらいたいとお願いしたところ、二つ返事で了解いただいた。
 4月の中旬に、草取りと代掻きをする連絡をいただき、いよいよ田植えの準備がはじまった。昨夜から降り続いていた雨も、田んぼについた時にはすっかり晴れて気分も上々。山に囲まれた静かな場所で、時折聞こえてくるうぐいすの鳴き声が何とも心を癒してくれる。人間は、ないものに憧れると言ったのは綾小路きみまろだったか?「一人の人は結婚に憧れ、結婚すれば一人に憧れる。小さいものは大きなものに、大きなものは小さなものに憧れ...結局ないものねだりなんです。」というセリフだったような。
 この土地の方とのお話しの中で、今ではこの辺りの人が誰もやりたがらない場所に、わざわざ遠くから来ていただいて有難いという言葉を頂いたことで、きみまろではないが、世の中は難しいと感じた。
 先生から任された田んぼは2枚。もう4年も収穫しているため、本当に雑草取りと田起しをすればすぐ田植えが出来るそうだ。田んぼと戯れて下さいという激励の言葉をかけられて、早速作業にとりかかった。足を田んぼに入れるとひざ下近くまでズッポリ。戯れるという意味がすぐ分かった。バランスを崩したら、すぐにでも泥遊びに早変わりである。しっかり重心をきめて作業していると、結構体に堪えた。これは機械でやりたくなるのも当然である。きつい作業だ。それでも次第に重心移動に慣れてきて、今月中旬の田植えまでには終えることが出来る気がした。今後の経過はブログで細かく報告して行きたいと思っている。
 なぜ米作りかと言えば、日本人がその気になれば、米くらいは自給自足でやっていけるはずである。それを自分でも体験し実践したいからだ。これから幾多の困難が待ち構えている。そんな気がしてならない。
脅かすつもりではないが、今の政治を見ていても、国家はもはや一個人を守ってくれない。汗水流して働いた年金は、訳の分からないことに使われる。福島の現状を見てもそうである。復興を優先するのが当然だろうに、全国各地の公共事業に多額の税金が投じられ、後は野となれ山となれだ。アベノミクスというくだらない経済用語を誰がつけたか知らないが、金さえあればなんとかなるという旧態然としたやり方を、メディアは寄ってたかって持ち上げる。こんな馬鹿らしいことが現実に行われているのだ。
 3.11で我が国は一体何を学んだのだろうか。
せめて一人一人が土地を耕すことからはじめなければ、この国は不毛な地になる気がしてならない。

下記は、伊勢神宮のHPより引用させていただきます。
 古来、日本は稲作を中心に発展し、瑞々しい稲穂がたわわに実る「瑞穂の国」と称されてきました。お米は日本の気候風土でよく育ち、栄養価が高く保存もできるため、日本人にとってはまさに「命の根」(稲の語源)だったのです。日本人がいかにお米を大切にしてきたかは、日本の神話からも紐解くことができます。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から天降(あまくだ)る際、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は天上の田で育てた稲穂を授け、「地上で大切に育て継承しなさい」と命じました(斎庭〈ゆにわ〉の稲穂の神勅)。つまりお米は、神から授かった聖なる食べ物であるのです

ホリエモンの仮釈放に思う2013.03.31

 21ヶ月ぶりに仮釈放された堀江氏の人相は別人のように変わっていた。体重が30kg近く落ちたという。時代の寵児と呼ばれたその頃よりも、より若々しくなって帰ってきたように感じられる。無理もない、寄って集ってマスコミに袋叩きにされ、それでは飽きたらず検察が動いて証券取引法容疑だ。学校のイジメより質が悪い。では大手オリンパスの粉飾決算の時はどうだったか、お伺いを立てるような検察の動きとはえらい違いだった。しかも東京地検特捜部の指摘によると、「ライブドアが実質的に支配する投資事業組合が既にマネーライフ社を買収していたにもかかわらず、増資や架空売り上げを計上するなどし、ライブドアマーケティング社(現:メディアイノベーション)が、それら事実を偽って公表したとするもの。しかし偽計取引については公判の末、シロ(無罪)となり、風説の流布のみでの実刑判決となった。なお、風説の流布のみでの実刑判決は過去に例がない」(ウィキペディアより)。メディアと検察が架空の事件を作って、罪のない人間を社会から引きずり下ろす昨今の事件が頭をよぎる。権力を盾にされればだれだって抵抗できっこない。しかしさんざん悪者にされて、それでもなお注目されるというのは、よっぽど彼の手腕と才能を世間が認めているからだろう。
 堀江氏が東京大学在学中に会社を設立したのは、私がヘルシングあいを引き継いだ年と同じ1996年。その頃はまだインターネットが普及しはじめたばかりだった。ウィンドウズ95のパソコンをはじめて買って使い方がわからない当初はゲームばかりしていたのが懐かしい。そんな黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目を集め、小室哲哉やglobe等のオフィシャルサイト製作で一躍ウェブ業界ではオン・ザ・エッヂの名を轟かせた。それからも躍進が目覚ましい。経営不振だったプロ野球の近鉄買収に名乗りを上げてメディアを騒がせた。結局球団は手に入らなかったが、その後はニッポン放送の株を取得、筆頭株主となってその子会社であるフジテレビとの騒動が勃発した。そもそもこのニッポン放送は、当時の財界がマスコミ対策を意図して設立したラジオ局だという。そんな小さな会社の子会社にフジテレビがあるという歪な状態が明るみになって、問題の根深さが一層事態を混迷させた。そんな社会現象は、一人の青年が大立ち回りをして日本中を引っ掻き回していたのだ。先手先手で先を越され、王が詰まれそうになったら、若いくせに生意気だ!それにやり方が卑怯だと居直って円卓をひっくり返し、無効試合にしたのが逮捕なら、これほど情けない国はない。 
 きっとメディアの買収劇で彼は権力者の尻尾を踏んだのだろう。しかしあえて彼は踏んだのだと思う。こんな連中に支配されていては浮かばれないという思いがあったに違いない。そうでなければ政界にまで進出しなかったはずだ。だからこそインターネットとメディアとの融合を目指したに違いない。起業して10年足らずでこれだけのことを成し得た人物が少し前に日本にいたのである。
 今後のホリエモンに期待しつつ、一部彼の記者会見の内容をご紹介したい。
「最近だと皆さんも当事者だと思うんですけど、遠隔操作ウィルス事件、これは警察ですが、警察は本来、捜査機関が分離をして、警察が暴走しても検察が止めるもの。人間のやることなので絶対に暴走するし、絶対の正義なんてあり得ない。そこに対してもうちょっと謙虚になった方がいいのでは。私は事件で断罪されて自分なりに謙虚に反省してきたつもりですが、検察は検察で自分がやってきたことが正義なのか、足元をみて自分の正義が正しいのかを常に考えて、自分たちの持っている権力がいかに強いかを自覚してやっていってほしいです。」

腰骨を立てる2013.03.01

つねに腰骨をシャンと立てること-
これ人間の根性の入る極秘伝なり。
人間は心身相即的存在ゆえ、
性根を確かなものにしようと思えば、
まず躰から押さえてかからねばならぬ。
それゆえ二六時中、「腰骨を立てる」以外に、
真に主体的な人間になるキメ手はない。
「腰骨を立てる」ことは、
エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。
この一事をわが子にしつけ得たら、
親としてわが子への最大の贈り物といってよい。
一、腰骨を立て 
二、アゴを引き 
三、つねに下腹の力を抜かぬこと
同時にこの第三が守れたら、ある意味では達人の境といえよう。
(森信三氏 立腰教育)

 学生時代に担任の先生から姿勢が悪いとよく注意された。正しい姿勢を意識しても、いつの間にか腰は折れて背は丸まり、自分にとって楽な姿勢に戻ってしまう。正しい姿勢など長続きしたためしがなかった。そんな長年の癖が猫背という姿を作りだした。まさに姿は生活の写し鏡である。 自分の姿勢や体の硬さは、ジョギングなど体を動かすようになって感じるようになった。特に股関節などは、柔軟体操で開脚したりすると筋が張って痛い。ヨガやジムなどに行けば良いのだろうがそんな気にならない。時だけ無情に過ぎる中、昨年の夏頃ふいに誘われた講座が、日本の古武術を学べるというので参加してみようという気になった。それが体幹呼吸法という講座。古武術を学ぶためにはまず体を作らなければならないらしい。立ち方から力の入っている人が多いという。ご多分にもれず私もその一人だった。そこではっきり自覚したのが姿勢の悪さだけでなく、体中に変な力が入っていること。普通に立っているつもりでも肩に力が入っていて右肩が異常に上がっていたのだ。こういうことを指摘されたのは此の方初めてだったので、自分で分かっていないことは他にも存外多いと思った。そうして力を抜いて自然な立ち方を教えていただいた。肩幅に足を開く、足裏をまっすぐ平行にして膝を弛める。腰骨をたてて顎を引く。自分ではそうしているつもりでも先生に力の入っている部分を更生されながら、本来の正しい姿勢を取り戻すと、何とも立ってるのが楽で心地が良い。誰しも少なからず学校生活で学んだ起立の姿勢が染みついている。その姿勢が肩や体に緊張感を生み、自然な立ち方からは程遠いものになっているらしい。
 その後は股関節の運動だった。気になっている部分だったこともあり良かった反面、錆びついて固くなっている部分を動かすために苦痛がともなった。一つ一つの動作が身体に堪えた。約2時間あまりの講座を終えた後は、体じゅうが筋肉痛のような快い痛みを感じた。それ以来なるべく講座に参加し、出来る範囲のことを家で復習するようにした。今年に入ってからはほとんどの動きを覚えて毎朝続けていたところ、思わぬ体の変化に驚いた。開脚したままで顎を天井に上げる苦痛な姿勢が出来るようになった。日常では椅子に腰掛けても腰骨を立てていられる。姿勢は気にしても、無理をせず長時間いられるようになった。体幹とは四肢を除いた部分を指すという。胸や腹、お尻を呼吸をしながら種々の動作を実行することが、腹筋や背筋など多くの関連する筋肉を鍛えていたことに半年過ぎて気がついた。
 和式トイレや着物を着る習慣、拭き掃除など、毎日の生活習慣から失われていくもののなかにこそ体幹を鍛える動作が盛り込まれていた。その不便さが体にとっては良かったのだ。便座の上げ下げまで自動化されながら、一方で健康のためにサプリメントを買い漁ること自体、本末転倒しているのである。
 体を労るということは楽をすることではない。本来あるべき立ち方に帰るということ。痛みや苦痛を伴うにせよ、体はそれに応えてくれることを約束している。

参考:森信三の世界 http://www.jissenjin.or.jp/ 

相馬看花「第一部 奪われた土地の記憶」を見て2013.01.29

  お正月明けて間もない6日に行われた上映会で、相馬看花というドキュメンタリー映画を見てきた。まずこのタイトルの由来をご紹介したい。中国の故事「走馬看花」からとられたそうで、本来は「走る馬から花を見る」、つまり物事の本質でなくうわべだけを見てまわることを意味する。しかしイラク取材中に亡くなったジャーナリストの橋田信介さんは、あえて「走っている馬の上からでも、花という大事なものは見落とさない」と解釈し、よきジャーナリストの象徴のような言葉に読みかえていた。橋田さんを私淑するこの映画の監督松林氏が、「走馬」を「相馬」と置き換え本作のタイトルとしたという。
 さっそく見た感想をブログにアップしようとしたがなかなかまとまらない。しかし今時点の心境を書き留めておくことは必要と感じたため、中途半端な状態でアップしてしまった。出演している人は被災者なのである。その方々が発した言葉が、映画を見た後も頭の中を巡っていた。後でまとめようと言いながらそのままにしてあったそのブログが、どうもこの監督の目にとまったらしい。「まずはモノが入っていない状況だったということで、入ったということでした。」というシンプルなコメントを残してくれた。それを見てはっとした。傍観者という上から目線で見ている自分にようやく気がついた。 
 東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内にある南相馬市原町区江井地区。2011年4月3日、津波と放射能汚染と強制退去で様変わりしたこの地域へ、この監督は救援物資を携えて向かった。映画をとるのが第一の目的ではなかった。被災して1ヶ月も経とうというのに、救助の手すらのびない場所があった。しかし情報を伝えるメディアは揃ってこの危険地帯を封印した。自らの手で情報を得ようとする手段を捨てたのだ。フリーランス記者からの乏しい情報を頼りに番組が作られていたのため、テープをリプレイするようなどうでもいい情報しか流れていなかった。国内でこの有様なのだから、さらに危険が伴う海外で起こっている様々な事件など分かるはずがない。だから情報が錯綜するのだろう。
 何本もドキュメンタリー映画を手がけている監督に、被災者の方々からこの現状を広く国民に知らせてくれと懇願されてカメラを回し続けたという。自ら行動を起こして入ったために、結果として広く多くの方々にその窮状が伝わったのだ。空き巣の被害をテープにおさめたのもこの映画の一部で、それまで我々が見ていたものは、混乱の中でも整然と列をなして並ぶ被災者の姿だけだった。この情報を公表したのが東京新聞と中日新聞だったそうで、それがなければもっと被害は拡大していただろう。
 映画とは何か答えや情報を提供してくれるように勘違いしがちである。また、そういうものに慣れてきたために、途中まで方言や音声の聞こえづらさに戸惑ったが、不思議なものでだんだん慣れてくるもの。いや、ひょっとしたら撮影する側とされる側の呼吸が合ってきて、その雰囲気が伝わってきたからかもしれない。座敷に寝っ転がりながら、原発のあった土地の話しを回想するあたりは、本人が、話しながらどうしてこの地に原発がやってきたのかという確信を深めているかのようだった。作られたセリフではない事実の重さが耳に残った。カメラを回す向こうには今現在の真実が詰まっている。しかし、それを切り貼りすれば、真実が偽りにかわることもある。それを見る一人一人が、過去の経験から自分のフィルターを通して受け入れていく。
 ドキュメンタリーとはいえ被災している当事者である。それでも随所に人間臭さが写っていた。そん
な「はな」と、四季が織りなす花も見落とすことなくカメラに収めることができたのも、この監督の人
柄だろう。「まずはモノが入っていない状況だったということで、入ったということでした。」
もう一度じっくり見たい映画である。

ひと昔前を振り返って 2013.01.02

 時を刻む時計の針や、夜空に広がる星座の数、干支などに共通する12という数字、木星が天球を約12年周期でまわることから時空に対する概念をその数字であらわすそうだ。でもこれをよく考えてみれば、古代の人達はすでに宇宙空間に広がるあらゆる知識をすでに持っていたことになる。太陽系から地球を覗くくらいありとあらゆる現象を表現していた。今でも躍起になって古代の遺跡を掘り起こす意味がわかる。検証することぐらいが関の山の今世紀に真実などないからだ。進化しているどころか、どんどん退化していると考えたほうがいい。
 科学技術の発展とかいうが、原発のように厄介なものをそこらじゅうに作って後のことは知らんぷり。医学もしかりで、けったいなワクチンや薬を作ってますます病人をうみだし、人を恐怖の虜にして後は責任放棄。結局のところ何かに頼らないと生きていけない人間をますます生み出している。 品物の山の中で生活したら病となりゆくゆくは癌になる。この字の構成を見てもいかに先人が尊い智慧を持っていたかが伺われる。そろそろ後ろを振り返らないと、自分の立ち位置まで分からなくなってしまうに違いない。
 今から12年前はちょうど2001年、宇宙の旅ではないが21世紀を迎え、少なからず期待に胸を膨らましていたときと記憶している。しかしどんな出来事があったといえば、日本で始めて狂牛病の乳牛が発覚した年だ。食への不安の始まりだった。そしてだれもが最も鮮明に記憶しているのがアメリカ同時多発テロ事件(9.11テロ事件)。日本では自民党をぶっ壊すといって小泉首相が誕生し、自分の言葉で語る総理として庶民に親しまれ、国会テレビ中継の視聴率も大幅にアップした。その高い支持率を背景にして湾岸戦争に加担していった。明るい未来どころか、ここから世界に火種は飛び散った。 振り返るほど暗い話しばかりが目につく。新年早々の話しには相応しくないかもしれないが、これから先は、いかに一人ひとりが自立した考えを持てるかどうかにかかってる。今までに得てきた知識を一度消去するくらいの構えがあっていい。マスコミやメディアが作り上げたシナリオに躍らさずにすむ。常識と思っていたことが実は非常識なんていう話しは今後ますます増えるだろう。所詮私達が得ている知識の大半は、ここ200年程度に過ぎないからだ。本当のことは、古きを温めてこそ、新しいものが生まれるはずである。
 巳年の「巳」(み、し)という字は、胎児の形を表した象形文字で、蛇が冬眠から覚めて地上にはい出す姿を表しているとも言われ、「起こる、始まる、定まる」などの意味があるという。餌を食べなく
ても長生きすることから神の使いと崇められたそうだ。神が体の中を走る神経ならば、少しは自分の体を労るだろう。
「少食の者には死病の苦しみや長患いがない」「人格は飲食の慎みによって決まる」水野南北
耳に痛い言葉だが、健康でいる大切さを年々痛切に感じる。

今年の皆様のご健康を祈願します。
本年もよろしくお願いします。 

第3回設楽ダム公開講座 2012.11.30

 蒲郡で行われた設楽ダムの公開講座に行ってきた。10月にその講座があることを知って今回で2度目の参加となる。会場は空席がポツポツとあったが、200人近くは来ていただろう。参加者を見渡すと男性の高齢者が圧倒的に目立った。その一方で女性は数えるほど。前回も含めて、河川全域、そして海や川に与える環境の問題のはずが、その無関心さに愕然とさせられた。原発の事故以来環境事業に関する目が厳しくなったはずである。ダムなどその最たるものではないだろうか。身近な食品にはあれほど神経をとがらせていながら、なぜそれが生産される環境には無関心なのだろう。ダムを作るということは一つの村が水没し、新たな人工的な川によって生活用水が確保される反面、川底の環境や、その汚泥が豊かな海に影響をおよぼすということは過去に何度も言われ続けてきたことである。その環境を壊してまで、果たして今の我々の生活用水のためにダムが必要なのか。行政が口をだすのではなく、地域住民及び周りの一人一人が考えることである。原発と同じで出来上がってしまった後からどれだけ叫んでも、昔の自然はもう戻ってこないのだ。一握りの知識人にそんな重要なことを押し付けて、今までと同じように知らん顔ができるだろうか。 全国の干潟の半分近くが埋め立てや開発で失われている。三河湾沿岸の干潟も1,200haもの面積が1970年代の開発によって消滅したそうだ。その面積たるや中部国際空港2個分に当たるという。今回の講座は、そんな干潟に生息する小さな小さな生物に光を当てることによって、環境と命の大切さを考えるものだった。
 第一部は名城大学大学院総合学術研究科特任教授 鈴木輝明氏「二枚貝類の水質浄化機能と豊川河口域における大量発生の仕組み」。そして第二部が株式会社京北スーパー相談役の石戸孝行氏「しじみから教わること」。この小さな二枚貝類の働きを通して見えてくるものがある。これらが生息する干潟の働きは、海の水質汚染の原因となる窒素やリンなどの有機物を分解する上、赤潮の原因となる植物プランクトンを摂食する。海をきれいにする天然の浄化フィルターといったところだろう。しかも一切お金がかからない。そして分解した排泄物がこんどはアマモなどの海藻の養分になる。その海藻に魚が寄ってきてすみかを作り、植物プランクトン等を摂食する。今度はその魚を目がけて野鳥などが飛来してくる。見事なバランスで海を豊かな環境にしているのだということを、今日あらためて学んだ。本来、上流の森や中流の平地からさまざまな栄養分を干潟に運んでくる川が、ダムの建設によって一体どうなるのか。専門家でさえ干潟に与えるダメージは予測ができないという。しかしひとつ言えることは、一度失われた自然の干潟を再生する技術など、我々人間は持ち合わせていないということである。
 原発の事故以来、海も山も汚染されて危険と騒いでいる。しかしどれだけ騒いでも、事故以前の環境は戻ってこない。それよりこれ以上、未来の世代に汚染を残さぬように努力することが現在、この地に生きている人間の役目なのではないか。
 今の医療もそうであるように、人間がなにか手を出すことでますます自体は悪化することのほうが多い。ましてはダムは、戦後最大の災害に備えてなどという言い回しが、そもそもおかしいのである。自然には人間が無力であるということは、昨年の震災でよく分かったはずだ。それでも懲りずに自然に歯向かうほうがどう見ても不自然なのだ。そして人間が手を入れたものは、釜石湾の世界最大水深の防波堤のように簡単に崩れてしまうのである。
「すべての病気はかかったあとで治すより、かかる前に予防するほうが容易である」(イギリス海軍医ジェームス・リンド)会場で石戸氏が語ったこんな言葉が胸に響いた。

被爆を超えて2012.10.31

 一度ブログで紹介した内容を、もう一度書き留めたくなった。それは9月末に行われる東京でのイベントに行くことを決めて連絡をしたときのことだ。ちょうど同じ日に平賀佐和子さんの講演会があると教えられた。被爆体験者という以外、あまり詳しいことを知らなかったのでそちらも参加することにした。10時から始まるため7時台の新幹線に乗らなければならない。まだ刺すような日差しでうっすら汗がにじんでくる中を急いだ。
 現在76才とは見えない若々しい姿が会場にあった。とても被爆した人とは想像がつかなかった。過去に見た痛々しい写真をつい思い出してしまう。幸い軽い被曝で済んだのだろうか。しかし話しが進むうちに被爆の惨状が生々しく語られ始めた。原爆被災者となったのはまだ9才の時だったそうである。爆心地から2km以内のところで被曝し、その爆風で中二階までふっ飛ばされたらしい。気を失って気がついた時には周りは火の海で、しかも爆発の熱で周りの家々が自然発火していくというのだ。想像もつかない灼熱地獄の中、よく命があったものである。半狂乱になりながらもようやく家にたどりついたときは、衣服も焼け焦げ全身大火傷の状態だったというからいかにその熱がすざじいものだったか。その火傷を癒すために水をかけるとあっという間に水ぶくれになり、その水泡が膨れ上がって体からはみでるくらいただれたという。それがやがては膿みだし、体中に蛆がたかってその蛆を取り出したことを他人事のように冷静に語る語尾に憎しみや苦しみの感情はこもっていない。しかし坦々と話すから逆に身震いがしてきた。やがてその火傷跡はケロイド状に黒く盛り上がったそうである。家を失ったためにその後父親の里に落ち着いたが、被曝の姿に馴染みのない疎開先でその姿に対するイジメがあったというから何とも切なくなる。自分がその立場だったら、果たして真面に命を守り続けられたかどうか自信がない。平賀さんの前向きな所は、そんな境遇の中でもこの恐ろしい原爆について知るために広島大に進んで放射線のことについて学んだことだ。その後、高校の物理の先生になったことから一転して運命が動き出す。先輩の先生から誘われたのが桜沢如一氏の講演会。肝臓の働きまで悪化しはじめて、顔に吹き出物がいっぱい出ていた頃だったそうだ。誘ってくれた先生と桜沢先生に挨拶に行くと、「汚い顔だね~」さらに、「このままだと、3年以内に死ぬよ」と言われたというからあまりにも強烈だ。しかしそれを聞いて実践したのが、七号食(玄米とごま塩のみ)。味噌汁も飲まず、通常10日くらいで一区切りするところを一ヶ月続けたという。すると奇跡的にケロイドが癒えていき、体がどんどん軽くなっていくのが分かったと、その時の変化を話された。これしかないと思って続けた結果が、その後同じ学校の教員の人と結婚し、お子様7名、お孫さん14名の大家族を持つに至った。食生活は今でも玄米にお漬物、季節の果物程度だそうである。それが何より美味しいと語った。
 不思議でならなかったのが被災された直後のこと。全身大火傷を負ったにもかかわらず軌跡的に助かったことだ。その時のことを振り返ってお話しされたことが大変重要なことだった。当時、配給されたものが梅干が入ったおにぎりだったそうである。その中でも梅干しをやたら欲しがり、いつも余分に梅干しを分けてもらっては口にして、その種を割って仁まで食べたそうである。極陽性で排毒作用のある梅干しを食べ続けたことで、放射性物質の極陰性を中和してくれたのではないか、体験したから説得力のある言葉だった。
 本来なら生育を促す放射線。何でも過ぎたるは及ばざるが如しで、多量に浴びたために生命の危機に晒された。そのとき塩を含んだ梅干しによってその命が守られた。本能が自然に欲するもの、ホメオスターシス(体内恒常性)に素直に従ったために命が救われたのだ。そしてその柱となる食事がいかに大切かということは言うまでもない。
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